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我流自権先  作者: いせゆも
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終・前

「あの、中屋敷先輩!」

「ふふ。大丈夫ですわ。さあ、落ち着いて」

 キヌに優しく諭されたセーラー服の下級生は、目を瞑って自らの胸に手を置き、スーハーと大きな呼吸を何度も繰り返します。しかしうっすらと瞼を持ちあげますと、目に映るは。……恭しくも儚く消えてしまいそう。危うく脆い、聖女の笑顔。

「落ち着きましたか?」

「――――っ!」

 目尻に泉が湧いてしまいそうな下級生。あの憧れのお姉さまが、自分のために優しく微笑んでくれる……。これほど嬉しいこともありません。私だってこれほど魅力的な上級生がいましたら、まず間違いなく手紙の一つくらい差しだしていることでしょう。

「なんか、いいよな」

「うん。これだからキヌの友達はやめられないんだよ」

 校舎裏特有の日差しが当たらなくてじめっとした空気ですら、華やかなフレグランスに置き換わってしまっています。影でこそこそ野次馬をしている私とハヤは差し詰め、蜜という甘味を味わうために香りへつられた蜂といったところでしょうか。

「私、一年生の、小鳥遊すみ子でございます、その、中屋敷さんは、私の憧れで――」

 たどたどしいながらも、どれだけ本気を尽くしているのか伝わってくる告白。聴いているこちらが思わずドキドキしてしまいますのに、キヌは笑みを崩さず……いえ、むしろ先ほどと比べてしまえば、それこそあれが演技だったと錯覚するほど、ごく自然に顔をほころばせます。卑怯です。今現在の私ですら、もしもキヌが本心からあの顔を私に向けてきたら、エスの世界へ入り込んでしまうこと間違いなし。

「ですので……これを、受け取ってください!」

 小鳥遊さんは嵐に靡く枝となった両腕を、それでもピンと張り出して、両手でぐっと掴んだ手紙をキヌの眼前へ差し出します。その声は震えていてすぐにでも泣きだしそうでした。

「…………」

 しかしキヌはなにも言いません。ただそこに、たおやかに立っているだけなのです。そのままどれだけの時間が過ぎたでしょう。私たちにはせいぜい十秒かそこいらか。ですが下級生にとってこの十秒というものは、刹那の永遠。

 沈黙に耐えられなくなったのか、下級生はおそるおそる顔を上げ、少しだけキヌの眼を合わせようと、ちらりと無防備な瞬間を晒しました。それを見計らい、

「その気持ち、とても嬉しいですわ。衷心から読ませてもらいますわね」

 周囲に架空の花という花を散らし、キヌは静かに受け取りました。

「――――!」

 感極まってしまったのか、ついに川を反乱させてしまった下級生は「ありがとうございます、ありがとうございます!」とペコペコ頭を下げながら、崩れた顔を見せないよう、子猫のように校舎と至る道へと戻ります。

 そして歓喜の涙を流しそうな下級生を尻目に「しょうがない子ね」と、すっと優雅に背中を向けるキヌは、まさに少女小説に出てくる『お姉さま』そのもので。下級生の目にはさぞ、美しいものと映っていたことでしょう。

「うむ。なるほど、お絹も策士だな」

「なにが?」

「こちらからは見えないがな。お絹の位置からなら、反対側でわたしたちと同じように野次馬している影が確認できるはずだ。あの下級生の同級生といったところだろう」

 私が見えないのなら、ハヤだって見えていないというのに。気配でも読んだのでしょうか。

 まあ私たちは見て楽しむためにここにいるのですから、同じような目的を持った人がいても、なんら違和感もありません。

「ここからはわたしの憶測だがな、きっとあの下級生は、学友に『お姉さま』へ想いを打ち明けるかどうか相談したのだろう。そしてついに決心を固めた下級生は、お絹を校舎裏へと呼びだした。『どんな結果が待っていようと、私たちが慰めてあげる』……そう、後ろで構える壁となったのであろうな。お絹は見破った。告白した下級生だけでなく、待ちかまえる友達にも自分を美しく見せたんだ」

 たしかに憶測の域は超えませんが、それが事実だとしたら、なんたる綺麗な友情劇。私としては、この光景を目に焼き付けずにはいられません。そして計算高いキヌ。人を手のひらで転がす女性って怖いものですね。

「……なんだろうな。お古都に、無性に『おまえだけが言ってはならない』と叫びたいぞ」

「なんのことでしょう」

 気のせいなのです。

【若いうちは、若いうちなりの感性というものがある。大人というものは、こういった感情を得てして忘れてしまうものでな。特に俺のように経験を伴わない者が若者を語ったところで、その中身は説得力を持たすことができない】

 ああ。あなたは私に敬意すら持ってくれますが、私はそこまで大それた女ではないのです。こんな、私利私欲のために動く女なのです。どうかお許しを。

「やはり、恋する乙女というものはいいな!」

「……それ、私にも言ってる?」

「いや、それは違う。お古都のふぬけっぷりに、なんだかとっても嫉妬心がメラメラしているのだぞ、わたしは」

「いい加減、私は諦めてよ」

「わたしだけではないぞ。お絹だって、お古都が男にうつつを抜かしているこの現状を嘆いているのだから」

 二人とも、私が男性と交際を始めたのは感づいているようです。それ自体は隠してませんので、当然の結果ですが。

 なかなか打ち明ける場面がないのです。二人には隠し事などしたくありませんし、なんとか機会を伺っているところ。いつそうなってもいいよう、あの方には取り計らうようお願いさせてもらっています。ようやく弱みを握れたのが功を奏しました。いやあ、まさか、私にあまりにも有利な条件が転がり込んでくるなんて。人生、なにがあるか分かりませんね。

