第7話 戦場の余韻
街に残るアリッサの元へ怪我をした平民や兵が次から次へと運ばれてくる。応急措置を次々に済ませてゆくが勢いは一向に止まる所を知らない。幸いなことに防衛線を突破し街まで到達する魔物は今の所、居ないため救護に集中できている。
「怪我人が多すぎる……」
今、運ばれてきた怪我人の治療を終え、街の外を見ると怪我をした人を担ぐ兵の姿があちこちに見える。その遠くを見ると大きな魔物と戦う兵と武器を持った平民の姿が見える。今、ケロフとレイトが何処に居るのかはここからは確認できない。
「自分のことに集中しないと」
アリッサが運ばれてくるであろう新たな怪我人に対処するため街の広場に行こうと踵を返した時だった。同じように街の外を見ていた兵の1人が叫んだ。
「おい! なんだあれ!!」
声につられ街の外を見ると黒い波のようなものが魔物たちを飲み込んでゆく。黒い物体が通った後に魔物は姿はなし。次々と魔物を飲み込むその黒い波は全ての魔物を飲み込んでしまった。
魔物の後方から援軍の隊が来るのはまだ早すぎる。なにより、あんな魔法は見たことが無い。もし、1人が使っているとしたら魔物を一瞬で殲滅するだけの規模を発動する負担は計り知れない。しかし、なにはともあれ魔物の殲滅は完了した。謎の黒い魔法のお陰で。
防衛線へと出向いていた兵たちが次から次へと街に帰還する。戦っていた兵たちはまだ動けるので治療は後回しでかまわないとアリッサは考えた。先に運ばれてきていた怪我人の治療をしようと広場に降りた時だった。1人の兵が人混みをかき分け広場に飛び込んできた。
「姫様!! この方から治療をお願いします!!」
兵は肩に担ぐ男を指差した。黒い髪を持った少年を。
「レイトさん!?」
近くの兵の手を借りレイトを仰向けで寝かせるとすぐに魔法かけるが外傷が何処にも見当たらない。
「何処を怪我したのですか?」
「分からないんです! 魔法を使って魔物を殲滅し終わった途端に倒れてしまって……この人が居なかったら私たちはどうなっていたか分かりません! お願いです! 助けて下さい!!」
男の兵は頭を下げる。もちろん、アリッサも助けたいが何故レイトが倒れているか分からないので何処を治せばいいのか分からない。魔力切れを起こしたのであれば自然と回復するがレイトとの呼吸は時間を増すごとに弱くなっていく。戦場で数々の怪我を治療し人の死を見て来たアリッサの勘ではこのまま放置すればレイトは死ぬ。
(仕方ありませんね……)
アリッサは魔法を全面開放した。彼女を中心に半透明の球が造り出される。円内にいる者の脳と心臓以外を再生させ外傷や体内のダメージも完全に回復させるアリッサの本気の魔法だ。当然消耗が大きく滅多に使うことはないのだが、レイトを失うわけにはいかず身体の何処にダメージを受けて意識を失っているのか分からない今の状況では全力で治す以外方法が無かった。
「レイトさん、死なないで下さいね」
「なんだこれは……」
昼時。四番隊隊長、フロリー・サスバルトは褐色の髪を揺らし呟いた。馬に乗る彼女が街の防衛の任で目的地にたどり着くと魔物たちの姿はなく平原には謎のクレーターが数個残されていた。今回は緊急の事態だったため王都から魔術師は出せず、その代わりに彼女が率いる四番隊が合流する予定だった。にも関わらず今目の前に広がるクレーターは魔法以外ありえない。
街に入ると一番隊の兵が報告をしてきた。事の顛末を聞いたフロリーはアリッサがいることには驚いたが、それ以上に勇者1人で戦闘を終わらせたことにはさらに驚きを隠せなかった。怪我人や街の補強でせわしく人が動きまわる広場に辿り着くと部下の兵たちに食料など配給を命じ、自分はアリッサを探した。
一番隊の兵の案内でアリッサが居る小屋に着いた。中には初めて見る黒髪の少年がベッドに横になっておりその隣でアリッサが魔法で治療していた。
「誰ですか?」
アリッサは魔法の治療に専念しており顔をこちらに向けない、
「四番隊隊長。フロリー・サスバルトです」
「ご苦労様です」
ベッドに近づき黒髪の少年を見る。目立った外傷は見当たらず顔色も悪くない。正直、アリッサが付きっきりで診るほどの容体とは思えなかった。
「魔法を控えても大丈夫なのでは?」
「もうすぐ終わります。少し脳にダメージを受けていたみたいで時間がかかりました」
「……この者が勇者ですか?」
「はい。レイトって言うんですよ」
「こんな少年が魔物を全滅させたのですか」
「そのようですね。凄い魔法の分、反動が大きかったみたいですけど、命に別状がなくて安心しました」
横顔で微笑む姿はまさに「女神」そのものだ。アリッサが魔法を解除すると息をゆっくり吐いた。広場に居た怪我人の数が多いことから戦闘中から今まで魔法を使い続けていたに違いない。魔力の多い王族とはいえ相当消耗していることは容易に想像できる。
「アリッサ様、少しお休みになられては?」
「私はここに居ます。フロリーも自身の仕事に戻っていただいて構いませんよ」
