策・4
未だに金字は僕に、どうしてハツが亡くなったのか教えてくれないんだ。
ただ、おそらくは日本人故の悪癖が発症した結果……そう、僕は当たりをつけている。
この洋館に移った金字は、狂ったように――いや、狂っていたね、あれは。日夜、小説を書き続けていた。ハツの遺品である文机に向かって、ハツの遺品である万年筆を握って、ひたすら原稿にインクを垂らし続けていた。
僕には止めることなどできなかった。想像できるかい? あの赤い目で射ぬかれるなんて。冗談でも誇張でもなしに、僕の血の全てがあの目に吸いこまれたのかと思った。
このままではいけない。そう思った僕は、急遽金字の書いた原稿を一冊の小説にしたみた。そうすれば、あいつの矛先も、少しは変わるかもしれない。……何を言っているか分からないとは思うけれど、僕だって今となっては、当時の自分の行動が謎だ。それだけ必死だった、ということだけ思ってくれれば良い。
ちょうどこの頃、僕は家から勘当された。理由は……情けないから勘弁してください、これに関しては。いや、冗談ではなく。
働かなくては今日のおまんますら食いっぱぐれるのは当たり前のこと。僕は金字の小説を製本する過程で手に入れた人脈のおかげで、今の出版会社に就職できた。正式に金字の編集者となり、ここで我自権先は産声を上げたわけだ。
そうして世に出回った金字の小説は、売れなかった。それも当然だ。主義主張が一貫していない小説家なんて、誰が見染めてくれる。手紙がきては『あなたは才能がないから小説を書かない方がいい』と批判する文面しかない、無味乾燥なものだった。
――なのに、蓼食う虫が表れたんだ。
名前も住所もないその差出人は、どうやらまだうら若き少女のようであった。
【ワタシミタイナコドモノテガミヲヨンデクレルカハワカリマセンガ、モシモヨンデクレタラウレシイデス。ワタシハ『セゴナのぞう』ヲヨンデトテモオモシロイトオモイマシタ】
我自権先名義で書いた、児童小説への手紙だった。児童小説すらも金字には批判の対象とされていたのだけれど、まだ字が覚えたての、拙い筆跡。しかし心の底から湧き出た感情を生のままに伝える、暖かい文面。どう見ても作家・我自権先を褒め称えるものだった。
金字はその少女を、七君と名付けた。『名無しの君』ということで、七君。後年その女の子は七歳の時に初めて手紙を送ったらしいことが手紙から分かった。『七歳の君』という意味も、後付けではあるが含ませているとのことだ。
そこからの金字といったら、どこの乙女だと僕が思わず言ってしまったぐらい、七君のためにひたすら小説を書いた。面白かったと感想がくれば、数日間は頬を緩めていた。つまらなかったと否定されたら、次回作はより綿密に文章を推敲した。
金字にとって七君は女神だ。もし金字が普通に産まれたのなら、きっと正当な方法で、美古都ちゃんと出会おうとした。しかし金字は事情が違う。アルビノだ。自分に劣等感を抱いていた。こんな自分の姿を晒して嫌われない保証がどこにある? あれほど文面では親しんでくれても、この身体を見たら不気味がり、縁を切ろうとするかもしれない。それだけならまだしも、軽蔑すらするのかもしれない。そんな恐怖、あの臆病な金字が耐えられると思うかい?
遠くから一人の少女を見守る。そう押し通すはずだった。
金字は七君に【あなたの姿を拝見したい】と手紙を送ったそうじゃないか。そして七君は快く引き受け、金字に写真を送った。喜んでいたよ金字は。七君からの手紙は決して僕に見せようとしないのに、写真は自ら見せてきたんだ。七君は想像に違わぬ……想像以上に可憐な女の子だった。いや、これは世辞ではなく。僕は本当に、美古都ちゃんを可愛いと思ってるよ。
写真がきっかけだったんだろうね。住所も名前も知らないのに、なんの偶然か、街中で七君を見かけたのだろう。我慢に限界も来てしまったんだね。距離を保たないといけないんだから。
そして七君は洋食屋の娘であると知り、毎週の如く、客として通うこととなった。どうせそんなところだろうと僕は踏んでいる。
毎週土曜日になると、金字はいつも何所かへ逃げる。僕は後を追うが、いつのまにか撒かれてしまう。ついに最後まで尾行することができたのが、二か月前のあの日さ。
一目見て分かった。金字は、七君に少しでも近づくためにこの店へ通っているのだと。