書・5
「友人なんてそんなものなのだろうなあ。一から十まで許容のできる友人――これは恋人と置き換えてもいい――は、いないものさ。どこかかしら、不満な点を抱えてしまう。しかし、どれだけその不満という荷物を背負うことができるかによって、結局その人を友人と認めることができるのだろうねい」
身近な例を出してみれば、私はやはりキヌとハヤが浮かんできます……といいますかそれ以外は浮かびません。こういうところが、きっと私の冷たさなんだと思います。
キヌは高飛車なところ、ハヤは感情を殺そうとしてしまうところが、私はあまり好きではありません。あの二人に限らなくても、例えば目の前にいる宗司様。私は宗司様の全てを悟っているような目が好きではありません。更に言えば、先生ですらああまで内に引きこもることを、私は良しと思っていないくらいなのです。
けれどそこを含めての「人間」なのです。なくなってしまえば、それは単なる人形です。私が気持ちよく生きるための道具でしかありません。人間らしさが表出しなくなってしまいます。
「……しかし、どうせなら、金字に是非そのエピソードを話してやってくれよ。あいつなら、きっと小説の題材に使ってやれるよう」
「私が先書粒子の主人公に?」
「それも、いいかな」
宗司様は、『も』を強調しました。あからさま過ぎるほどに。
「金字曰く、小説家というものは所詮、誰かに認められたいから、その不特定の誰かに向かって執筆するのだとか。金字はそのために文机に向かってるところがあるからねい」
「つまり先生は、エス小説の読者を対象とした、女学生に認められたいと?」
「いんや。金字は、『七君』のために筆を握り続けるのさ」
七君。以前、先生がそんな単語を口走っていたことがありましたっけ。
「おや? 七君とは誰だという顔をしているねい。美古都ちゃんも先書粒子のファンとして、少しは気になるかい?」
「いいえ、そちらはどうでもいいです。ただ、あの先生が、女性のためだけに執筆をするだなんて、少し現実味が薄くて」
「どうして女性かと? 僕は性別までは特定できることは何も言わなかったけどねい」
それは。
先生は私を見てくれません。私の向こうにある、消失点しか見つめてくれないのです。
倉持美古都という、女の向こうに。
「…………。訊いてもいいですか?」
「七君の詳細を、かい?」
私が疑問を口にするよりも先に、宗司様は私の先読みをしていました。
「ふっふっふ。僕を舐めない方がいいよう? あの金字と美古都ちゃんが生まれるよりも前からのつき合いをしているんだからねい」
「あ、この説得力にかなう別の例が思いつきません……」
それほど私にとって、先生は日頃から何を思考しているのか、全く読めないのですから。
「七君か。美古都ちゃん相手なら言っても問題はないだろうけどねい」
先生の肌は、欧米人よりも更に白く、どの季節であろうが雪を連想させてしまいます。私はかような肌をみたことがありません。
「まあ知っておいて貰った方がいいかもねい。表向きは使用人として雇っているわけだし。主人の秘密を握ったメイド、か。ふっふっふ、なかなか甘美な響きだとは思わないかい?」
「思いません。先生が自らの意志で明かそうとしない秘密など、握りたくありません」
私は心の芯がすうっと冷えてくるのがわかります。
宗司様のこういう部分を、私は――。
「七君はね。金字が小説家となってからの、第一号のファンなのさ。当時、金字は全く名が上がってなくてね。そんな折にぽっと現れた北極星。金字はすぐさま、七君を喜ばせるために小説を書き始めた。正体すらまともに分からない彼女のために、ね」
「分からない?」
「んー、住所は書いてあるんだけど、名前は書いてないんだよねい。そもそも、七君って言う呼び名も仮のものだから。僕らがそう呼んでいることを向こうは知らないはずだよ。名無しの君。略してななきみ、『七君』」
ああ、どうりで。『私こと倉持美古都』のような部外者に、知らせるはずがありません。
私はお給金を貰えるだけでなく、先生を間近で見られるからこそ、この御屋敷で働くことに決めたのですから。
「女の片思いは、本人がヒロイズムに浸れる分まだいいね。男の片思いほど、辛く、厳しいものはない」
宗司様はお茶を実に渋そうな様相で口へ含みますと、ちょうど三時の時計がボーンボーンと、緑霊館を不気味に彩りました。
「ああそうだ。その『使用人』たる美古都ちゃんに、頼みたかったことがあったんだ」
「なんでしょうか」
「金字の書斎を片付けてくれないかな? 丸めた原稿用紙で地面が埋まってしまうという体たらくでね。床に散らばったものと、埃はちょいちょい叩いてくれればいいから。原稿用紙は放置でお願い。僕さ、あいつの筆が遅いのって、多かれ少なかれ、部屋が汚いからって思ってるんだよね。金字がなにか言ってきても、僕のせいということにしておけば、納得するからさ。これからあいつとちょっと出かけるから、その間に頼むよう。終わったら時間も時間だし、鍵をかけて帰っていいからさ」
「かしこまりました」
そのような理由とあっては、使用人として最大限に働かなくてはいけません。
「有難う。ほんと、美古都ちゃんはこの館の女神様だねい」
「いえいえ。私から清掃を除いたら、やれることがなくなってしまいますから」
なんのかんのといって、先生から小説の技法を学べているのです。先生はあれでも小説家。文章を原稿用紙に纏めて提出しますと、赤い筆で添削してくれたりもするのです。簡潔な文章で評判な先書粒子。どうも回りくどい表現になってしまったりしたときなんかは、ざっくりと切ってくれたりして、とても勉強になります。
我自権先様はお世辞にも簡潔な文章とは言い難いですが、まあ尊敬するからと似せる必要もないかと思います。私は私の考える小説家になりたいものですから。
「ですよねえ、先生。相変わらず私の仕事を奪うのですから。少しは私にも、先生のために働かせて下さいよ。楽しくてやってるんですよ、私は」