友・2
もうかなり暖かくなってきているので、屋上には私たち以外にも、ちらほら生徒の姿が見受けられました。皆、楽しくお弁当を食べながら、この季節特有の陽気を楽しんでいます。
「ははは。お前ら、うちの日下部道場にくるつもりはないか? 今ならこのわたしが直々に指導してやるぞ。共に『強い女性』を目指そうではないか」
「ふう、ふう……いやで、す、わ。あそ、この道、場は、息をするだ、けでも妊、娠、してしまい、そう、で、すもの」
「……ちょっと、キヌ、ふう、ふう……その、はしたないよ」
そんな中ですのに、どうしてこう見苦しい姿を晒さなければいけないのでしょう。
私は少し乱れた呼吸を整えながら、同級生を窘めます。キヌも同じく、息がゼーゼーになっています。苦しすぎて、時折咳き込んでいたりもします。
「言っておくがな。同年代だと、男でもわたしの足から逃れることはできないんだぞ。それをまあ、お前らはよくも簡単に逃避し続けるものだ」
全く平然としているハヤに最早、驚くだけの気力と指摘する体力すらありませんのはむしろ残念です。元気であれば、是非その一点について追及したい。
「せいぜい追いついてこれるのは、妹だけだ」
「っ……、っ……、それぁ……っ! あなたたぃ、姉妹が、……異常な、だけで……」
口を何度も大きく開き、なんとかして声を出そうとするキヌは、見てて痛々しいところがありました。気持ちだけは共感しておきますよ、キヌ。
「それはまあ、協力しないと撒くことなど無理だったわけだけど……」
私は長距離走なら(まだ)得意で、キヌは短距離走なら(比較的)得意。そしてハヤは、私たちの頂点を、足し算ではなく掛け算したような運動神経をしています。こんなハヤに追いかけられてしまったら。私たちが逃げ切るには、上手くハヤの気を引いたりと、撹乱しながら逃げないといけないのです。幸いハヤは、目の前の相手しか追いかけてきません。
「これで二人とも、日頃から身体を動かしているわけではないからな。嫌みな奴らだ」
ハヤは地面にハンケチを敷き、その上にどっかりと、お殿さまのように座りました。私とキヌも、ハンケチを敷くところまではハヤに倣います。私は袴が汚れないように、キヌはスカートを巻き込まないように、それぞれ注意しながら座ります。
「ふう……身体を動かすとより腹が減るな。早く弁当を広げようではないか。お絹」
「そんな顎一つでいそいそと隼さんの食事の支度をしましたら、まるでわたくしが隼さんの妻のようではありませんか。そのぐらい、自分でして下さいな」
かなりの時間取り乱していたキヌですが、少しでも我を取り戻せることができれば、こうしてすぐ我が組の級長・中屋敷絹に復帰します。矜持が成せる技なのでしょうか。
「お絹のような妻か。さぞかしそのハンケチのように、大きな尻に敷かれるのであろうな」
「な……! 撤回してくださらない!?」
「それだけふくよかだと、さぞや触りがいがあるのだろうな」
「……やはり撤回なさらなくて結構」
傍で聞いているだけですのに、思わず私はハヤに正面を向け、なるべくお尻をハヤから遠ざけようと試みていました。
「ハヤとキヌが夫婦……うん? 意外にも絵になるような……」
武骨な主人と、文句を言いながらも甲斐甲斐しく世話をする婦人。そんな構図が私の頭の中に浮かびました。今夜あたり、そんな短編も書いてみましょうか。
「……美古都さん。わたくし、先ほどの隼さんのような洒落にできない冗談は嫌いでしてよ」
少女小説は大好きですが、だからといって自分自身がエスの気があると単純に決めつけることはできません。
「ということはだな、お絹が妻なら、残ったお古都は……」
ハヤはそう言うと、キヌと顔を見合わせました。そして四つの目が私に向けられます。
「…………」「…………」
「……な、……に?」
二人とも何かを悟ったような顔で首を上下にこくこくと体操をさせます。
「……娘、ですわね」「娘だな」
「あははははは」「おほほほほほ」
「私の知らないところで話を進めないで~」
