第七十五話 大異変
ローム王国領のとある場所。エイドアの付近にある小さな町が、現在たった一人の賊によって、かなり危険な状態であった。
「さっさと積みな! もたもたしてると、百人ぐらいぶっ殺すぞ!」
ちょっといった感じの女性の声が、町の中央の広場に響き渡る。
石造りの家や倉庫が建ち並び、地面には少し壊れていて、近々修復が必要そうな石造り歩道が、町の各地を通っている。その歩道が蜘蛛の巣のように引かれ、町の中心の広場に集まるのだが、そこでは大がかり積み込みが行われている。
何台もの輸送用の馬車が広場に集められ、そこに何人もの男達が、食糧や機械・金品などの物資を次々と詰め込んでいる。その様子はまるで大がかりな引っ越し作業のようだ。馬車の数と大きさから、いったい何家族分の荷物が運び出されるのだろう?
だが荷物の運び出しを行っている男達の表情は優れない。怒りを滲ませている者や、何か悔しいのか涙目の者もいる。
彼らは別に好きで、このようなことをしているのではない。更に言えば、今この村は普段と比べると、異常に静かであった。
今作業を行っている者を除けば、町内を外出している者は一人もいない。この時間帯だと人が賑わっているだろう商店街もガラガラだ。全ての店が閉まっているか、店頭に人がいない状態である。この街の人間はどこに行ってしまったのだろうか?
正解は別にどこにも行っていない。皆家の中にいる。ただし単に引き籠もっているわけではない。
朝頃からこの町の住人達のほとんどが、原因不明の熱病に冒された。少しずつ感染が広がったのではなく、数千人の町民達が、同時に一斉に熱にうなされて苦しみだしたのだ。疫病にしても妙な話である。
その後すぐに、その原因を教えてくれる者が現れた。ただし親切で教えてくれたのではない。自分たちが病気を振りまいた張本人だと名乗り出たのだ。
(クソが・・・・・・まさかこんな形で稼がなきゃ行けないとはね・・・・・・まあいいか、チャンスではあったし)
広場の中で、一人だけ作業を手伝っておらず、病気にもかかっていない一人の女性。それは髑髏印の黒いローブを着た一人の女呪術士=シンシアであった。
少し前にエイドアでガンガル派に護衛として雇われていながら、彼らを裏切ってガンガル派を全滅させた女性。
彼女はこの後で、ローム王室から多額の報酬を貰う予定であった。だがその予定は、不測の事態で大きく狂わされた。何しろ契約相手のローム王国が、僅か一日で崩壊してしまったのだ。
王都では、民衆の怒りを買った、大勢の勇者と貴族達の死骸が転がりまくり、国王は失踪した。そして王城や、王国の主要施設では、民衆の大規模な略奪が繰り返されている。
その上、今城の方には、あの最悪の敵であるゲドが在住中であるというのだ。シンシアにとっては、こんな危険な状態で、王都に近づける筈がない。本当はもう、本人は国外に出てしまったのだが、そこまで情報は回っていない。
だが同時にこれはもしかしたらチャンスだったのではないかと、シンシアは考え出した。
王室とガンガル派、この国を支える勢力が、この数日で両方消えてしまったのだ。この国はしばらくの間、国家としての機能を果たせない。いや、もしかしたらしばらくではなく永遠かも知れないが。
だとしたら自分がどれだけ犯罪を実行しても、国がまともに自分を追ってこないだろう。今国中が大変で、たった一人のならず者など構ってられないのだから。しかもライバル相手であった勇者達は、大部分が王都に集まったところを、ゲドに一網打尽にされている。
これほど略奪を行いやすい環境はない。彼女は呪術を使って、この町の人間のほとんどを熱病で苦しむ呪いをかけた。
そして一部の町民に、この街の財の全てを要求した。言うことを聞かなければ、このまま町民を皆殺しにするぞと。
馬車の荷物も満杯になり、そろそろこれを持って、町を出ようかと思った辺りであった。
「うん? ・・・・・・・・・うぐっ!?」
シンシアは全身から異様な脱力感を味わい、思わず変な声を上げる。魔力を一気に使いすぎて起こる症状にとても似ている。
今現在町の人間の呪いで大分力を使っているが、唐突にこれほどの魔力欠乏など、普通ではない。
(何だっていうんだ、いったい?)
