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我流自権先  作者: いせゆも
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我流自権先・5

 別室で、持ち込んだ衣服に着替えます。それと、以前おばあさんから譲り受けた、先生が欲しがっていた、風呂敷に包まれた一品を持ち、準備完了。

 一度、門の外まで出ます。それから呼び鐘をゴーンゴーンと何度か鳴らしました。しばらく待ちます。

 数分の後に館から出たきたは、一方ではとても見慣れた、しかしもう一方では初めて見る男性の姿。あまりに足取りが重く、玄関から門前まで歩くのに、どれほどの時間を掛けたのでしょう。見るからに痛々しく、つい手を差し伸ばしたくなります。解錠されているのを知っているからこその、余計なもどかしさ。

 ようやく辿り着いた男性に向けて私は門越しに、頭を深く下げました。

「初めまして。我自権先様」

「どちらさまでしょうか」

 改めてやってみると、とても緊張するものです。男性の声も震えていました。

「私は、いつもあなた……我自権先様に、お手紙をお送りしていた者です」

「すると……貴女があの手紙の主なのですね。失礼ですが、」

「はい。倉持美古都と申します。これまで名乗らなかった無礼をお詫びいたします」

 これが私と、我自権先様の初めての出会いなのです。

 あれほど会いたく思っていた、我自権先様。

「倉持さん。あなたは小生の思っていた以上に、可憐なお嬢様でした」

 手紙に書かれている文章と、全く同じ口調。ああ、私が数年間抱いていた我自権先様の像と、寸分の差もありません。

「もう。我自権先様からそんなナンパなお言葉を拝聴するとは思いもよりませんでした。ですが……ありがとうございます。とても嬉しいです」

「その振り袖も、倉持さんに似合っています。小生が思い描いていたような、可憐な女学生です」

「普段からこんな格好をしているわけではありませんけれどね。でもそうやって誉めてくださるなら、悩んだ甲斐もありました」

 赤い着物に金色の帯。いかにもな煌びやかさ。ハヤが私に似合う振り袖を選んでくれ、キヌが仕立ててくれました。ハヤ曰く、「これがお古都の魅力を最大限に引き出してくれる」。キヌ曰く、「美古都さんのためですもの。糸の一本の解れもなく、完全なるものを仕立ててあげますわ」。私があの二人に何をしたわけでもないのに、ただ仲がいいからというだけで、ここまで本気になってくれるのです。これで友情を感じずにはいられましょうか。

「私の小説、読んでくれましたか? まだ実力のない娘っこの作品ですが、それでも私の全力を出した、初めての作品です。こればかりは、我自権先様に披露したいと、常々思っておりました」

「その相手に、小生のような小物を選んでくれるとは……」

「小物だなんてとんでもない。我自権先様の小説は、人の心を揺さぶれるのですよ。七年間もの年月。私からすれば、人生の半分以上。我自権先様によって、私という人間は育てられたと言っても、過言ではありません」

 ばっと口元を押さえる我自権先様。嬉しそうとも思える不思議な表情を浮かべました。

「大変、感動いたしましたよ。内容はもちろんですが、あなたの成長ぶりにです。それこそ文通を始めた頃はようやく片仮名を書き始めたばかりだったのに、もう一端の小説を書きなさる。子を見守る親とは、このような気持ちなのですかね」

「ええ。我自権先様は私にとって、もう一人の父であり、もう一人の兄ですもの。そして――私が本心を打ち明けられる異性でもあります」

 どうしても、この一言は恥ずかしくなってしまいました。

 お互いに、顔を伏せてしまいます。ああ、気まずい。しかし、不快ではないのです。なんなのでしょう。この、暖かい気まずさは。

 ――しかし、いつまでもこの空気に浸ってはいられません。私たちは、「上辺」だけの付き合いをしたいのではないのですから。

「我自権先様」

「どうしましたか、倉持さん」

「我自権先様は、私が七君だと、最初から分かっていたんですよね。私は手紙に、自分の写真を送ったことがあります。どこで私の姿を発見したのか知りませんが……まあそれは関係ありませんね。とにかく結果として、我自権先様は私がリーベの店長の娘で、毎週土曜日には必ずお手伝いをしていると知った。ですから、いつもリーベに来店していたんですよね」

