第九話 菓子屋
宿に戻る道を歩くと、成り行きを探っていたのか、ステラと子イノシシに出くわした。
「意外といいやつね。女の顔をこんなにした奴とは思えないわ……」
ステラが自分の顔を指してこう言うと、ゲドは鼻で笑う。そして彼らの言葉を無視して、宿への道を進む。
(勇者がこの街にまで出没しているとはな……治安の悪化も相当なもんだ……)
勇者は家屋から何だって持っていける。そんな俗説が生まれたのは、黒の女神がかつてこの世界に持ち込んだという“アールピージー”という、機械の遊具がきっかけだと言われている。
ローム王国が戦争を始め、傭兵を大量に領土に招き入れてから、そんな奴らからの民衆の迫害はどんどん酷くなっている。
勇者や賊傭兵の略奪は、政府からほぼ黙認状態にある。貴族関係者や教会にさえ手を出さなければ、基本的に放置である。
さっきの奴らのように、傭兵でもなければ魔物と戦うわけでもなく、ただ強盗をするために勇者に転職する者までいるのだ。多くの市民が財産を失う中、税だけは下がらず、それどころかどんどん上がる。
普通このような横行が頻出すると、国は民衆から信頼を失い、権威は失墜するだろう。だが何故かこの国では現状、そんなことにならずに横行が罷り通っているのだ。
全ては世界を救うため、そして黒の女神の教えを守るために仕方がないという理屈で。熱心な聖教信徒たちから、それは大多数の支持を受けている。
そんな彼らも、自分が被害にあった時だけは、意見を百八十度変えて文句を言ってくるのだが。
(だがこれではっきりと腹は決まったな……。これからどうするか、深く考えていなかったが。この世で俺が気に入らない奴は、手当たり次第ぶっ飛していけばいいか)
その夜二人は、まだ宿に部屋を借りる話をしていなかったことに気づき、少し慌ててまだ部屋が残っているか聞いてみる。どうやら大丈夫のようだ。
「じゃあ、部屋一つ二人分の宿泊で宜しいですね?」
「いや駄目だ。空き部屋は二つあったろ? 俺とこいつで別の部屋で泊まる」
会話に割って入ってきたゲドに、ステラと宿の受付は目を丸くする。いったい何を言っているのだ?
そんなの無駄に宿代をかけるだけではないか? そんな二人の視線に、ゲドはステラにだけ聞こえるよう、彼女の耳元に小声で囁いた。
「忘れてないか? お前に俺がどう見えているのか知らないが、俺は成人男性なんだぞ?」
「あっ!?」
すっかり忘れていた。ゲドは見た目は子供で、しかもついさっき今の肉体が少女であると知って、その辺の意識が全くなかったのだ。
ステラは少し狼狽しながらも、ゲドの言うとおり二人分の部屋を取った。
夜が明けて、朝になった時間帯。ゲドたちが泊まった宿屋や浴場がある区画には、結構な規模な商店街があり、そこにはゲドの生まれた菓子屋があった。
「はぁ………」
カウンターで一人の中年の夫婦が、ため息を吐いて座っている。横には大きなガラスケースの中に、ケーキ・クッキーなどの大小様々な菓子が陳列されていた。
このガラスケースには保存能力を持ったマジックアイテムで、中の物を長期間最良の状態で保存することができる。この店がかなり繁盛していた時期に、思い切って買ったものだ。
夫は奥の方で、退屈そうに新聞を眺めていた。新しいお菓子を作る様子もない。何故ならば、今陳列しているもので、在庫は一杯だからだ。
装飾のない質素な外観の店の中は、一人も客もおらずガラガラである。昨日来た客は10人ほど。全く来ないわけではないが、十分な収入を得るには全然足りない。ガラスケースには、もう十日以上売れ残っているものもある。
この家には三人の子がいた。だが一人は傭兵団に徴兵され、一人は別の家に嫁ぎ、一人は菓子屋では暮らしいけないと別の店でバイトをしている。
実質この店を切り盛りしているのはこの二人である。
夫婦の元気がないのは不景気以外にも理由がある。先日、息子が勤めていた傭兵団が在中している砦が、異界魔によって壊滅したというのだ。
