第四十八話 大猿2
「ガァアアアアアアアアッ!」
大猿の絶叫が響き渡る。さっきの威嚇の雄叫びほどではないが、その音量は災害レベルだ。特にゲドは間近の距離にいるため、耳によく響く。
大猿の腹の肉が切り裂かれ、そこから大量の血が飛び散る。なまじ身体が大きいため、出血量は滝のような量である。伸びた刀身は、攻撃命中同時に消滅し、刀は元のサイズに戻っている。
ダメージを受けたことにより、敵の身体のバランスが崩れ、ヨロヨロと数歩後退する。だが大猿が倒れることはなかった。
「ガァ!」
かろうじてバランスを取り直し、再び大猿はゲドに向かって突撃し、再度あの連撃攻撃を加えてきた。
(マジかよ!?)
あの大技をぶつけたにも関わらず、一撃では倒せなかったことに、ゲドはやや驚いた。
大猿の肉体は、異界魔だけにとてつもなく頑丈である。さらにその上に被さっている、大猿の獣の体毛も、普通ではなかった。あの毛の一本一本が、とてつもなく頑丈に出来ている。束になれば外部からの衝撃を、防弾チョッキのように、大猿の肉体を守る役割を持っていた。
いわば大猿は体毛の鎧を常に纏っていたようだ。
(焦るほどのことじゃない! あと二・三発当てれば、確実に倒せる!)
大猿の攻撃は、さっきと威力は変わらないが、動きが雑になっている。これならば、次の反撃もそれほど難しくないはず。その時ゲドは、近場であってはならない気配を感じていた。
(人の気配!? 何でだ!? 避難は済んでなかったのか!)
感じ取ったのは、人間と思われる気配が、こっちにまっすぐに近づいてくるものだった。
森の中のほとんどの動物が、この戦場一帯から逃げ出すか、死ぬかしているので、その気配は容易に掴むことが出来た。
あまりに予想外の闖入者。それに気をとられたのは、致命的であった。
「!!」
ゲドは全身から、凄まじい痛みを発した。叫びそうなほどの痛みだったが、声を上げることは出来なかった。
何故ならゲドの口を含めた、彼女の全身に、毛むくじゃらの肉塊がめり込むように接触したからだ。あの大猿の蹴りが、ゲドに命中してしまったのだ。
ゲドの小さな身体が、蹴球のように盛大に吹き飛ばされる。まだ破壊されていなかった部分の森の木を、次々と撃ち抜き、二百メートル以上も吹き飛んだ。
その飛んでいった先は、ちょうどあの気配を感じ取った方向であった。
ようやく衝撃の勢いが衰えて、ゲドは地面に落ちる。当然着地も受け身も出来はせず、顔面から地面にキスをした。その後数回バウンドしながら、地面を転がっていく。
バウンド距離は十メートル以上。激突箇所には地面が割れたような、小さなクレーターが、けんけんぱの印のように出来上がっていた。
「ぶはっ!」
地面に頭から突き刺さって吹っ飛びから停止したゲド。すぐに頭を真っ暗な土から引き抜き、起き上がる。
だがすぐに起き上がれたわけではない。さっきの大猿と同じように、しばらくの間よろめいており、全身から出血を起こして、肌も服も血みどろである。全身の隅々から感じる痛みから、骨もいくつか痛んだかも知れない。
相当なダメージではあるが、あの砲弾の何百倍あるかも判らない、巨体パンチを受けておきながら、この程度で済んだというのはある意味脅威ではある。敵との体格差はあれほどあったというのに。
いや、むしろゲドの身体が小さかったからこそ、衝撃が伝わりにくく、この程度で済んだのかも知れない。どのみち、後二・三発受ければ、確実に倒れるダメージには違いないが。
「くそが! てめえ、ここで何してやがる!」
ゲドは後ろにいる誰かに向かって、溢れんばかりの怒りを込めてそう叫ぶ。例の気配は、もうすぐそこにまで接近していたのだ。
避難指示は一帯に滞りなく伝わっているはず。だがその指示に従わなかったばかりか、その危険地帯に自ら飛び込むなど、とんでもない話である。最もゲドも法律上では民間人なので、あまり人のことは言えないのかも知れないが。
ところがゲドが、その人物の姿を視認した途端、彼女の中の怒りはあっとうまに収まった。
何故かというと、避難指示など、最初から通じるはずのない人物だったからだ。
「レグン、どこだーーーーーーー!? 俺と戦えーーーー! ヒャッハァアアアアアアッ!」
それは剣をがむしゃらに振り回しながら、森の中を徘徊している、一人の若いローム人男性。アンチレグンの一人であったからだ。
「防護障壁!」
以前にもアンチレグンに使った、ドーム型の土属性の結界が、その男の周囲を覆い閉じ込める。
「うがぁああああああっ! 出せぇええええええっ!」
結界の中で剣を振って、内側からその結界を壊そうとする男。乱暴に振るわれた剣身が、固い結界に激突して、あっさりと壊れてしまった。
すると今度は、素手でその結界を殴りはじめた。ドンドンと、檻の中の囚人のように、結界をがむしゃらに殴り続ける。
「大人しくしろ! ・・・・・・て言っても、聞いてくれるわけないか」
男には誰の声も届かない。目の前にあの大猿という、巨大な怪物が姿を現しても、それに全く動じることなく、結界への殴打を繰り返し続ける。
(あの結界は長時間持続できない。なんとか早めに決着を付けないとな)
再び大猿の拳が、ゲドに向かって振り下ろされる。ゲドはどうにか男から遠ざかる方向に向けて飛び跳ねて、その攻撃を回避した。
現場では先程と変わらない戦闘が繰り返された。さっきの大斬撃で深手を負った大猿だが、ゲドの方も同じぐらいの大ダメージを受けている状態である。このままでは、結界の残り時間までに、勝負はつけられない。
(異界魔がこれに引っかかるかどうか? 見た感じ頭が弱そうなタイプだが・・・・・・一か八かだ!)
