第6話 初陣、そして覚醒
アリッサが目を覚ましテントから顔を出すと、兵たちが緊張した表情で装備を整えていた。その様子から魔物が出たことが容易に想像できる。テントから出ると、昨日の治療で使った魔力がまだ回復していないのか、手足に重りをつけているような重さを身体に感じた。
アリッサは重い身体で『あの人』を探す。異界より自分が呼び出しこれから戦場に向かう『あの人』を。
「レイトさん!」
「アリッサ! ちょうどいい所に」
レイトに手招きされ、兵の人込みの間を抜けて向かう、彼の横に居たのはシエルと同い年くらいの少年だった。来ている服はあちこち破れており、顔を伏せてレイトの服の裾を握って離そうとしない。
「この子を頼む。出撃した父親とはぐれたのが寂しいみたいでよ。傍に居てやってくれないか?」
「分かりました。こっちにおいで」
アリッサは少年の灰色の髪を優しく撫でると、レイトを掴む手をゆっくりはがした。剣を握れる平民も戦地へ送るような時代だ。もちろん優秀な者はより魔物領に近い場所で戦うことになる。
こんな後方に居る平民は、剣は握れても戦場にでれば死ぬ可能性が高い。それをこの子は理解していると、アリッサは少年の身体が小刻みに震えていることから察した。
「大丈夫。このお兄さんが全部やっつけてくれるから」
アリッサは笑顔でレイトを指差した。
「ホントに……?」
「ホントよ。お兄さんとっても強いんだから」
アリッサの笑顔に安心した少年の震えは止まっていた。兵の人込みからケロフが顔を出した。きっとレイトを迎えに来たのだろう。
「姫様はここにお残りください。しかし、もし魔物が防衛ラインを突破し場合は魔術による迎撃をお願いします」
「分かりました。2人とも気をつけて下さい」
「ああ。じゃあ、行ってくる」
レイトは返事をケロフは一礼すると、2人は人混みに消えて行った。何度、こうして人を見送りそして何人の人が帰ってこなかったのだろうか。今回の戦闘はアリッサが赴いた中では最悪の状況と言える。
いくら一番隊と言えど、魔物数は兵の数よりも圧倒的に多い。しかも、今回は後方のこの街を守らなければ意味は無い。遠距離から魔法使える自分が前線に出れば、戦況は少しはマシになるかもしれない。しかし、もしものことを考えるとそれは出来ない。
「姫様、どうしたの?」
少年が不安そうな顔で尋ねる。気付かない間に不安が顔に出ていたらしい。一国の姫である自分は皆に見られている。自分が不安な顔をすると周りが不安になる。悟られてはいけない、どんな時でも大丈夫だと、民には伝えなければいけない。それが自分の責務だと、アリッサは言い聞かせ笑顔を少年に向けた。
「なんでもありませんよ。さぁ、皆が避難している場所に行きましょう」
アリッサは少年の手を握るとゆっくりと歩き出した。大丈夫、きっとあの人は帰ってくると信じて。
レイトがケロフの後ろに乗馬し、街の門を出ると平原の奥ではすでに戦闘が始まっていた。斥候部隊と街から早く飛び出した兵たちだ。
戦場への距離が徐々に近づいていく、馬が走る度に上下に揺れ、その揺れは内臓を揺らし全身に広がる。胸の揺れはバカでかい心臓の音なのか、振動で揺れているのか分からなくなる。
「勇者様! 剣を抜いて下さい!」
ケロフに言われ腰にかけていたロングソードを鞘から抜いた。周りを並走する兵たちも同じように武器を手に取っている。魔物との距離が近づきその姿が目に見える。
「ゴブリンか?」
赤色の肌に棍棒や小剣を持った小さな鬼が、兵の周りを囲んでいる。鎧を着た騎士や剣や斧を持っただけの平民に対し、波状攻撃で襲いかかっていた。平民の男の1人がゴブリン3匹に足を払われ体勢を崩され囲まれた。今すぐ助けなければ一方的になぶり殺しにされる。
(クソ! 間に合わない!)