生存者の安否もはっきりしていない。当然彼らの息子もの生死もだ。政府は一々生存者確認などせず、次の傭兵団を送り込む準備で忙しい状態だ。
(どんなに人が死んだり、家を無くしたりしても、政府は何もしてくれない……。ただ国と聖教を信じろと言うだけ。このままだと私たちもどうなるのかしら……)
カランカラン……
店の扉が開けられ呼び鈴の鐘が綺麗な音である。
「はいっ、いらっしゃいませ!」
今まで惚けていたのが、すぐに気を取り直して客に挨拶をする。
お客はひと組の女性と子供だった。一人は少し顔が腫れている、魔道士のようなローブの女性。一人は見慣れない髪色の十歳ぐらいの子供だった。何となく女の子だろうと彼女は考える。
別に子供がここに来るのは何もおかしくないが、彼女の衣装と背中に刺された剣らしきものが、悪い意味で印象に残る。
よく見ると客は彼らだけでなく、彼らの足元に小さなイノシシがいる。ここに動物を持ち込むのはやめてほしいのだが……
外を見ると、店の前に変な大バケツを乗せた手押し車が駐車されていた。正直ああいうのは、他の客の迷惑になるのでやめてほしいのだが……
(姉妹……には見えないわね。この人たち一体?)
色々と注意すべき点があるのだが、それ以上に不可思議なことがあって、すぐに言葉が出ない。
彼女が不思議に思うなか、その少女=ゲドはガラスケースのお菓子など目もくれずにカウンターまでやってくる。何か袋を取り出したかと思うと、会計台に大量の貨幣を巻き始めた。
「えっ!? ちょっと、お客様!」
ジャラジャラと雨のように流れ落ち、会計台の上で山を作る大量の銭。その数はこの家の数年分の家計に匹敵するのではないだろうか?
「この店の商品全種類。これで買える分だけ全部くれ」
不敵な表情でそう告げるゲドに、彼女はしばし口をあんぐりさせていた……
「何してんだ? 売らねえってのか!?」
「えっ? あっ、はい! でもこれはあまりに多すぎます……。今必要な額だけ取りますので、残りは……」
「面倒な会計はいらねえよ! 全部くれてやる! さっさと菓子をあっちに積めろ! ぶん殴られたいか!?」
一応客なのに、まるで強盗のような態度の少女=ゲド。彼女は一体何が起こっているのか訳が分からないまま、奥の方にいる夫を呼びに行った。
街の歩道をまたあの目立つ二人組&一匹が、今日もまた大勢の注目を浴びせている。ステラの顔はだいぶ治ってきていて、そこそこ顔の判別ができるようになっている。
そして手押し車に現在載せているのは、異界魔の死骸ではなく、大量に買い占めたあの店のお菓子だった。
「いいの? 何も言わずに出て行っちゃって?」
ゲドはあの店の女性=母親とは、ほとんど会話をせず、会計だけを済ませて別れた。
妻に呼び出された父親が、カウンターが出てきた途端、ゲドはお菓子の運び出しを要求。結局彼とも、言葉を交わしたのはそれだけである。
「別にいいさ。これから俺がしようとしていることを考えれば、俺は死んだことにしたほうがいい。それとお前、後で宿に着いたら、この菓子いくらでも食べていいぞ」
「“食べていい”じゃなくて“食べてください”の間違いじゃない?」
買い占めた菓子の量は尋常じゃない。これは一割も食べきらないうちに胸焼けをしてしまいそうだ。身体の小さいゲドは、食べれる量はもっと少ないだろう。
あの保存ケースから出してしまった今、これらを腐らないうちに食べきれるだろうか。
「おうチビ。お前も食べていいぞ」
言葉が通じているのか?子イノシシ=チビは、何故か嬉しそうに鳴いている。
(両親の手作り菓子を、動物の餌にすんのかい……?)
それはまた親孝行なのか微妙なところである。
「とりあえず今は金だな。また一から稼がないと」
「それだったら、もう少し残しときなさいよ……」
有り金のほとんどを菓子代に使ってしまったゲド。こいつについていけば、稼ぎが良くなると思っていたのを、今一度ステラは考え直していた。




