雇・4
そして辿り着いたは、壁が蔦で覆われてしまっている、とてもとても大きな洋館。
なんでしょう……西洋のファンタジーといいますか。烏がカーカーとウルサく騒ぎ立てても、なんの違和感もございません。玄関口に足を踏み入れれば、埃と蜘蛛の巣が歓迎してくれる大広間が待ち受けていそうです。できることならば、このまま踵を返したいほどです。
「龍ヶ崎金字――これから貴方に会って貰う、リーベの常連さんのことなんだけれど――が、小説家だってことは知っているかい?」
そして館を見た瞬間、今まで紳士然とした態度が、途端にがらりと豹変。主に、親しみやすい方向に、です。私が怯えたのを見計らったかのように。
「んー、折角女学生とこうしてお話ができるのに、堅苦しい雰囲気を作りたくないからねい。こちらが僕の本性なんだけれど、仮面をはずし、こちらに切り替えてもよろしいかい?」
「問題なんてありません」
どうしても、年上の男性から敬語を使われると委縮してしまいます。少し(どころではないかもしれませんが)特徴的な口調を除けば、普通に話してくれた方が、気を楽にできます。
「そうかい。ならよかったよう。それで金字のことだけれど、知っているかい?」
「いいえ、知りません」
ああ、お店へ来た時には、いつも人を観察していたのは、そういった理由があって。【なんてことのない平凡な物事を描写するには観察眼ともいうべきものが必要なのです】と、あの方はおっしゃっていました。同じことなのでしょう。
宗司様は呼び鈴すらも鳴らさず、ずかずかと洋館へ歩を進めます。
「家人は一人なのに、大きな家だよねい本当」
大きな館に、一人佇む男性の姿。
「…………」
私は、宗司様には決して見えないように、ほんの少しだけ表情の筋肉を緩めます。そして、すぐ何事もなかったように、無表情に戻しました。
掃除すらされていないのか、大方の予想通り、至る所が埃だらけ。足が届く範囲は鮮やかな赤い床がその姿を見せていますのに、普通に廊下を歩くだけでは決して踏まないであろう箇所はくすんだ凝固した血液のようになっています。
宗司様のエスコートにより通された応接間はかなり綺麗に整えられていました(ほかの場所に比べたら、の枕詞が挿入されますけれど)。
「僕も部屋をクリーンにしてみたんだけど、悲しいかな、どうもあまり上手くない。すまない、汚い屋敷で。本当はカフェにランデブーでもしたかったんだけどねい」
「いえ、それはいいのですけれど、これはいったい……」
「もう暫くだけ待ってて。ちゃんと説明してあげるから。本人が凱旋してくれないとどうしようもないからねい。ささ、ソファに腰掛けて。少なくとも、今は貴女がお客様だから」
宗司様は水道からやかんに水を組み、ガスコンロの火をつけました。
私のクラスでお金持ちと言われている学友でも、このような設備が整っていないことが多いですのに(我が家は洋食店を営んでいるくらいですから、私は見慣れています)。
「成金趣味の家だよねい、ここは。ま、建てて数ヶ月もしないで一家が蒸発しちゃうなんて、世の中には間抜けな話もあったものだよう。だからこそ、金字がねじ込まれたわけだけれど。……あ、僕は少し離れたいから、火の元を注意しててくれるかい? また地震でも起きたら、笑い話にすることすらできないしねい」
昼時に起きた、あの大地震のことは今でも忘れません。そして一生忘れることはできないでしょう。あのたった数時間で失ったものは、我が家とて大きすぎました。
「はい、大丈夫ですよ」
「ありがとう。これで心おきなく、悪霊を現世に呼び出せるよう」
はははと笑った宗司様は、そのまま部屋を飛び出していき、そして数分もしないうちに帰ってきました。
当然、あの『常連さん』を率いて。文字通り、背中を押してのご登場です。