距離にして10mほどの遠さが長く感じる。ゴブリン達は手に持った武器を振り下ろした。鈍い音と男の悲鳴が聞こえる。男が泣こうが喚こうがゴブリン達は手を止めない。男をいたぶるその姿は愉悦を感じているようにも見える。
「これ以上はやらせない!」
ケロフが剣の攻撃範囲にゴブリン達が入ると素早く剣を振り下ろした。次々と到着する馬に乗った兵たちにゴブリンが蹂躙されていく。レイトも近づいてきたゴブリンに剣を突き刺した。思っていたよりも簡単に剣はゴブリンの身体を貫いた。
ゴブリンに攻撃されていた男の周りに居たゴブリンを殺し安全を確保する。男の安否を確認するためレイトは反射的に馬を下りていた。
「おい、あんた! 大丈夫か!?」
「あぁ……なんとかな……」
頭から大量の血を流し、腕は所々青紫色に腫れあがり内出血していることが分かる。きっと服で隠れた部分も同じような状態だろう。少なくともこの男は戦える状態じゃない。
「勇者様。その人は平民の者に任せて下さい。街まで行けばアリッサ様が治してくれます」
ケロフが冷静な口調で言った。
「俺が連れて行く方が早い! 早くしないと手遅れになる!」
男の頭部からの出血はかなり多い。意識がもうほとんどないのか、目の焦点が合っていない。このままでは出血で死ぬことはレイトでも察しがついた。
「魔物は次々来ます! 戦えるあなたが離れるのは……」
突然ケロフの馬が大きくバランスを崩した。ケロフが地面に投げつけられるが、受身を取り素早く立ち上がる。
「ダイヤウルフか!」
ケロフの視線の先には白い毛並みを持ったオオカミがいた。レイトとの会話に気を取られている間に馬に体当たりをしたらしい。ケロフの馬にはすでにダイヤウルフたちの牙が首筋に刺さっていた。
レイトが周りを見渡すとダイヤウルフが10匹以上、こちらに鋭い眼光を向けており。顔をあげ奥を見ると、馬に乗った兵たちが前線で魔物たちと戦っている。ダイヤウルフはその兵たちを抜けて、比較的後衛のこの場所に辿り着いたらしい。
(機動力があるってことか)
さっきのゴブリンと言い、小さな魔物は上手く兵同士の隙間を抜けて行くようだ。おかげで後方に組み込まれている平民たちが怪我を負ってしまった。
「これ以上、好きにさせるかよ!!」
レイトはダイヤウルフたちに向かって構える。ケロフも背中合わせに剣を構える。ダイヤウルフの一匹がレイトに向かって飛び出してきた。レイトは視線をダイヤウルフの身体に集中させる。
ジワっとした温かさが目のあたりに広がる、魔力による動体視力の強化は視界をスローにさせる。ガノの動きに比べれば魔物の動きは直線的で、フェイントなどの駆け引きも無い。見えたそのままの動きで突っ込んで来るだけだ。
剣を、飛びついてくるダイヤウルフたちの顔に正確に突き刺す。時折横から飛びついてくるやつには、振り払うように剣を首と身体の位置に正確に入れる。剣を振りきるとダイヤウルフの首が宙へ舞った。ケロフも同じように飛びついてくるダイヤウルフを剣で迎撃している。しかし、これでは後手に回ってしまう。
(早くこの人を連れ行かないと!)
何匹かダイヤウルフを殺すと、周りを囲んでいた魔物らの包囲網に隙間が出来た。そして、その先には武器を手に取り、こちらに援護に向かってくる数人の平民たちの姿があった。
「ケロフ! 少し場を離れる!」
レイトは怪我をした平民の男は抱えると、足に魔力を集中させ地面を強く蹴った。爆発的な早さを得た足は、一瞬で包囲網を抜けて、援護に来ていた平民たちの元へと辿り着いた。
「うおおお!! あんた今の移動速度凄いな! 一体何者だ!!?」
平民の1人が驚いているが、そんな悠長な事を言っている場合ではない。後ろからは獲物を逃がすわけにはいかないと言わんばかりに、ダイヤウルフが追いかけて来る。そして、前線からは再び兵の隙間を抜けたゴブリン達が向かって来ている。
「この人を街まで連れて行ってくれ。頭を怪我しているから慎重に頼む」
平民たちに怪我をした男を預け、身体を反転させ魔物と相対する。
「ここは俺が食い止める! 行け!!」
怪我人を受け取った数人の平民たちは、街へと急いで後退を始めた。レイトは飛びついて来たダイヤウルフの首筋を剣で叩き切った。空中で首と身体が分離したダイヤウルフは、飛びついて来た勢いそのままにレイトの後方へ落下した。
「はぁ……はぁ……」
レイトはこの時、初めて自分の呼吸が乱れていることに気がついた。初めて出る戦場の緊張感は、自分の体力を想像以上の速度で奪ってゆく。しかし、勢いに任せて剣をふるっていたさっきまでは気付かなかった。レイトは今、初めて自分が冷静さを取り戻していることに気がついた。
(落ちつけ、もっと集中して魔力を操作するんだ。感情が昂れば魔力の操作が雑になるぞ)
レイトがダイヤウルフ数匹と向き合う頭上を何かが通過した。人のような顔に鳥の姿、その歌声で人を惑わすハ―ピーだ。頭上を通過した3匹のハ―ピーはさきほどレイトが後退を頼んだ平民たちの元へ。
(まずい! 助けに行かないと!)