「一体、お古都がそこまで骨抜きになる男とは、何者なんだ」

「だって……ねえ」

 長年の気持ちが実った今。どうして我が世の春を謳歌せずにいられましょうか。

「っていうか、ハヤには言われたくないよ」

「他所は他所、うちはうち。我が道場に掲げられた標榜だ」

「自由な道場だよね、ほんと」

 最近のハヤは、とても機嫌がいいのです。

 ハヤは、自分が道場で、まるで女らしくないことしかしないことを、殿方に伝えることにしました。「それによって失恋することになったとしても、自らが選んだ道なら後悔はしない」と言い切ったハヤは、何故か男らしかったものです。

 その結果は、多くは語らずとも察してほしいものです。

 大切な人を守るためと、日下部道場に通い始めたとか。真摯さに打たれ、両親からも歓迎されたお付き合いを始めたのです。

 そういった、昔から思い描いていた夢が思い通りになり続けた反動なのかは分かりませんが。……ここ一か月近く、むしろエスの気が悪化しているのです。

「こうなってしまえば、借りてきた猫のようだった隼さんが懐かしい限りですわね。あなた、たまには『ロボット』になったらどうですの?」

「嫌だ。楽園の林檎をかじってしまったら、もうあんな無味乾燥な頃には戻れない」

 いつの間にか、キヌが私たちの下へ来ていました。お姉さまであったキヌは、もう単なる一学生へ戻っています。

「盗み見は感心しませんわね」

「たわけ。わたしを悪趣味なその辺の女と同一視するな。わたしはただ、頬を真っ赤に染めて一大決心をした娘をみたいだけだ」

「そっちのが悪趣味、とはわたくしたちのよしみで指摘しませんわね」

「これで何回目だ? 恋文を受け取るの」

「私の確認した限りでも五回だね」

「五回なんて。誤解ですわね。曲解もいいところですわ」

「分かりづらいぞお絹」

「今年に入って十五回ですわ。直接受け取ったものだけを数えるなら、ですけれど」

「……すさまじいな、年下殺しが」

 夏という季節がキヌにも変化を与えたのか、近頃は学内でのキヌの評価は、これまでに比べてもかなり鰻上りなのです。露出が増えるからですかね。キヌはセーラー服の袖を切り、半袖にしているのです。涼しげであると同時に、その白い肌を惜しげもなく晒すのですから。キヌほどの度胸がないとできません。こうして何気なく会話するだけでも、無駄にドキリとしなければならない時も多々あります。

「それでもって、また遠回りに断るのか。性悪女狐め」

「あら。わたくし、手紙をくれた子に対しては、きちんと全員に返信していますわよ」

「取り置きしておいてどうするつもりなんだ。少しはわたしにまわしておくれ」

「いやですわよ。みなさん、わたくしを好きなんですから。そうですわねえ。目標としては、教室に集まったファンが、わたくしを讃える聖楽を奏でる、くらいにしておきましょうかね」

「後半はともかく、本気になればそのくらいの人数を集められるのがキヌのすごいところだよね」

 よくもまあこんな客観的にならなくても高飛車女と戦い、勝ったものです。

「あー気分がいいですわ。美古都さん、隼さん。今日もどこかに行きますわよ」

「またか。頻度が上がってきているぞ」

「いいではありませんか。わたくしは、『美奈矢』になりたいのですから」

 先書粒子の新連載、『千五七』における主人公、美奈矢。キヌの最近のモットーは、美奈矢になることらしいです。まあどうせ、また新たな連載が始まれば、今度はそちらになりたがるのですが。

「好きなのは勝手だが、他人に押しつけるべきではないぞ。さっきの下級生がお絹の正体を知ったら、どう思うんだろうな」

 私は先書粒子の作品は読みますが、以前よりも更に好きではなくなってきました。私の大切な人が嫌っているというのもありますが……なにより、大多数の女学生の心を射止めるんですもの。どれだけ希代のナンパものなのでしょう、先書粒子は。

「……お古都。どうしてそこまで先書粒子を目の敵にする?」

 顔を読まれたのでしょうか。なんと的確な。

「だって先書粒子が女学生から人気を集めれば集めるほど、我自権先様が落ち込んでいくんだもん」

「なんだ? その二人は敵だったりでもするのか?」

「うん。我自権先様にとって、先書粒子は、下らない物語で他人を口先だけでちょろまかす下賤な輩、だから」

「ちょっとお待ちなさいな美古都さん。その我自権先とやらは、ワタクシのヒーローを侮辱するつもりですの?」

 話を聴きつけたキヌの行動は早い早い。

 おかげさまで、私の望んだ展開に、予想よりも簡単に達成させられました。

「なんなら私、我自権先様の友人と知り合いだから、その人に文句を言ってもいいよ。我自権先様は、その人の言うことなら大抵聴くから」

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