ゲドの刀が、青い気功の光から、何らかの魔法の桃色の輝きに変化した。そして刀身に込めた力を一気に解放する。
「イリュージョン!」
桃色の刀身が、僅かな量の光の粒子を、一帯に撒き散らす。これは直接攻撃するタイプの魔法ではない。その魔法特有の変化が、一帯に現れ始める。
「ウガッ?」
大猿がその変容に困惑して、一瞬攻撃の手を止める。何が起こったのかというと、ゲドが増えたのである。
ゲドの中心から半径百メートルほどの範囲に、ゲドと瓜二つの少女達が、ポンポンと手品のように次々と姿を現したのだ。彼女たちは皆刀を構えて、大猿を睨み付けている。その数は百人以上。その場が一気に賑やかになった。
このゲドのそっくりさん達は、実際には存在しない。全て魔法で生み出された幻影である。魔法で立体映像を作り出す技のイリュージョンである。
これは演劇やパフォーマンスで使われることが多いが、戦闘で使われるケースは意外と少ない。感覚能力の高い気功士だと、すぐに本物の気配を見分けてしまうからだ。
更に言わせれば、今のこの現場では、最初にゲドが立っていた位置を把握しておけば、誰が本物なのか丸わかりである。相手が人であれば、全く通用しない手である。
「ウガァアアアアッ!」
だが大猿には通用した。幻影を実在する敵だと思い込み、次々とその偽ゲド達を殴りはじめた。偽ゲドがいた位置に、新しいクレーターがボコボコと出来上がっていく。
偽ゲド達は、ただ構えているだけで、攻撃はおろかよけようともしない。元々実体がないので、攻撃など出来ないのだが。
直撃を受けた偽ゲド達が次々と消えていくのを、大猿は敵を撃退していると思い込んでいるようだ。
そんな多勢の敵に気をとられている間に、中心にいた本物ゲドが、地面を思いっきり蹴り上げて、バッタのように勢いよく飛び上がった。
「はあっ!」
ゲドが飛び込んだ先は、大猿の顔面。しかも彼の右目だった。身体が大きければ、生命力が高くて倒れづらい。だがその代わり、的が大きくて、急所を狙われやすい。
うっかり本物ゲドの行動に対する反応が遅れた大猿の、その巨大な眼球に、ゲドの刀が深々と突き刺さる。
「ガァッ!」
失明間違い無しの傷を負った大猿は、大いに怯む。ゲドは彼の眼球に、杭のように突き刺さった刀を持ち続け、遊具のようにその小さな身体をぶら下げている。
流れ出た血と目の汁が、ゲドの全身を濡らす。そして大猿の荒い息が、ゲドに暑苦しく吹きかけられる。はっきり言って気持ち悪い。
そんな中でもゲドの行動は止まらない。イリュージョン発動のために、一旦発動停止した気功の力を、再び刀身に流し込む。
それと同時に、地面に無数にいた偽ゲドが、映写機の電源を切ったかのように、一斉に掻き消える。そして彼女らを攻撃して、地面にめり込んでいた大猿の拳が、思いっきり引き抜かれた。
そしてその拳が、顔面にいるゲドに向けて振るわれようとしたが、既に手遅れだった。
(伸びろ! 気功剣!)
