書・1
「……ふう」
こうして、外に出て太陽の光を浴びながらお仕事をしていると、額に汗がうっすらと溜まります。もうこんな時期なのですか。それにしても、今からこの調子では今年の夏は本格的に暑くなりそうです。
もう緑霊館にお勤め始めてから二か月近くになりますか。少しずつしかお掃除をできないのであまり綺麗になった気はしませんが、それでも私が初めて訪れた、忘れがたきあの日から比べれば、格段にまともになったはずです。はずなんです。はずなんですよ。
このぐらいを一人でできなければ、私は我自権先様のために働くことができません。
我自権先様から【小生の住処は無駄に広ひものでして整理もままなりません。少し歩けば埃がたつやうな廊下です。小生の面倒を見てくれるような女性がゐればすぐに片付くのでせうが】と言われたことがあります。私はこれを、つまり我自権先様はお掃除が得意な女性がお好きと判断し、日々こうして緑霊館で腕を磨く日々を送っています。
はてさて、ここまで頑張ったのですから、ほんの少しの休憩をば。
ティーポッドと一冊の小説を持って、私はお庭へ出ます。日差しの下は避けましょう。ほどよく日陰でほどよく風通しのいい、中庭へ。緑霊館にお仕えし始めた当初から育て始め、今ではすっかりと芽生えた双葉を観察しながら、紅茶を飲みつつ、読書に耽る。
嗚呼、なんと贅沢な。
夏はあまり得意ではありません。どうも暑さで身体が弛緩する感じが、夏特有の気だだるさともいうべきものを冗長させるのです。
……しかしここまで否定しておいてなんですが、好きではあるのです。風鈴の音色。緑の薫り。あいすくりんの美味しさ。どれをとっても、風流を肌で感じる季節ですから。
というより、私に嫌いな季節はありません。苦手なだけなのです。嫌いと苦手。これは似ているようで、実は全くの別物なのだと、私は常々思っています。我自権先様にも手紙でお伝えしたことがあります。その時は【目から鱗が落ちました。さうですね。今度そのことを題材に一筆認めたいと思います】と返信がきました。我自権先様から誉められるなんて。しかも、私のなんてことのない考えが愛してやまない作家の題材にされるなんて。あまりの嬉しさに、私は数日の間、顔に締まりがないとお母様に叱られる毎日を過ごしました。
社交辞令かもしれないこの出来事でさえ、私はこれだけ幸せになってしまうのです。そして数ヵ月後、出版された新刊を読んだで昇天しかけたことは、私を知る者なら誰だって簡単に分かってくれることです。
そして我自権先様は、私に決して嘘はおっしゃいません。たまに間違ったこともあったりしますが、それは『知識を持ち合わせていなかった』だけであって、『意図的に間違えた』わけではありません。悪意がないのです。
最近出版された最新刊、雑穀を読んでいる私ときたら。顔が火照ってしまいます。
我自権先様。どうして我自権先様は、ああまで私を揺さぶる天才なのでしょう。緻密にして繊細。私のためだけに書いていると錯覚してしまうほど計算尽くされたシナリオ。あの人に認められたいからこそ、私は小説を書きたいのです。
……これでは駄目ですよね。以前、ハヤに言われたことを思い出します。
『片恋をするのは勝手だが、それなら操は立てんとな。その我自権先だって、もしお古都がどこぞの小説家に技術を教わっていると知ったら、嫉妬の一つぐらいはすると思うぞ』
気むずかしい先生のことです。書いている題材からして違うとはいえ、「私が好きな作家は、エス小説を書いている先生より、誰からも評価を受けていない無名な作家なのです」と言った日には、どのような拒否反応が返ってくるか。
「はは。これが花壇に咲いた一輪のお花なのかな? 綺麗に咲き誇っているねい」
突如湧いた声に、私は驚いてそちらの方向を向きます。ですが、誰ということもありません。こんなナンパがするするっと口を付ける私を知っている人なんて。