友・1
お昼休み、晴れた日には屋上で食べよう。これが私たちの取り決めです。でありますから、四時間目の終了を告げるベルがその尖った音色を校内に響く。学生が安息を手に入れる。それと同時に私たちは移動を開始するのです。
「お古都。最近、やけに忙しそうじゃないか。何かあったのか?」
お弁当の入った風呂敷を気にしながらも、ハヤは私の顔色を伺ってそう言ってきました。覗き込むその動作によって、ハヤの匂い袋から、麝香のクラっとくる刺激の強い香りが漂ってきます。顔と性格に似合わず、大人っぽい香りを選ぶものです。しかしそんなハヤですが、身体を激しく動かすためか、いつもお腹を空かせているのです。特にお昼休みが近づきますと機嫌が悪くなるので一目瞭然。もっとも、他の生徒からしてみれば人造人間が暴走寸前、より一層近づこうとしなくなるので、こんな可愛らしい一面を知らないわけですが。
「いえ、その、別に」
「なんですの? まさか、また我自権先とやらにうつつを抜かし、寝不足気味だなんて言わないでしょうね? あまつさえ、それで勉学に身が入らないなどと言った日には――」
「いや、だから」
「睡眠不足は肌の天敵だぞ。お古都は綺麗な肌をしているのだから勿体ないではないか」
「あ、や、ちょっと、ハヤ」
ハヤが私の頬を擦ってきました。私の肌に触れるハヤの手は、やはりお世辞にも年頃の女の子らしいとは言えず、少しだけゴツゴツしています。剣を握っている代償でしょうか。ですが、それでこそ日下部隼というもの。キヌのように白魚の肌では、日下部隼感じがまるでしません。
「せめて、人目のつかないところで……」
「屋上ならよいのか?」
「そういう意味に取らないで!」
「あなたたち、少しは黙らないと……手をこまねかれますわよ?」
ここは廊下。クラスメイトどころか、教師の目に入る可能性だってあります。度を超えて騒ぎますと、職員室へ連行され、説教が待っているのです。
「わたくしとしましては、美古都さんの肌よりも、脚が羨ましいものですわ。どうしてこんなにすらっとしているのでしょう。美古都さんもスカートをお履きになってみては? きっと、わたくしよりも似合うでしょうよ」
「皮肉が過ぎるぞ。いくら自分が短足だからって」
「な……! 言っておきますけれど、あなたたちが無駄に長いだけですわ!」
「どうもありがとう。いやあ、お絹から褒められるなんて。とっても歯痒いな」
「誰が褒めていますか!」
「その、キヌ。少し静かにしないと……」
どうもキヌは脚の長さを強く気にしているようで。確かにセーラー服を着ていると、脚は気になるものですが……。
「こうなったら、誰よりも早く、クラスでも話題のアレを発見して……!」
私もハヤも、キヌが指示語でしか表していないものがなんなのか、すぐさま理解しました。
キヌが言っているのはクラスでも話題に上がることが多い、脚が細くなる薬のことです。
スカートというものは、当然ながら脚を露出させます。これで欧米人のように、すらっとしているのならとても似合うのですが、私たちは日本人。脚は短いのです。この体型だと、スカートは似合いません。ですから、女学生にとって脚の細さというものは、何よりも美の象徴となるのです。それを実現してくれる、夢のようなお薬。
「古今東西、始皇帝や楊貴妃のように不老不死や美人になる薬を求めた人間は数知れなくとも、それに成功した例というのは訊いたことがないがな」
……まあ当然、そんな薬などあるはずがないのですが。いや、出回ってはいますが、どれもこれも効果の程は首を傾げるばかり。それでも私たちがそういう薬を欲しがるのは、やはり、人とは手に入らない物でも渇望してしまう生物だからでしょうか。
「……ちょっと美古都さん。とても癪に障ることを考えているような気がしたのですが」
「ああ。全く、お古都という奴は」
「え、え? 何が、なんで?」
私はただ、ぼうっと二人を眺めていただけですのに。
「自分も薬が欲しいなーって顔をしていたぞ」
「美古都さんにはそんなもの。いらないではないですの」
「私、あまり自分に自信がないから……」
どうも私は女子特有な、全身の丸さに富んでしまっているので……。洋服ならそれでもいいのですが、リーベの給仕服ぐらいしか私は洋服を着ません。和服が年々似合わなくなってしまうのは、正直いただけないのです。
「何を生意気なことを。美古都さんは謙遜がすぎるのですわ。もっと自分に自信をお持ちになってちょうどいいくらいです。必要な部分は揃っているといいますのに。これ以上細くなられたら困りますわ。どう足掻いても美古都さんに勝てなくなってしまうではないですか」
どうしてか分かりませんが、キヌはいつもこうして、私の容姿を挙げては、否定の言葉を重ねるのです。譲与できるものなら、喜んで差し上げたいくらいですのに。私は自分の容姿が好きではありません。