刀身に溜め込まれた気功の刃が、一気に伸びた。さっき繰り出した“伸びる斬撃”の刺突バージョンである。
光線のような速度で、一気に十数メートル以上伸びた光の刀身は、大猿の眼球を完全に貫通する。そして更にその奥の脳味噌を貫き通す。刀身はまた更に奥の、頭蓋骨にまで到達した。
頭蓋骨と毛皮を内側から破り、大猿の後頭部から、あの伸びる刀身の先っぽが、爪楊枝一本分くらいの長さで、ちょこんと頭を出している。ちなみに刀は外側にも伸びており、ゲドの身体と大猿との顔面の距離は、さっきより五メートル程離れている。
「ガァ・・・・・・・・・?」
ゲドを払い飛ばそうとした、大猿の腕がピタリと止まる。ゲドの刀と、そこから生み出されたエネルギーの刃は、大猿の大きさと対比すれば、あまりに小さな針である。だがそれでも脳髄を貫通破壊されたダメージは大きすぎた。
しばらく静止していた大猿だが、やがてフラフラとよろめき始める。それに気づいたゲドが、伸ばした気功剣を瞬時に消滅させて、地面に舞い降りた。
やがてズン!と最後の轟音を立てて、大猿は倒れた。やや手こずったものの、ゲドの完全な勝利である。
(はあ・・・・・・今回は少し焦ったな。どれ・・・・・・)
先程のアンチレグンの方に向き直り、同時に防護結界を解いた。だがその直後に、ゲドを唖然とさせる事実が、目の前にあった。
「レグン~~~~~~! どこだぁあああああ~~~~~~!」
先程よりも目が虚ろになっており、狂気的な叫び声を上げる、まるで麻薬中毒者のようなアンチレグンの姿。
さっきまで防護結界を殴り続けていた、彼の右手は・・・・・・なかった。
「何してやがるんだ!? お前は!?」
話が通じる相手でないと判っていながら、ついそう声を上げてしまうゲド。
彼の右拳は完全に砕けて無くなっており、残った手首から、砕けた骨とグチャグチャになった肉と大量に流れ落ちていく血が見える。
右手が切断されたのではない。彼の右手は原型を留めないぐらいに、粉々に粉砕されたのだ。
どうしてそうなったのかというと、あのあまりに固く頑丈な防護結界を、限界を気にせず殴り続けたからだ。
「アンチレグンの邪魔する者ぉおおおお~~~~! お前も純人の裏切り者だぁああああ~~~! 死ねぇええええええ~~~~!」
壊れた腕など全く気にせずに、ゲドに向かって突撃する男。だがその男の動きはぎこちない。砕けた右手からの、大量出血が原因であろう。
(くそがっ!)
飛びかかってくる男を、ゲドは彼の右足を持ち上げて、後方に転ばせる。ゲドの小さな身体が、その大柄の男の身体をたやすく倒し、彼の胸元に飛び乗った。
(いかれてるぜ! お前らの身に、一体何が起こったっていうんだ!?)
男の額を、右掌でがっちり掴むゲド。男はまだ何かを叫んでおり、仰向けになりながらも、左手でゲドの横腹を殴り続ける。
だがそんなことゲドは気にしない。接触した彼の頭から、彼の身体に魔力的な何かが仕込まれていないか、高速で解析していく。
(これは!?)
結果、その判断は正解だった。確かに彼の身体には、何らかの魔法がかけられていることに気がつく。死体からでは判別できない、生者だからこそ鑑定できた事実。
だがそれは、有力仮説とされていた、呪術によるものではなかった。ゲドにとっては、初めて見るタイプの術式の魔法である。
だが何故かそれが何なのか、ゲドにはすぐに判別できた。これはまさにいつも通りの展開である。全く知らない魔法の筈なのに、何故かこの肉体が覚えているような感覚で、直感的にそう判断できるのだ。
「うげごがぁあああああっ!」
そんな中、アンチレグンの男が吐いた。何かを喋ったというわけではない。口から大量の嘔吐物を、今自分を見下ろしているゲド目掛けて、噴水のように吹き出したのだ。
「ぐげぇ!?」
銃弾や砲弾を受けても全く通じないゲドだが、さすがにこれには退いた。汚物に対する嫌悪感から、反射的に、乗っかっていた彼の身体から飛び跳ねて離れる。
それによって思わず、この男を拘束から解放してしまった。
「アンチレグン、ばんざぁ~~~~~~い!」
「まっ、待て!」
その隙に即座に立ち上がり、走り出す男。ゲドが拘束用の魔法を放とうとするが、もはや手遅れだった。
彼は近くにあった大岩=さっき大猿が投擲に使った物の一つに、頭から勢いよく衝突したのだ。
固く重い大岩に、容赦なく自分の額を激突させた男。彼の頭蓋はかち割れ、血と脳汁が花火のように一帯に散乱した。言うまでもなく絶命である。
「何てことだよ・・・・・・。これじゃあ俺が死なせたみたいじゃないか・・・・・・?」
この光景に、ゲドの中には、強大な敵に対する者とは、別の意味での恐怖心で満たされていた。