「仕事はすでに部下に任せております。それよりもアリッサ様の体調が心配です」
フロリーは部屋の壁にもたれかかった。アリッサはベッドの脇にある椅子に座ると眠気が来たのか首が上下に動き始めた。数分後アリッサはベッドに伏せて眠ってしまった。一国の姫とは思えないほど無防備な姿に思わず苦笑してしまう。
(もう少し、姫として自覚を持ってほしいものだな)
「ん?」
レイトの視界に知らない天井が飛び込んできた。何故、自分がここに居るのか記憶が曖昧だ。戦場に出て戦った記憶はある。そして、ケロフが死んだ。
「あー、嫌なこと思い出した」
レイトは掌で顔を覆った。人が死んだ記憶などあまり覚えていたくはないが初めての戦場の記憶は強烈に刻まれている。
地鳴りがするほどの魔物の足音、飛び散る血の匂いと魔物を殺した時の手の感触。そして、人の悲鳴と魔物の叫び声が鼓膜を震わせる。
目を横に移すと蒼い髪を持った少女が肩をゆっくり上下に動かし眠っていた。ここにアリッサが居るのはきっと自分に魔法をかけてくれていたのだろう。レイトが身体を起こすと褐色の髪を持つ鎧を着た女性と目があった。
「体調はどうだ?」
「問題ないです。あなたは?」
「フロリー・サスバルト。四番隊隊長だ」
彼女は強気な物言いでレイトの傍に来た。歳は30半ばのフロリーは実際の年よりも見た目が若い。ポニーテールに束ねた髪を揺らしレイトの顔をじっと見つめる。
「貴様、年齢は?」
「17だけど?」
「若過ぎる……ヌーイより年下とは」
彼女はイラついたようで言った。レイトにイラついたと言うよりヌーイと呼ばれる人にイラついた様子だった。レイトから離れ彼女は壁にもたれた。
「ヌーイって誰?」
「生きていればその内会える。あの軽薄な男とな」
(その人のことどんだけ嫌いなんだよ)
「アリッサ様に感謝するのだな。貴様に付きっきりで診ていたのだからな」
少し上から目線の言葉遣いにいらっとしたが、フロリーの言葉は正しい。戦闘中もきっと怪我人たちを治していて疲労もたまっていたのに治してくれたのだ。感謝しなければバチが当たってしまう。
「分かってるよ」
「ならいい。今後だがあたしは今から、王都へ向かう。貴様はここでアリッサ様と回復に努めておけ。上には上手く話しておく」
「……ゆっくりなんて出来ないな」
レイトは知った。この世界では日常的に人が死ぬ。今この時すら何処かでは魔物と戦い死んでいる人がいるかもしれない。自分には戦いそして生き残る力がある、自分が多く戦えば助かる命も多くなるかもしれない。
「貴様の意気込みは買うが、まずは休め。話はそこからだ」
フロリーは小屋から出て行った。レイトは眠りにつくアリッサを起こさないように静かに抱えた、アリッサの寝顔に少しだけ理性が揺れたがぐっとこらえ彼女をベッドに寝かした。
外に出ると夕食時だったのか食欲をそそる匂いが鼻孔に飛び込んだ。山の向こうに沈む夕日を浴びながらレイトは匂いのする方へと足を進める。街の広場に着くと兵たちが街の人たちに食事を提供している。担当でない兵たちも同じように広場に座り食事をとっていた。
レイトに気がついた兵の1人が食事を持ってきてくれた。いつの間にこれだけの食料を用意したのか聞くと四番隊が持ってきたものだそうだ。
魔物は殺せば食べられるモノが多く、人は減り魔物を殺す数は増えているので戦闘後の食料には困らないらしい。今回はレイトが跡形も無く魔物を消してしまったので全て四番隊があらかじめ持っていたストックだった。
「ありがとう」
そう言って、兵から焼いた骨付きの肉を貰うと広場にある水の出ていない噴水に腰掛けた。肉を食べてお腹の空腹を満たしてゆく。
「勇者様、隣座っていい?」
顔をあげるとそこには出撃前にレイトの服を掴んでは離さなかった少年が居た。レイトと同じように肉を手に持ち、手足には小さな擦り傷がついていた。
「もちろん。俺の隣でよければな」
少年は隣に座ると肉を食べ始めた。
「街を助けてくれありがとう」
唐突な少年の言葉に驚く、ポカンとするレイトに少年は続ける。
「父さんが言ってた。勇者様が魔物を全部倒してくれたって」
とりあえず、この子の父親が戦場から生還していてホッとする。親を失う気持ちはよく分かる。事実、レイトの目の前で殺された人たちには妻や子供が居る人もいただろう。
その人たちからすれば見殺ししたと思われても仕方ないと思っていた。どんな言い訳をしようと彼らを助けることが出来なかったのは事実なのだから。
「助けられなかった人もいるけどな」
「でも、助かった人もいる。皆、言ってるよ。助かったのは勇者様のお陰だって」
少年は笑みを浮かべた。この子にとって皆が噂している勇者と知り合いという優越感がそうさせているのだろう。この少年からしたらレイトはヒーローであり、英雄そのものだった。
「だから、ありがとう勇者様」
他人からの感謝、それはレイトの心にしっかりと刻み込まれた。この少年のように後に続く世代にこんな世の中は経験して欲しくない、自分たちの代でこの戦いを終わらせなければいけないとレイトは強く思った。