レイトがハ―ピーたちに身体を向ける。それは同時にダイヤウルフたちに背を向けると言うこと。ダイヤウルフはチャンス言わんばかりに全匹がレイトに向かって走ってきた。後方からなら殺せると思ったのだろう。
「なめんな!!」
レイトはハ―ピーたちの方に踏み出した足で強く地面を蹴り後方に飛んだ。ダイヤウルフたちはレイトのスピードについて来られない。目の前に居たはずの獲物が気がつくと居ない。
一瞬の気の迷いで動きが止まる。レイトはそれを見逃さなかった、ダイヤウルフの後方に移動すると、続けて両足に溜めた魔力を解放する。第3者から見れば瞬間移動したと錯覚するほどの速度で、足を止めたダイヤウルフたちの首を切り落とす。
「これでラストぉ!」
最後の一匹の首を切り落とす。足を止めて顔をあげた時だった、レイトの視界の端に空中から近づく何かの影が見えた。それは確実にレイトの方へと向かってくる。横に飛びローリングで回避した。素早く立ち上がり、落ちて来た何かを見るとそれは動かなくなった人だった。
「助けてくれぇぇぇ!!」
上の方から男の声がした。見上げるとハ―ピーが平民の1人を足で掴んでいる。ハ―ピーはその男の首筋に噛みついた。男の首から赤い噴水が吹き出し、足をばたつかせた男は次第に動かなくなっていった。男が死んだことを確認したハ―ピーはそれをレイトの方へと投げつけて来た。
回避するのは造作も無いことだが、他の2匹も同じようにすでに殺した人を足に持っている。レイトが怪我人を頼んだ平民たちはすでにハ―ピーに殺され怪我人の男もハ―ピーに殺されていた。
人を足に持ったハ―ピー2匹がレイトに向かって人を投げた。レイトがそれを避けると、グシャッとグロテスクな音を立てて肉の塊は離散した。すでに人としての原型を止めておらず、誰が死んだのかを確認することができない。
(こんなに簡単に人って死んでいいのか……?)
さっき会話をしていた人たちが魔物の攻撃の道具として殺され、まるでゴミを捨てるかのように放り投げられた。少し離れた前線からも悲鳴に似た叫びと魔物の唸り声が聞こえる。重苦しい雰囲気漂う戦場で命はあまりにも軽い。
「勇者様! 避けて下さい!」
ケロフの声が後ろから聞こえた。レイトが横に飛ぶと飛んできた槍がハ―ピーを2匹撃ち落とした。そして、レイトは2匹の突然の死に動揺したのか、動きが一瞬だけ止まったハ―ピーに向かってジャンプした。首を切り、空中でハ―ピーが分解し地面に落ちた。軽やかに着地したレイトにケロフが駆け寄る。
「勇者様、大丈夫ですか?」
「ああ……大丈夫だ」
ケロフが先ほどまで居た場所にはゴブリンの死体がある。前線から来たゴブリンは全て彼が倒したのだろう。
「なぁ、ケロフ。こんな、簡単に人って死んでもいいのか?」
「……口惜しいですが、これが私たちの現状です。前線を援護に向かいましょう」
ケロフは冷静だった。彼にとってこれは戦場の日常なのだ。人がごみのように扱われ死んでゆく。これがこの世界での普通なのだ。
現実が甘くない事はなんとなく理解していた。しかし、今の惨状を目の当たりにし、レイトは自分には何も変えられないと悟る。目の間で無残に殺される数人を救えない自分が、この戦いを終わらせることなど無理だと。
(でも、魔物は殺せる)
自分に出来ることは一匹でも多くの魔物を狩ることだと、言い聞かせレイトはケロフと共に前線へと急ぐ。魔物を迎え撃っている前線でも、兵の負傷者が出ており防衛線には穴が空いている状態だった。その間を抜けて高さ数10mはあろうかという大きな魔物がレイトたちの方に向かって飛び出してきた。
「サイクロプス!」
横に居るケロフが叫んだ。一つ目に口から飛び出した牙の迫力は、思わずたじろいでしまうほど、しかし、大型の魔物のこれ以上の侵攻は許してはならない。レイトとケロフは剣を握ったままサイクロプスへと突っ込んでゆく。
「勇者様! サイクロプスは力は凄まじいですが、知能は低い。攻撃を回避し体勢を私が崩します! その隙に弱点の目を攻撃してください!」
「了解!!」
