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我流自権先  作者: いせゆも
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雇・7

 その夜。私はお父様に呼ばれたので、居間でお話をします。どうして呼ばれたか……それは容易に想像できました。

「美古都。おめえ、あの男の言うことを聴くつもりじゃねえだろうな」

 やはり。寸分の違いもありません。

 十数年も一緒に暮らしていると、これが普通なのだと勘違いしてしまうのですが、どうも私のお父様は、とても『甘い』性格をしているようなのです。一般的な父親というのは、厳格、頑固、融通が利かないといった怖い存在。しかしお父様ときたら、私の我儘としか言えないようなお願いも、よく聴いてくれます。

 ……特に顕著なのが、つい先ほど知りました、先の大災害により家が潰れて余裕というものがなくなっていたのに、それでも私を女学校に入れたままなことでしょう。私は将来の夢のためには、『学』が必要なのです。退学したくはありません。

 そんな優しい、私のお父様。だというのに。

「お父様。私は、あの方の使用人になろうかと思います」

 客観的にはどう思われようとも、お父様が私を守ってくれている以上、ここにいる親不孝者ときたら、その気持ちを裏切ることになります。

「おい。そりゃあどういうことだ」

 お父様は怒りました。その反応は極めて当然です。無理はありません。断るとばかり思っていた娘が、まさか受け入れてしまうだなんて。売られて喜ぶ娘はいないでしょう。

「あの常連さんは、先書粒子と呼ばれる小説家なのです」

「……なんだ? その、サギガキなんたらっていうのは」

「女学生の間で流行っている、とても有名な小説家です。私も作品を愛読書の一つとしています。……あくまでも、一つ、ですけれど。でも、実力はお墨付きです」

「それが、どう関係あるってぇんだよ」

 さて、ここからが重要です。

 絡め手を使う……そういう考えもありましたが、お父様はそれでは納得してくれないでしょう。ここは真正面から向き合うことにしました。

「少し待ってて下さい。口で説明しても、納得してくれないと思いますので」

 私は一度部屋に戻り、机の引き出しにて厳重に保存している原稿用紙の束を取り出します。居間へ戻り、出て行った時と同じ面持ちで待ち続けていたお父様の胡坐の前に、私は原稿用紙を献上します。

「なんだあ、これは」

「私がこれまで書いては破り、推敲し、苦悩の末に作りあげた一作です」

 しかしこうしてみるとかなりの量です。文庫本三冊ほどの分量。これほど私は執筆したのですね。しかしあの方は、これ以上の冊数を、数か月もしないうちに書きあげるのです。それはもう、私からすれば尊敬の一言以外はいらないほど。

「ですが、未完成です」

「……こんなに、あるのにか?」

「冗長すぎるのです。頭に浮かんだことを際限なく詰め込んでいるせいで、なにを主張したいのか、まるで要領を得ません。今の私は、この程度の実力しかないのです」

 時間を掛ければ量を書くことは誰にだってできます。しかし重要なのは、まとめ上げることなのです。短い文脈の中で、最大限の意味を込める。それこそが【あの方】の目指す境地。敬愛する私は、少しでもその背中を追いかけたいのです。

「今まで黙っていましたが、私は小説の勉強をしたいんです。先書粒子といえば、売れに売れている人気作家。こんなお人に弟子入りするも同然の機会なんて、もう訪れてないでしょう。それを元に勉強をすれば、私はもっと早く成長できる。あわよくば、あの人の傍に近づく権利が与えられる。そう思ったのです」

 私には、ある夢があります。とある人と一緒に願った、夢が。

 我自権先。

 この人こそ、私が尊敬し、また目指すべきと思っている小説家。

 先書粒子と違い、我自権先様は、私が真に好きな作家なのです。書く小説は、全てが流麗。優美で耽美。人間だけでなく、万物の本質を抉り取ろうとする、その野心的な試み。

 ……欠点としては、知名度があまりにもないことでしょうか。どうも賛否両極端というか。好きな人は好きなようですが、嫌いな人はとことん嫌い。そして、好きな人はかなり少数であること。少なくとも、私の周囲で我自権先様を好きな人はいません。

【小生は誰にも理解されません。それでも構わないのです。見返りなどいりません。ですが貴方の渾身の作品が読めるとしたらこれを上回る幸福など三千世界にありません。】

 この方の高位に報いるため、私は小説を書くのです。それには、未熟なものでは失礼に当たります。力のない私ですが、少しでも、少しでも一歩を進みたいのです。

「私は、約束を叶えたいんです。ですから、決心は揺らぎません」

 一点の曇りもない、生の感情をお父様に向けます。

 お母様はお父様の意向には逆らわず、お父様は私の心からの我儘には背けず。お兄さまたちには刃向かわせないようにしておいて。

 ――こうして私は、表向きは使用人として。裏向きは弟子として。

 家族公認。龍ヶ崎金字様のお屋敷に、仕えることとなったのです――。

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