「ふふ。敗北宣言か。実に男らしい。わたしみたいだな」
「……わたくし、あなたと似ているという旨を誰が言おうとも、虫酸が走るのでしてよ?」
「それはよかった。わたしも自分で言っておいてなんだったのだが、お前と共通点があるというだけで臓物が脚まで落ちるからな。今後は容易にわたしの真似をするなよ」
「誰が誰の真似ですか!」
「さあてな。そんな猿真似をする知り合いなんていないもんでな」
ああ、また始まってしまいました。どうしてこんなに罵り合いをする二人が、学友をやれているのでしょうか。親しき仲にも礼儀ありとは言いますが、この二人はさしずめ「親しき仲だから喧嘩あり」といった風情。……ふと考えましたら、それってただの「喧嘩するほど仲がいい」ですね。でも私が考えたものの方が、より二人の特徴を捉えていると思います。
ですが、ただ陰険なだけでなく、こうして口で攻撃した後は、私たちは決まって、
「ふ、うふふふふ」「あはははは」
こうして笑いあい、お互いの健闘を祝います。私も釣られて笑ってしまいました。
もう私たちは、過去の陰険さなど、微塵も持ち合わせていないのです。
「私たちはお似合いの『トリオ』でいいじゃないかな、ふふふ」
「そうだな。どうせ、わたしが口を開けるのはお前らぐらいだ。だから、お前らがわたしをどうこう言おうが、全く気にしないさ」
「当たり前ですわ。あなたたちなら、どれだけ雑言を吐いてもかまいませんわ。お返しに、わたくしも同じだけのものを被せるだけですからね」
結局、こうして明るい部分も暗い部分も見せるからこそ、私たちは掛け替えのない友人となっているのです。誰が欠けても、成立なんてしないのです。
「ふむ。それにしても、わたしとしてはお古都にもう少し成長してほしいものだがな。そう、着物が似合わぬほどに、だ」
ハヤが私にしな垂れかかってきました。それはまさに、芸妓が馴染みの客人に愛想を振りまくかのように。……私たちは、間違いなく、女同士なのに、です。
「ハヤ、その、困るよ」
「よいではないか、よいではないか。女は女らしい身体になるべきだぞ。わたしはもう諦めてるしな……。どうも身体が筋張っていていかん」
「そんな。ハヤだってとても柔らかいのに」
「すみません美古都さん。どうもあなたがその気になっているようにしか感じ取れなくてよ」
ハヤは武道を嗜んでいるせいか、全身のどこを切り取ってもすらっとした体型。女性でありながら、獣のように締まった肉体。女性らしさは感じませんが、それとは別種の、芸術のようなものを、私はハヤに魅力を覚えてしまって……瞬時に、この感情を打ち消します。そうしないと身に危険が及びますので。私は隠しごとを、この二人の前でだけは、まるでできないのです。表情だけで読まれる始末。
「お前らはいいな。こんなに女性をしている。少しぐらい味見させてくれないか?」
「わたくしの目の前でエスの気を起こさないでくれませんこと隼さん? あなたは女性なのですから、男性の肉体を触っていればいいではないですか。あなたの道場の門下生なら、喜んでその身を差しだしてあげるでしょうよ」
そうなのです。ハヤは少しどころでなく、「エス」の気があるのです。隙あらば私たちの身体を触ろうとしてきます。教室では、ロボットと呼ばれるだけあってその評判にそぐわない行動はしているのですが、情け容赦なく本心を曝け出せる私たちの前ではご覧の通り。
「男なんてどこがいいんだ。むさくるしいし、汗で臭いし、飯は莫迦の一つ覚えのように喰いまくるし……どこにも上品さがない。見た目だけならお絹が、私はよほど好みだ」
おや、対象が変わりました。これまで私だったのに、どこが契機だったのかキヌへ。……冗談にしてはやけに感情を込めるハヤに何故か私までゾクリとさせられました。どちらかというと、百物語を聞いたている時の感覚です。もちろん、直接思いの丈をぶつけられたキヌは珍しいことに、少し涙目になりながら、私に救援を求めました。
「こ、こんなのは断じて、エスではありませんわ! エスとはもっと、プラトニックなものなのです! 乙女同士の、儚い愛情劇なのです!」
「ごめんなさい、ハヤに本気になられたら、私では太刀打ちできないから」
ですので、私は容赦なく切り捨てることにしました。
「……この、美古都さんの裏切り者ぉ!」
「ふっふっ。いいなあお絹の口紅をしたように赤い唇。思わず接吻をしたくなってしまうぞ」
「いやあ! 洒落にすらなりませんわ! 美古都さん、わたくしの身代わりとなって!」
「いやですよそんなの!」
キャーキャーと言いながら、私たちは逃げ回ります。ああ、屋上までの道のりの、なんて遠いことでしょう。