サイクロプスが手に持った、こん棒を振り上げた。地面に並行に振り、レイトとケロフを同時に狙ってくる。レイトがジャンプしこん棒をかわす。ケロフも同じように回避しようとしたその瞬間だった。
サイクロプスの足もとからダイヤウルフが飛び出してきた。ケロフはダイヤウルフに噛みつかれると体勢を崩し、ジャンプするタイミングを逃した。サイクロプスの手はもちろん止まらず、ダイヤウルフごとケロフをこん棒で叩いた。
「ケロフ!!」
ケロフが宙に吹き飛ばされ、糸の切れた人形のように地面に叩きつけられる。レイトは地面に着地すると同時に地面を蹴り、ケロフの方へと向かう。彼の身体を起こし呼びかける。
「ケロフ! 大丈夫か!!?」
「……なんとか……」
消えそうな声で答える彼だが、左腕は本来曲がらない方に曲がっており、腹部からは大量の血が流れている。このままでは間違いなく助からない。今すぐにでも街に戻りアリッサの治療を受ける以外は。
「すぐに街に連れて行ってやる! だからしっかりしろ!」
「無理ですよ……自分が死ぬくらい分かります……」
「バカなこと言うな! 絶対助かる! 助けてやる! だから、気をしっかり持て!!」
レイトはケロフを背負おうために立ちあがろうとすると、ケロフが唯一動く右手を伸ばしてきた。レイトはその手を強く握った。
「勇者様……私の家族を……みんなを……守ってくださいね……あと、勇者様まで死んで……姫様を……泣かしちゃ……ダメ……ですよ」
「分かった、分かったから、それ以上しゃべるなっ」
レイトは手を強く力を込めて握る。神がいるのなら今、目の前に居るこの人を助けてほしいとさえ思った。目から熱いモノが溢れ頬を伝う。こっちの世界に来て始めて出来た同性の友人と呼ぶべき存在。この残酷な世界はそれすらもいとも簡単に奪ってゆく。
「泣いて……くれるんですね……ありがとう……ござ……」
ケロフの手がレイトの手から零れ落ちた。若い兵は戦場でその命を散らした。レイトはさっきまでケロフの手を握っていた自分の手を見る。その手はケロフの血で赤く染まっていた。微かに残ったケロフの手の温もりはもう2度と感じることはない。
(なんで……? さっきまで、普通に話していたのに……)
呆然とするレイトの背後からサイクロプスが近づいてくる。レイトが首を反転させるとサイクロプスと目があった。ケロフを殺した魔物は次の獲物をレイトに定めたらしい。久しぶりの狩りに興奮しているのか、口からは荒い息が零れている。
「ふざけやがって……!」
レイトはゆっくりと立ち上がる。ケロフを失った悲しみが目の前に居る醜い魔物への憎悪に変わる。その憎悪が確かな殺意へと変わる。
「グアァアアアアア!!」
サイクロプスが全身が軋むほどの雄叫びをあげ、こん棒を振り上げた。レイトはそれをじっと見つめる。余裕などではなく、頭の中からの声に気を取られているからだ。
――目の前のこいつが憎い?
憎い、今すぐにでも殺してやりたいほどに。
――なら、力を使うといい。目の前の全てを破壊する君の力を
頭の中の声が消えた。その瞬間、レイトの中で何かが弾けた。身体の中から感じる力は黒い球体をレイトの目の前に創りだす。そして、その球体はこん棒を持ったサイクロプスの腕へと飛んでゆく。サイクロプスは意にも介さず腕を振り下ろすが、腕がその黒い球体に触れた瞬間だった。
「ガアア!!?」
こん棒持った腕は黒い球体に喰われた。消失したと言っても過言ではない。レイトが創りだした黒い球体は、触れたサイクロプスの腕を飲み込んだ。突然、自分の腕が無くなったサイクロプスは、目の前にいる小さな人間に本能的に畏怖を覚えた。この人間は危険だと。
「消え失せろ!」
レイトが手をサイクロプスに向けると、黒い球体はサイクロプスの顔面を飲み込んだ。頭部失ったサイクロプスは赤い噴水を空中にぶちまけ、ゆっくりと倒れた。役目を終えた黒い球体はその姿を消す。
レイトは確信する。今の黒い球体は自分の力だと、全てを破壊する力。これがあれば魔物たちを殺せる。覚醒した力を携えて、レイトは地面を蹴った。前線に残る魔物の全てを消し去るために。