師・6
「ひょっひょ。うるさいと思ったら、珍しいよのお。可愛らしいお客が来ているものじゃ」
店の奥から、小さなお婆さんが出てきました。これが時風君のお婆さんなのでしょう。これまた店の雰囲気にあった老婆で、……なかなかに、不気味です
「どうやらこの餓鬼の端女のようじゃが……はて。この餓鬼は、女子に手出しをできるほど甲斐性のある男だったかえ?」
「……餓鬼という年ではない。俺はもう二十も八つばかり年を取った」
お婆さんが指している『餓鬼』とは、誰のことを言っているのでしょうと思ったのですが、お客様のことでしたか。私よりも年上なので違和感を覚えましたが、お婆さんからしてみれば、私たちの年齢の差なんて、あってないような些細なものなのでしょう。
――それにしても、たった今、初めて先生の年齢を知りました。先生は見た目が特殊なため、いまいち年齢が分からなかったのです。先生も宗司様も、自ら年齢を明かそうとしません。どうも先生は宗司様より一歳は年下らしいのですが、並べるとむしろ先生の方が老け――いえいえ、年上に見えます。けれど先生の年齢である二十八より上なのだとしたら、宗司様は少なくとも二十九歳。そうだとしても十分に若く見えます。むう、余計に納得できません。
……いけないけない。ここにいらっしゃるのは先生ではなく、お客様なのです。全く関係のない人を見ながら、先生の陰口を叩くなんて。使用人の風上にも置けません。
「わしからすれば十も二十も三十も変わらんよ。おまえさんはいくつになろうが、餓鬼じゃ」
「……昔から俺を知っているのならともかく、俺がこちらに越してきたのは十五だ。まるで俺のオシメを替えたことがあるかのように言うな」
十五歳の先生……全く想像ができません。今の私とそれほど変わらない年齢。
「まったく、このような男の端た女になるなど……難儀なものよの」
「いえ、私は先生の使用人となれて、幸福とさえ思っていますよ」
「よいよい、そのような世辞を言わずとも。花の女学生が、こんな男と同じ空気を吸うことなどないぞえ。ワシもお主ぐらいの歳月の頃は、女学校へ行くのに派手な格好をして、男の目線を独り占めしていたものじゃわい」
いっひっひ、と笑うお婆さんは、過去の栄華の残滓となるものは、私の目からしてもあまりなく……当然、お客様は「なにを言っているんだか……」と呆れた目を向けています。
「ほざけ。己が若かりし時節は、まだ女子とて男袴の着用をしていたはずだろう」
「なにを言うか。わしはそんな女に混じり、茶式部をじゃなあ」
「時という絶対的・普遍的な串が、柔らかな団子すら刺せぬほどに曲がっておるぞ」
女学生が男の恰好をする。そんな時代があったのですか。今日、その名残すら見受けられないところを見る限り、どうやら完璧に廃れた文化のようではありますが。
それにしても、ようやく先生が少女小説家である一面を垣間見た気がしました。
「はて、そうだったかのう? 年を取ると物覚えが悪いものでのお」
「都合のいい時だけ年寄りになるな、ババア」
「ばばあ……じゃと?」
俄かに、お婆さんは顔を顰めました。
「うわ、婆ちゃんの琴線に触れちゃった。おねえさんおねえさん、耳塞いどいた方がいいよ」
私の返事も待たず、少年は早々に耳を塞ぎます。厭な予感がしたので、私も少年に倣いました。その咄嗟の判断は、どうやら正解みたいです。
「この! 戯けが! れでーを捕まえて! ば・ば・あ、とは何事じゃ!」
稲妻を落としたような衝撃がお婆さんの口から発せられます。その衝撃波は凄まじく、私の前に置いてある大きな壷が、カタカタッと揺れました。
「今、自分で年を取るとと言ったばかりだろうが……」
ご主人様のつぶやきが空しく響きます。それを聞き届けてあげられたのは、どうやら私だけだったようです。
「そもそもおまえさんという男は――」
あら? 少年がいつの間にかいなくなっています。きっと店の奥へ退避したのでしょう。
大きな声のお小言は延々と続くようなので、私はしばらく、事件現場からなるべく離れた、入口あたりの商品を見て回ることにしました。……決して先生、もといお客様を見捨てたわけではございません。ただ、私はお婆さんに怒られるようなことは何もしていません。それに、どう宥めればいいものか。繰り返しますが、決してお客様を見捨てたわけではありません。そんなこと後を考えれば怖いこと、できるはずがないでしょう?
さて。折角の骨董品店。私も少し、耳を塞ぎながら見物することとしますか。
お客様が物色してらしたのは壷や箪笥など、置物や家具の類でしたが、私が見ているのは小物の類です。西洋から輸入されたらしいそれらは、なかなか赴き高く、可愛らしいのです。一部の区画には呪われていそうな人形があったりしますが、まあそれは極力無視しましょう。
そうして一つ一つを手にとって見て、触って、調べて。お金さえあれば、今すぐにでも買いたいと思える、良い物も結構あります。
その中で、一際私の目が惹かれたものがありました。
白い木彫りな、龍の模型です。
それは鱗の一つ、爪の一欠けらに至るまで精巧に作られていて、まるで作り手が本物を見たことがあるかのようで、創作物には到底見えないほどの出来栄えです。
振り上げられた腕は今にも襲ってきそうな凶悪さを秘め、金色の髭は夜道を照らすランプのように爛々とした光を放ち、うねる尻尾はこれから天に昇るように躍動感が溢れます。目は紅いガラス球がはめ込まれていて、こちらをぎろりと睨みつけてきます。
これは、先生だ。
何故か私はそう思いました。
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