ぶつぶつ言ってる仏はほっとけ
信じたくないことなのだが、信じるしかないのか……。
ここはあの世だそうだ。阿弥陀如来の西方極楽浄土というところらしい。俺のすぐそばで座禅を組んでいる観音菩薩という人に、さっき教えてもらった。
観音様によれば、俺は厳密にはまだ肉体が死んでいない状態とのこと。つまり生身のままここに引っ張り込まれたわけである。確かに死んだ自覚はない。ここに来る寸前の状況もしっかり覚えている。──まあ、ここから二度と現世に戻れないのであれば、死んでいようが生きていようがどうでもいいってことになるのだが。
確かあの時俺は、偶然にも銀行強盗の現場に居合わせていた。 警察に通報され現金を奪うことに失敗した犯人が、女子行員にナイフを突きつけて「来るな、こっちに来たら女を殺すぞ」と叫んでいたのを覚えている。
で、俺が何もできずに様子を見守っていると、後ろから男の行員がゆっくりと犯人に忍び寄っているのが見えた。
(よし、ならば俺は犯人の気を逸らしてやろう)
俺は犯人の前に立ちはだかり、「おっさんおっさん」とヤンキーっぽい口調で呼び掛けた。
「な、なんだ貴様。人質がどうなってもいいのか」
「そんなん俺の知ったこっちゃねえんだよ!」
俺は、怒りの形相で固く握った拳を犯人に見せつけた。そしてボクシングの構えをとって、こう叫んだわけだ。
「あのよぉ……。こっちから行かせてもらうぜ!」
その途端、俺の身体が眩い黄金の光に包まれた。
というわけで、目覚めた時には既にここにいた。あんなセリフがきっかけでこうなったとは思いたくないが、同じ時刻に、この時空(あの世)で大規模な時空変動が発生していたそうで、もしかしたら相乗作用が生じたのかもしれない。
姉ちゃん、ごめんよ。俺、二度と家に帰れないような気がする。そうなったら俺、現世ではずっと失踪者扱いか。姉ちゃんを悲しませちまうな。本当にごめん。
さて、ここはさっき阿弥陀如来の西方極楽浄土だと聞いたばかりだが、厳密には少しばかり状況の変化があるとも聞いていた。時空変動の影響で、各世界の様々な仏の国に深刻な被害が出たらしく、唯一無傷だったこの世界に色々な仏や菩薩が避難してきている。
さっきからせわしなく引っ越しの荷物を片づけているのはお釈迦様だ。手足の長い痩せたじいさんがシャカシャカと目まぐるしく動き回っている。
「お釈迦様。そんなにシャカリキにならなくとも、ゆっくり片づけたらいいではないですか。どうせ暇は無限にありますし」
瞑想を邪魔された観音様が、穏やかに注意する。観音様は「観音」の字の通り、音を視覚の情報として認識するため、目の前でドタバタやられるのが大の苦手なのだそうだ。
「そう言われてもわしはせっかちな性分でな」
お釈迦様はバカでかい耳を持っているにも関わらず、聞く耳を持たなかった。それどころかますます動きをエスカレートさせる。
ガシャーン! 立派な花瓶を落として一発でオシャカにしてしまった。
「ほら言わんこっちゃない」
「黙れ、小僧!」
「ワーン、仏陀がぶっだぁ」
まさかお釈迦様が暴力を振るうとは。ぶっだまげちゃった。それにしても、観音様、情けない。
「今のは暴力ではないぞ。この者の心が乱れておるゆえ、喝を入れたのじゃ」
呆れ顔の俺に向かって、お釈迦様がウインクしてみせた。──うわぁ、自分を正当化してるぞ。
(『シャカい不適合シャ』か)
俺はそんな感想を抱いた。確かにお釈迦様は覚りを開いた立派な人だったかもしれないけど、もしも死ぬ寸前の精神状態がこの世界にそのまま持ち込まれるのだとしたら……。老いて食中毒で苦しみながら死ぬ直前のお釈迦様の心の状態はどうだっただろう。
さて、ほうほうの体でお釈迦様のところから逃げ出した観音様は、どうやら瞑想を諦めてしまったようだ。この人は菩薩であってまだ仏の覚りに至っていないため、俗っぽいところがあって話し掛けやすい。俺は早速こう訴えてみた。
「俺、まだ生きてるんでしょ。だったら、元の世界に戻してもらえませんかね」
すると、観音様が悲しげに首を横に振った。
「いや、あなたは死んでますよ。現世からこちらに転移した時点で、こちらのルールでは死人ということになっています。ただ生身を持ったまま来てしまったのがイレギュラーというだけで」
「じゃあ、俺は戻れないんですか?」
「私としては『そうだ』としか言えませんね。ただ、この世界のルールを決めているのは慈悲深い阿弥陀如来様ですので、イレギュラーに対する例外措置ということでなんとかしていただける可能性もごく僅かながらあります」
「だったら、阿弥陀様にお願いしてみますよ。どこに行けばいいですかね」
「どこかその辺にいらっしゃると思いますよ。適当に捜していればいつか見つかるでしょう」
へえ、そんなもんか、簡単だなと思いながら、俺は駆け出した。
ところが。
走っても走っても一向に阿弥陀様は見つからない。
そのうち、腹が減ってきてしまった。生身の身体というものはままならないものだ。走れば疲れるし、腹も減る。
(おや?)