急に現れた脱力感は、これまた急におさまった。突然の症状にシンシアは訳が分からない。だが違和感が少しある。
(何だ? いつもより身体が重いような? それに魔力が・・・・・・)
しばらくして町がざわめきだした。町に何かが現れたのではない。今まで家の中で寝込んでいた人々が、次々と外に出てきたのだ。
今までゴーストタウンのように静かだったこの地が、急に以前の賑やかさを取り戻す。ただしいつもと違って、人々の服装は大部分が寝間着であり、人々の話し声はほとんどが戸惑いの声である。さっきまで重病人のようだったのが嘘のように、皆以前以上の健康な様子である。
これにはシンシアも、さっきまで荷物の運び出しをしていた者達も、訳が分からず呆然としている。
「呪術が解けたのか!? 何故だ!? 私は解呪などしていないぞ!?」
事態が呑み込めないシンシアがそう叫ぶ。それを横で聞いた男達は、戸惑いながらもシンシアに敵意の目を向き直す。
「何だお前らその目は!? こんなもん、もう一度かけ直せばいいんだよ!」
再び町に呪いをかけようと、シンシアは魔導杖を天にかざし、再び大がかりな呪術を使おうとする。
それに気づいた男達の一人が、馬車に積んであった武具の中から一本の剣を抜き、シンシアに斬りかかった。
「させるかぁ!」
特攻覚悟で町民がシンシアに突撃し、彼女に剣を振る。通常ならば、男はシンシアに手も足も出ずに、結界で弾かれるか、魔法で吹き飛ばされるかするだろう。
実際シンシアは、熱病の呪術を右手の魔導杖から放とうとする一方、魔導杖を持っていない左手を突き出して、男を攻撃魔法で返り討ちにしようとする。だが・・・・・・
「がっ!?」
シンシアの短くも痛ましい悲鳴が鳴る。シンシアの左手から、魔法は一切出てこなかった。
それどころが最初に魔力を込めたはずの魔導杖にも、何の変化も起きていない。杖どころかシンシアの身体からは、魔力など欠片も流れ出ていないのである。
そして障害となる物が何もない町民の剣は、シンシアの身体を切り裂いた。自分に攻撃を加えようとした彼女の左掌に刃が振り下ろされ、彼女の人差し指と中指の間の肉がスッパリと切り裂かれ、血しぶきが飛んで、町民の顔と剣を赤く濡らす。
敵に確かな手応えを与えた町民。だが町民は、手を斬られてのたうちまわるシンシアの姿に、喜びよりも困惑の感情の方が大きかった。
無駄だろうと思いながらも、最後のあがきと加えた攻撃が、想像を絶するほど効いてしまったのだ。いった何が起こったというか?
見ると外に出た町民の一部の者達が、この広場に近づいてきている。広場から道の向こう側を見ると、剣や包丁などの凶器を持って、敵意バリバリでこっちに近づいてきている者もいるのだ。
「くそっ! 死ねぇ! はぁ!」
彼女は何とか痛みから起き上がり、自分に敵意を向ける町民達に、魔法を放とうとする。だがどんなに集中して魔力を練っても、魔法は一切発射されなかった。
魔導杖の調子が悪いのかと、右掌をそのまま突き出して撃とうとしても無駄だった。いや、そもそも彼女の身体から練り出すような魔力など、一切放出されてこない。
何が起こったのか判らないが、たった今シンシアは、魔力を完全に失っていた。基礎身体能力も大幅に落ちて、ちょっと鍛えた程度の普通の女性と変わらないレベルになっている。
呪術士のエリートであり、多くの裏の世界でそれなりに名を馳せたシンシアは、今この場では、無能力の普通の人間に成り果ててしまっていた。
・・・・・・・・・そしてそれはこの世界において、シンシアに限って起きた現象ではなかった。
場所は戻ってギール王国のビッグアリゲーター。この街ではある話が人々に急速に広がり騒がせていた。
「それマジなの? 異界魔の大群がこっちにきてるって?」
「聞いた話じゃ、その数は数億とか。本当だったらマジ終わりだな・・・・・・」
「バッカ見てえ。出てきてすぐ死ぬ奴が、どうやって海を渡るんだよ。本当だったとしても、すぐ死んで死骸の山を作るだけだぜ」
「だとしたら、異界魔の死体が山ほどこっちの海に流れてくるかもな。それだと素材取り放題でいいんだがな」
「俺の知り合いの漁師に聞いてみるぜ。異界魔の死体が網に引っかかってないか」