 私がそう言いますと、我自権先様は口を何度か開閉させました。今の私が「小娘」なのか「七君」なのか。判断に悩んでいるようです。

「……そうです。小生はある日、小説の題材を探しに街を彷徨っていると、運命ともいうべき偶然で、倉持さんの姿を発見しました。そして小生は、宗司から倉持さんが借金のカタにさせられかけていると聞きました。小生は気が気ではありません。幸い、金だけは余っていました。そのままでいるよりは、自らの手元に置いておいた方が、安心だと思ったのです。突進していく一枚の歩よりは、玉の近くを護衛する銀の方が、遥かに長く取られないで済むでしょう。ですが、小生は怖かった。自分のこの姿を見て、不気味がられるのは耐えられません。しかもその相手は七君。この関係を壊すぐらいだったら、小生は自らの正体を隠し通し、なるべくこちらに干渉をしないようにそっけない態度を通る他、なかったのです」

 全ては私と我自権先様、宗司様が、それぞれ違った認識のもとで動いたから起きたのです。

 我自権先様は、自分だけが一方的に七君の正体を知っていると思っていた。宗司様は、私だけが我自権先様の正体知らないと思っていた。しかし現実は、私は全てを見通していた。……それだけの話です。

 でありますから、我自権先様の心配は、全くの無駄であったのです。

 なにせ私は、まだ私にとって単なる常連さんであった頃から――惹かれていたのですから。おそらく、本能的に我自権先様の匂いを感じ取っていたのでしょう。そのぐらい自然に、それ以上の理由もなく、「常連さん」として特別扱いしていたのですから。

「先生……いえ、我自権先様。――いえ、そうではありませんね」

 私は一歩前へ出て、持ってきていた木箱から取り出したソレを、目の前の男性に渡します。

「金字さん」

 私の雇用主でもなく、憧れだけの架空の存在でもなく。

 私は、目の前にいる、ただ一人の男性と向きあいます。

「我自権先様と一番先に出会えて、本当に嬉しくおもっております。だってそれは……我自権先様は、もっとも『龍ヶ崎金字』という一人の男性に近いからです、金字さん。私はあなたのことを、我自権先という偽りの名でしか知らなかったから、便宜的にそう呼んでいたに過ぎません。七君という呼び名と似たようなものです」

「……あんなものは、いいところを見せようと虚栄しただけにすぎません」

「そうかもしれません。金字さんには、大きく足りないものがあります。私はそれを埋めるための物を持ってきました。……金字さんは以前、自分の心には『龍』がないとおっしゃいましたね」

「……そうですね。それを自覚しているから、あの筆名にしたのですから」

「逆にもう一つの筆名では、読みは捨てない代わりに、弱くしたと」

 龍ヶ崎金字。ヶ字金崎。がじきんさき。「き」をもじり、「け」、「さき」を「先」とし、音読みにして「せん」。がじけんせん。我自権先。

 先書粒子。さきがきりゅうし。「きんじ」は「きし」に置き換える。あとは名字と組み合わせてアナグラム。

 どちらにしろ、「龍」が蔑ろにされています。ですから金字さんに「龍」を授ける。そのために、倉持美古都は金字さんの前に姿を表したのです。

「おばあさんから貰ったのはいいですが、やはりこれは、金字さんに預けます。金字さんに足りない部分ですから」

 風呂敷から取り出したのは……以前、日下部のおばあさんが好意で渡してくれた、木彫りの龍。

 そして、日の光を浴びて神々しく立ち上る、龍。

「見てください金字さん。どうですか、外の世界は。金字さんはこの龍のように、光の世界へ自由に歩いても許されるのです」

 あの薄暗い骨董品店からようやく出されたと思いきや、木箱に移されて厳重に保管をされていたこの龍は、まさに金字さんそのものとなっていたのではないでしょうか。

 龍という名の金字さんを、私は光の元で、解放します。

「金字さんが日差しに弱い体質なのは分かっています。が、闇は心を蝕みます。鬱屈した環境で育てられ、伸び伸びとすることができますか?」

 私はもう子供ではありません。我自権先様の児童書を読み、文通し、子供扱いされていたあの頃とは、違うのです。

 そっと、金字さんを抱きしめます。それこそ、かつてのハツさんのように、幼き子をあやすように。

「え、お、」

「金字さんが光を見つけるその時までエスコートをします。いえ、させてください。一生、金字さんのお側にいさせてください。他の誰かに反対されようが、私は私の道を歩みます」

 ここで初めて、金字さんは眉をしかめました。それはそうでしょう。でも、いいではないですか。女性が想いの丈をぶつけましても。私は、この溢れる気持ちの全てを、金字さんに捧げたいのです。

 金字さんは、空を仰ぎました。梅雨はもう、明けています。

「……いいえ。光は、ここに点滅していました。小生に、離すだけの根性は、情けないことにありません」


・・・

・・


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