急にどこからともなく食べ物のいい匂いが漂ってきた。
よし、まずは匂いのする方向を目指そう。阿弥陀様のことはこの際一旦置いておくことにする。
(おっ、あれは?)
白衣を着た男が鉄板の上でゲロのようなものを焼いている──そんな情景が目に飛び込んできた。あの「ゲロ」、形状のせいで「うまそう」とは全く思えないが、あれは絶対に食べ物の匂いだ。
矢も盾もたまらず俺は白衣の男の方へ駆け寄った。
なんかスゴい賢そうな人である。ありきたりの顔立ちなのに、雰囲気だけでなぜか賢いとわかってしまう。さぞや名のある人に違いない。
「これは食べ物ですよね?」
あいさつもそこそこに訊ねてみると、白衣の男は微笑みながら頷いた。
「もんじゅ焼きです」
「え?」
「もんじゃ焼き」なら聞いたことがあるが、「もんじゅ焼き」?
「もしやあなたは文殊菩薩ですか?」
「そうです」
「おいしそうですね。──いや、見た目じゃなく匂いが」
「匂いだけじゃなくってく、本当においしいんです。絶品ですよ。超高温の核の炎で焼いてますから、全体がパリっと焼けるんです。食べませんか」
え、核の炎?
「今日のプルトニウムは実にいい感じに核分裂してます。メチャクチャイケますよ」
きっと食べたら味だけじゃなく、別の意味でもマズイ気がする。お陀仏になりそうだ。
「いえ、生身の身体なもので、放射能の入ったものはちょっと」
「そう遠慮なさらずに。幾らでも増えますから」
おお、もんじゅ焼きが高速で増殖していく。ヤバそうなので俺は逃げた。
なんか危なかった。そうだ。阿弥陀様を捜そう。食欲に負けた俺は馬鹿だ。さっさと元の世界に戻ってから、腹一杯食べたらいいじゃないか。
俺は初心に戻った。
捜す、捜す、捜す。
走る、走る、走る。
おや、あれは観音様じゃないか。こんなに早く出くわすとは。誰かと会話しているぞ。相手は明らかに仏様だ。全身キラキラと輝いて後光が射している。もしや阿弥陀様か? 何を話しているんだろう。気になる。
「阿弥陀様。極楽鉄道でまた忘れ物なさったでしょう」
「おや、そうだったかな。何を忘れたんだろう」
「またまたお戯れを。例のブツですよ。薬師如来様と仏仏交換をするとおっしゃっていたではありませんか」
「ありゃ、あんな大事な物を忘れちまったか。わしも間抜けよのう。──で、どこに忘れてた?」
「網棚」
聞かない方がよかったかも。俺はたった今通り掛かったふりをして、二人に近づいた。
「観音様。またお会いしましたね。──ところでこの御方はもしかして阿弥陀様ではありませんか」
「ええ、その通り……」
「わしがアミダくじの語源の阿弥陀如来である」
観音様の言葉を遮って阿弥陀様が答えた。妙な自己紹介だ。
「わしに何の用だ?」
「実は……」
俺が自分の用件を言うと、阿弥陀様は瞑目した。
「うーむ。この世界のルールを作ったわしが自らルールを破るというのはなあ」
「無理ですか?」
「うーむ」
阿弥陀様はスマホっぽい物を懐から取り出して、何やら操作し始めた。
「おお、確かにお前は生身の身体で、寿命も当分あるな。──何か大義名分があれは、帰してやれるのだが。なかなか難しいな。わしは仏ゆえ、ウソやごまかしでその場を取り繕うことができんのだ」
はあ、と俺は溜息をついた。どうもダメっぽい感じだ。心の中で姉ちゃんに詫びを入れる。
「おや……」
スマホっぽい物の画面に目を落とした阿弥陀様が、突如表情を曇らせた。
「どうなさいました」
観音様が訊ねる。
「あの娘、歳の割には大層信心深い娘で、わしも気にかけておったのだが、今にも銀行強盗に殺されそうだ」
「なんですと?」
銀行強盗? もしや……。
「犯人は娘を人質に取ってはみたものの、一向に埒があかないのでやけくそ気味だ」
やっぱりこれはもう間違いない。
「なんとか助けてやりたいな。とはいえ、個人のためにわしが自ら動くのはルール違反」
阿弥陀様が観音様に目配せする。
観音様は即座に叫んだ。
「仏教の守護者たる不動明王よ、出でませい」
何もない空間から、鬼のような形相で巨大な剣を持った大男が忽然と現れた。
「地上に降りて、陰より密かに銀行強盗から信心深い娘を救うのだ」
観音様が不動明王に命じる。だが、なぜか不動明王は視線を彷徨わせ、戸惑った表情を見せた。
「そうか。そうだったな。お前は『不動』。文字通りの」
究極の見かけ倒しってことだな。
「ではこうしよう」
観音様が俺に向かって言った。
「お前に明王の力を臨時に与える。直ちに地上に行き、娘を救うのだ。──いいですね。阿弥陀様」
阿弥陀様はにこやかに微笑んだ。
というわけで、俺は今、急いであの銀行に向かっている。神通力による姿を消しての飛行は実にエキサイティングだ。──おっと、油断してたらスカイツリーにぶつかりそうになった。
この世に戻ってきたんだなあ、と実感する。
俺はこの世とあの世を往復した初めての人間になったわけだ。
すなわち「いき」「かえり」を経験した男。
続く