コウキの言うとおり、異界魔の大群の話は、人々の間に急に広がっていった。話の発信源であるサトルとミカヅキの故郷は、この王都から大分離れている。
にもかかわらず、僅か一日足らずでこっちまで広がっている。これは別にサトルが口を割っただけが原因ではない。
ミカヅキがかつて仕えていた領主にこの話を伝えて、国に調査を誓願し、それが今日ニュースとして取り上げられたのだ。問題だったのはサトルではなく、国側に顔が利くミカヅキに、あの話を聞かせたことだったのかも知れない。
ゲド達一行が町を出ると、あちらこちらで人間や幽霊達が、この話で盛り上がっているのが聞こえてくる。
一応は重大な情報を、いち早く人々に伝えることが出来たわけであるが。
だがその様子にゲドは少し苛立っているようであった。いやゲドだけではなく、他の仲間達も少なからず、不愉快な感情を出している。
「何で町はこんなに平穏なんだよ? こんな話が広がったら、普通はパニックになるもんじゃないのか?」
この話題を出している者達には、全くと言っていいほど、事態を恐れている様子はない。まるで面白い世間話と同じレベルで、口調は軽いものだ。
多少は恐怖を感じている者もいたが、それは本当にちょっと不安というレベルで、自分の家が壊されないかとか、実に些細な事を気にしている。
「これはギール王国に限った話じゃないでしょう? 皆さんが今まで廻っていた国々だって、多分似たような感じじゃないかと?」
陽子の回答は尤もである。異界魔という異質な存在の出没を、ローム王国は戦争を仕掛ける口実にして、当の問題を何一つ真剣に取り組まなかった。
民衆も異界魔よりも、戦争をきっかけに増大した勇者達の方を、何よりも恐れていたのだ。フライド王国は領内に、今までにない最強レベルの異界魔が現れたが、国は問題の解決を全てゲドに丸投げしていた。
ギール王国は、一応対策らしいことはしていたが、それは異世界の国を侵略して、この世界から逃げるというものであった。
元々の領土を捨てるという判断は仕方ないにしても、己のプライドを立てて、侵略という傲慢な行動に出るのはいかがなものだろうか?
「僕も同じかも。学校でも新聞でも、異界魔の事なんてあんまり大きく取り上げられなかったし、何か前から変な生き物が出てきてるんだな、てぐらいで、それが世界の危機だなんて考えもしなかったし」
「私もおんなじ。異界魔に対向するための授業なんてなかったし、そもそも異界魔なんて一度も見たことなかったし」
「まあ、いきなり出てきてすぐ死ぬような奴らだしね・・・・・・。そいつをどうするかよりも死んだ奴からの素材取りの方が、重要に見られていた気がするわ」
異界魔の脅威に対する大衆の反応の違和感は、これまで何度も感じていた。だがここに来て、自分たちもゲドの旅に付き合うまでは、同じような状態だったことに気づく。
「まあそういうものでしょうね。私の世界では、人口密度と、時間の流れでワールドビーストの発生数が増えてきたおかげで、犠牲者が沢山出て結構騒ぎになってました。
でも鉄鬼が導入されてからは、結構皆お気楽になってた気がします。そのうちどうにかなる。誰かがどうにかしてくれるって感じで・・・・・・」
その時一行の頭上から、大きな影が差し込んできた。一行を照らす太陽の光が急に薄くなり、一瞬視界が少し暗くなる。だがそれは本当に一瞬で、すぐに視界は明るくなる。
天を眺めると、空を飛ぶ大きな生き物が、自分たちの頭上200メートルぐらいの低空を、ゆっくりと通過したのが判った。いやそれは正確には生き物ではなく、元生き物である。
ゲド達の上を横切ったのは、いくつかの袋に詰めた荷物と、一人の人間を乗せた一頭のグリフォンだ。
言われないと判らないが、このグリフォンは霊術によって実体化した死霊である。
グリフォンなどの飛行生物を飼育して、空路に利用することは、この世界は別段珍しくない。だがこの国では、生きている物を飼うよりも、死霊を霊術で操った方がコストが安いと、こういうゴーストモンスターが多く活用されている。
今日この日も、ギール王国のどこの都市でも、多くの死霊達が、生者達と一緒に仲良く町を歩いている。
ギールでは当たり前で、ゲド達も少しずつ見慣れてきた光景。
・・・・・・だがこの光景は、今日を以て、終わりを告げた。
「何か、やな感じがするな」
