師・4
午後になっても空はどんよりと重く低く、青空を拝めるのは、どうやらまだ先になりそうです。お買い物はよほど雨が酷くない限り毎日行っていますが、やはり雨が降っていますと、食材が濡れてしまったりして大変です。
梅雨の季節は使用人にとっても迷惑な季節です。干すことが出来ませんからお洗濯物が一向に乾きませんし、お掃除も少し手を抜いてしまうと、途端にカビが生えてしまいます。
しかし私自身は、この季節をそれほど嫌っていません。
昔からそうなのですが、私はどうも、人と違う感性を持って生きているらしいのです。お友達がみんな好きなものが、私にはあまり良いもののように感じられなかったり、あまり面白くないと評判の小説が、たまらなく好きだったり。それはそれで、世の中を楽しく生きようとする心を持てていると自己を分析してみたりします。
「まいど! 今日も付け足しといたからね!」
「ふふ。どうもいつも、有難う御座います」
顔見知りの八百屋さんの店主は、よくこうしてサービスしてくれますから嬉しいかぎりです。それもこれも、皆さんがやさしいから。世界は思っている以上に優しいのです。世間の荒波など、知らなくてもいいものはたくさんあります。
「ふう……」
これで夕食の分は買い揃えました。あとはお屋敷に「帰る」だけ。
帰り道は、いつも違う道を通るようにしています。まだまだお屋敷の方角は土地勘がないため、慣れるという意味も含めて、こうして道を変えているのです。
今回は少し寂れた通りに足を向けてみました。
この辺りはまだ近代化の流れに取り残されているかのように、明治どころか江戸から続く、古い町並みが続きます。この町は発展している方だと思っていましたが、こうして一つ道を違えば、まだ古き時代が残っているのです。モダンもいいものですが、温故知新。古いものだって、とても大切なのです。
塀から紫陽花の花が小さな顔を覗かせています。それに近寄って眺めてみました。雨に濡れても必死に咲く紫陽花は、どんな苦境に陥っても絶望はしてはいけないと、私に勇気を与えてくれるよう錯覚させます。この小さな花の一つ一つが、それぞれの生を謳歌しています。
当てもなく彷徨いながら歩いていましたら、ふと私の目に一軒のお店が映りました。
……いえ、そのお店にいるお客様に目を奪われたといったほうが正しいでしょうか。
看板も掲げられていませんが、開け放されている戸から壷や皿がちょこんと顔を覗かせています。そして傍には小さな値札が。骨董品店なのでしょう。そういう目で見なければ、そもそもこのお店が営業をしているお店だということすら分かりません。事実私も、そのお客様がいらっしゃいましたから、お店だと判断できたのです。
天気の悪い日のせいか、はたまた最初からなのか、外見は(失礼を承知ですが)お屋敷と同じくらいに汚く、とても不気味で、異質な空気を周囲に振りまいています。
……心なし、この周囲の空気が黒く思えるのはおそらく気のせいでしょう。例え晴れの日の昼でもカラスが空を飛んでいそうなのは、私がお屋敷で勝手にイメージを膨らませてしまったから。そのせいなのです。
雨が今にも降りそうな天気だからか、気温の割にはじめじめと蒸し暑い。そんな気候の中、店内に唯一居るお客様は、青い着物を基本としていました。つばの広い帽子を被っているせいか、夏という季節を先取りしている気分を周りに与えます。しかしそれを中途半端に否定するように、着物は乙女の柔肌を守る衣服以上に、びっちりと一分の空きもなく露出がありませんし、帽子はつばが広すぎて、狭い店内のあちらこちらにぶつかっています。
加えて、ある一つの特徴が、お客様の雰囲気を異質なものにしていました。
お客様は、オペラの仮面をつけているのです。
ただでさえ不気味なお店は、たった一人のお客様のせいで、より一層不気味になっていました。私にとって、大柄な男性と会話するよりも恐いです。子供の頃なら間違いなく泣いています。理由もなく泣いています。そういった類の怖さです。
…………。
午前の例の出来事により、めっきり機嫌を悪くした先生は、書斎へ入り鍵を掛けたかと思うと、数日後に迫っている締め切りに間に合うよう執筆を再開したはずです。決められた期日を守ってこそプロであるのです。ですから、まさかこんなところで、油を売っているはずがありませんよね。あそこにいるお客様は、なんだか先生にとてもよく似ているだけの、私とは縁もゆかりもない他人なのです。
今の私はどこか、普通ではありません。心のうちのどこか一部分が、好奇心旺盛になってしまっています。私は迷わず入店しました。
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