少しだけ涙が出てしまいます。しかも娘などと。子供っぽいことは自覚していますが、どうやら要因は他にもあるようですね……。特に近頃は、とある人物から「小娘」と呼ばれることが多いせいで、ますます私の早く大人になりたい願望は高まるばかり。ハヤとキヌを鼻で笑って受け流せるぐらいになりたいものです。
風呂敷を広げますと、各人の家の特徴がよく現れたお弁当をそれぞれ広げます。私は洋食屋の娘ということで、サンドイッチ。レタスやトマトなど、新鮮な野菜を使っています。毎朝の仕込みで、お兄さまが物のついでに作ってくれるのです。キヌは煮物。お抱えの料理人がしっかりと味を染み込ませた、とても深みのある一品。ハヤは質素に、梅干しと漬物。そして、卵焼き。というそれは、折角通っている女学校で、質素で笑われないようにと、門下生さんの一人が、毎朝飼っている鶏が産む卵を差し出しているという代物ものです。
「しかしお古都。どうして寝不足なのか、わたしたちはまだ訊いてないぞ?」
「うわあ」
一難を去らせたと思ったら、今度は藪をつついて大蛇を呼び込んでしまいましたか。
「最近の美古都さんの疲れようは、一晩か二晩を徹夜したぐらいではあり得ませんわね。わたくしたちの知らぬところで、なにかを抱え込んでいるのではなくて?」
「だからそれは、我自権先様への手紙の文面が、」
「いつも授業そっちのけで内職しているではないか。なにを今更夜も眠れないほど悩む」
「そうですわね。思い返してみると……かれこれ一か月ほど前から続いていますわね?」
「…………」
そうでした。私はいつも我自権先様のことだけを考えているせいで、最早言い訳には使えないのでした。狼少年、ってこれに近い逸話でしたっけ。
我自権先様との手紙は、数日単位で遣り取りをしております。内容は基本的に私が近況報告をし、我自権先様が「貴女のその感性は好ましい」「そこはそうした方がよかったのでは」といった、賛否のはっきりとした意見で、私に新しい目を運んでくれるのです。我自権先様と文通していなければ、ハヤとキヌとも仲良くなれなかったほど、私は我自権先様に強く、その人生観からして影響を受けているのです。
「切り札を出そうか? 先日うちの男どもが、公園のベンチでスーツを着た男と一緒に、ベンチでシトロンかなにかを飲んでいたお古都を目撃したそうだ」
「…………!」
よりにもよって!
「ちょ、隼さん! どうしてそんな大事なことを今まで黙っていたのです!?」
「いやあ、わたしも生の眼で確認したわけではないしな。信頼のおけない武器など使いたくない。……ああ、それと、五つくらい離れた町で目撃されたとの情報もあった。休日ではなく、放課後に。乙女な表情をしていたとのことだ」
「まあ! 真っ黒ではないですか!」
駄目です。この二人の息が合った追求には、私一人が太刀打ちできる代物ではありません。
しかし言ったが最後、どこまでも深く噛み付いてきてしまうことでしょう。
ここは多少の傷を厭わず、別の案件を白状することとします。勿体ぶった言い方をすることで、この二人は余計に喰いついてくれることは身に染みています。……まあそもそも、こちらはこちらで、もしクラスに話題が広がって、しかも教師の耳に入ってしまったら……私はどれだけ叱られるか、わかったものではありません。事実はどうあれ、客観的には、未婚の女性が一人の男性が住んでいるだけの屋敷へ出向いているのです。もし過ちが起きたら……。そう危惧する大人もいるはずです。
「その……言うだけならいいのですが……深く探ってこないことを約束してくれるなら」
「するわけないではありませんの。わたくしをそんな口の軽い女だと思って?」
「男っぽいと日頃から言われているわたしだ、そんな女っぽいことをするはずがなかろう」
そう言いきった二人は、もはや「晴れ晴れとした」と表現したくなるほどのきりっとした目つきで、私の心を明るくさせました。
これなら、告白しても大丈夫。
「私、とある男性に、買われたんです」
「…………」「…………」
「あれ?」
どうしてか二人とも、氷のように固まってしまいました。