「あまり気にしない方がいいわよ。今は私達だけでも、異界魔のことを考えましょう」
「いや、そういうことじゃなくて、何だか嫌な空気が、街中に流れてる感じがするんだよ・・・・・・」
ゲドの返答に、一行は周囲を見渡すが、別段変わりない、いつもの街である。
「何だかさ・・・・・・前にカイに初めて会ったときの感じに似てるような・・・・・・」
「僕と? 何かあったっけ?」
意図が判らず、一行が首を傾げている間に、事は起こった。
「姉さんどうしたの?」
『判らない。何だか力が抜けてくような・・・・・・』
ゲド達のすぐ傍を、二人の女性が通り抜けようとしていた。一人は20歳ぐらいで、服装はどこかの売店の制服と思われるものだった。もう一人は10歳ぐらいの幼い少女で、サイズは小さいが、もう一人と同じ制服を着ていた。
年上の女性は生者であったが、幼い少女の方は、身体が少し透けており死霊であるようだ。身なりからして、恐らく仕事の途中で、買い出しにでも出たのだろう。
二人とも顔立ちが似ており、親族である可能性が高い。ただし今し方、年上の女性の方が、見た目は明らかに自分より年下の死霊の少女を“姉”と呼んでいたが。
その小さな姉が、ゲドの傍を通った辺りで、急に立ち止まったのだ。妹は死霊である小さな姉が唐突に立ち止まったことに困惑する。
小さな姉は、全身に身体から全ての力が無くなっていく力に困惑している。それは感覚的なことではなく、事実であった。
元々少し透けていた姉の身体が、急に透明度が増していった。正確には消えていった。
「えっ!? 姉さん!?」
姉妹は同時に驚愕したが、姉は声を上げる暇もなく、何が起こったのか判らないまま、その姿を完全に消した。
「なっ、何で!? 姉さん!? 姉さん、どこ!?」
死してなお、ずっと自分と一緒に暮らしてきた姉が、突然目の前で消失してしまった。
突然の事態にどうすればいいのか判らず、妹は悲痛な叫びで姉を呼び続ける。
「おいっ! どうしたんだよ!? 皆消えちまったぞ!?」
「何だよ!? どうしたっていうんだよ!?」
困惑の叫びは、周辺一帯からも聞こえてきた。正確にはここだけでなく、このギール王国の全土で起こっていることだったが。
街中を賑わしていた人々の数が、一瞬で急激に減ってしまった。街の人口の三割を占めていた死霊達が、さっきの小さな姉と同様に、急に消えてしまっていたのだ。
さっきまで異界魔の大群の話で盛り上がっていた者達も、もはやそれどころでない状態である。
混乱の叫びで街中が大騒ぎ。ゲド一行も叫びこそしなかったものの、困惑して立ち止まっている。
「何なのいったい?」
「あれは昇天だな。他の奴らはどうかしらねえが、さっきの小さいガキは、確実にこの世から消えた」
この騒ぎにゲドはそう口にする。昇天とは即ち、死霊が本来行くべき所=霊界へと還っていったということだ。
「大変だ! 人が落ちてるぞ!」
見上げると、さっき自分たちの頭上を通過したグリフォンが、今は消えている。この事態は人間霊に限った話ではなかったようだ。
そしてそれを意味することは即ち、今空を飛んでいる物は、空中で乗り物を失ったということだ。
「うわぁあああああああっ!」
絶望的な叫びを上げて、大空から大地へと、真っ逆さまに落ちていく、グリフォンの騎乗者。
一緒に積んでいた荷物も一緒に落下しているが、そんなこと気にしていられない。このままだとあの男は、地面に激突して死ぬ。そしてそれを周りの者達には、どうすることもできない。
ゲドは即座に魔法を放った。大気を操る風の魔法を発動し、騎乗者が落下すると推測される地点に、竜巻のような風の渦を作る。
その風が生まれるタイミングは、間一髪騎乗者が地面に接触する前に発生去ることが出来た。下から上と舞い上がる小さくも激しい気流は、落下する男にクッションのような役割を果たす。
下から風を受けた男が、一瞬空中で停止し、そしてゆっくりと地面へと降下していった。間一髪、騎乗者は助かったが、他の荷物は地面に叩きつけられて、ガチャンと嫌な音を内部から鳴らしていた。
これにゲド一行も、傍観していた周りの者達も、冷や汗を垂らしながらも安堵の息をもらす。
そんな中、ゲドは思った。
(この状況、ここだけなんだろうか?)




