師・7
「ひょっひょ。それが気に入ったのかえ?」
……いつの間にやら、お婆さんが隣に居ました。全く気づけなかったのです。既にお小言は終わっていたようでした。お客様が見当たらないからどうしたのかと探してみると、壺と壺の間で正座をしていました。心なし、いろいろと小さくなっているように思えます。ああ、見たくない。あんな情けないお姿。
「悪戯坊主には、ああするのが一番の薬じゃよ」
「で、でも、先生は私より、」
あら。どうして私は先生と口走ったのでしょう。言い直します。
「で、でも、お客様は私より、大人ですが……」
「二十を超えていようが三十を超えていようが、男として産まれながら女の一人も養えないのでは甲斐性なしじゃよ」
ある意味では、私を雇っているのだから、養っているともいえなくは……そう考えて、これではまるで、先生に嫁入りをしたみたいではないですか! と感じてしまい、私は一人、勝手に顔を赤らめます。
「……流石にそこまで収入が少ないわけではない」
帽子を目深に被りなおしたお客様は弱気に反論します。
「――えい!」
少々気になったことがあったので、お客様の帽子を取ってみました。少し涙目でした。
「……申し訳ございません!」
お客様は自尊心がとても高いお方のようなので、これ以上不躾で小娘な自分が、見知らぬ他人の心を削らないよう、何事もなかったかのように帽子をかぶせなおしました。
「わしの店で使う金、あれがおまえさんの金というのかえ?」
「その金で生計を立てている婆に文句を言われる筋合いはない」
「金と心は天下の回りものじゃよ」
「斬新な表現だな。今度、小説にでも使わせてもらおうか」
「ひょっひょ。わしも文才のある才女かえ?」
「……皮肉も通じないのか、このババアは」
最後の一言だけ、若輩な私がやっと聞けたほどの、とても小さな声でした。このような小声では、到底お婆さんに声が届くはずもありません。いえ、聴かすつもりはないのでしょう。
「この龍はじゃな、わしの旦那が作った物なんじゃよ。芸術家気取りな奴だったでな、こうして彫っては、よく店に飾っていた。売れないんじゃがな。ほっほ」
笑っていいのかどうかわかりませんでしたので、微笑むことで誤魔化しておきました。
「確か、旦那が死ぬ前に作製に取り掛かっておったから、もう二十年はここに置かれていることになるかの。それまでの間、誰一人として買い手は付かなかったのでの。……そうじゃ、もし良ければもっていきんさい。置かれていても仕方がない。どうせこいつに目を掛けたのは、ここにいる男と嬢ちゃんだけじゃ。どうせ同じ感性を持つ者なら、より若者に貰われた方が、若者に持って行かれた方が、ワシの旦那も、龍も、双方ともに喜ぶじゃろう。ワシも長くはない身。ワシがいなくなあったら、こいつの行方は知れぬのでな」
私と、先生が似た者同士。どうしても、嬉しくなってしまいます。
先生は嫌がるだろうと、視界の淵でお客様を(無関係ですが。もう一度言いますが無関係ですが)、ちらりと伺ったところ……、
私に見られたことに気がついたのか、すぐに表情を元に戻してしまいましたが。
とても恥ずかしそうに、そして、嬉しそうに、頬が緩んでおりました。
「いえ、でもロハ……無料というのは悪いです」
「いいからいいから。年寄りの親切は無碍にするものじゃないぞえ」
有無を言わさず、私に龍を押し付けてきました。いいなあとは感じていましたが、特に欲しいと思ったわけでもないですから断りました。しかしぐいぐいと無理やり押し付けてきましては、私の抵抗もあまり意味をなしません。なるほど、このお客様が苦手意識を持っていても無理はないです。意外なことにも、押しに弱い性格をしていますから。
「……待て。散々我慢してきたが言わせろ。その龍は俺が幾ら言おうが譲ろうとしなかったくせにどうしてその小娘にはそう簡単に渡せる」
「ほう? ワシは、一万出せば考えるとは言ったがの。一万出さなければ渡さない、とは言ってないぞえ」
まさか一万銭……などということもないでしょう。一万円。それだけあれば、借金をどれだけ返せるのでしょうなどと、お父様の抱えた借金の額も知らないのに考えてみます。
「……く」
苦虫を噛み切るぐらいの勢いで、お客様は歯ぎしりを始めます。それが精いっぱいの抵抗なのでしょう。
「そうじゃったそうじゃった。確か、これを仕舞うための箱があったんじゃった。ちょっと待っておれ。今すぐ包んであげるからの」
お婆さんは正式に私へ明け渡すため、その準備に店の奥へ消えていきました。
「……小娘」
「は、はい……?」
「覚えていろよ」
何を? とまでは聞けませんでした。それぐらいの迫力が滲み出ていたのです。
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