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我流自権先  作者: いせゆも
11/52

師・3

「……どう、すればい、いんだ?」

「あら」

 珍しい。先生が言葉をつっかえさせるなんて。……いえいえそちらではありませんって。私もまさかの先生の取った選択に、かなり動揺しているようです。

 ここまで強情な性格ですと、どうも自らの非を認めるのには強い抵抗があるようです。知らないことでも「知っている」、やれないことでも「やれる」などと突っぱねてしまうのです。そんな先生が、ぎこちないながらも小娘と呼んで蔑んでいる私なんかに質問をしてきているのです。私のこの驚きは、量りようがありません。

「そうですねえ……まず、優しい言葉をかけるところから初めてはどうです? ぞんざいな扱いをされて嬉しい女性はいません。言うはロハですから、言うべきだと私は思います。あ、私は先生からなら小娘と呼ばれても構いませんけれど。それ以外の方なら、うふふ」

「ロハ?」

「あ、無料という意味です」

「どうしてロハと無料が結びつく」

「ほら、タダって漢字を分解すると『ロハ』になるでしょう?」

 私は空中に、指という名の筆を用いて書きます。

「これだから今時の若者は……言葉を崩壊させるつもりか」

 ……片棒を担いでいる先生には言われたくもありませんが。先書粒子の影響で、大人たちから言葉の乱れを嘆かれているキヌのような例があるので。私がキヌのような言葉遣い(というより、先書粒子作品の登場人物の口調)を真似したら、先生はどう思うのでしょう。

「そんなことを言いだしましたら、例えば、ご飯をよそう杓文字なんかはどうなってしまうんです。平安時代ではもともと『杓子』としか言いませんでした。理想の女房はこういう言葉を使う、となんでもかんでも語尾に『もじ』をつけた結果、杓文字と呼ぶようになり、今や、すっかり市民権を得ているこのご時世」

「俺は現在の話をしている。そんな千年単位の話などはせん。そこまで頭が固ければ俺は武士の喋りをしないといけなくなる。今さらそんなことはできん。……ふん。話を戻すがつまり要約すると幼い頃より培ったこの癖を今更直せるものか」

「そう堅く考えなさらずに。宗司様のように、ごく自然体でいいのですわ」

「…………」

「自然体でいいんです」

 無言の圧力がきましたのですぐ元に戻します。私は所詮、付け焼刃ですので。

「それが無理なのだと知れ」

 難しいです。類は友を呼ぶものですのに、宗司様のように振舞えないのでしょうか。……まあもちろん、私だってキヌとハヤのように振舞えと言われても、土台無理ですが。あれは個性が強すぎます。

「では、その口ぶりはどうにもならないとして、もう少しこう、柔らかく相手の名前を呼んでみたらどうでしょう。『宗司!』みたいに尖ったものではなく、『そうし』のように」

「よりにもよってどうしてあいつを引き合いに出す」

「私、先生の知り合いは宗司様しか知りませんもの。……それが無理でしたら、私個人としましては――……『小生』でも使えば、大分印象が変わるのですが」

「ふざけるな」

「あらら。嫌われてしまいました。残念です」

 きっと先生の、小生という一人称は、とても似合うと思いますのに。

「一人称が駄目なら仕方ありません。宗司様のように、気心を知りすぎた仲でも難しいのですか。――でしたら私が練習台になりますから、お好きなようにお呼びなさって。どうせ小娘な私に、恥ずかしがる必要なんてないでしょう」

「……俺としては『七君』と呼びたいのだが」

「ななきみ?」

「なんでもない」

 先生がぽつりと呟いた言葉は聞こえていましたが、それがどういう意味なのかは、私には理解できませんでした。

「もしかして先生、私の名前が分からないとか、そういうことですか?」

「倉持美古都。……覚えていないわけがないだろう」

 先書粒子の連載は話しの破綻や矛盾が少ないことで有名ですので、記憶力はかなりあるのでしょう。名前の方は宗司様が『美古都ちゃん』と呼ぶのでともかく、名字は初対面の時に一回だけしか名乗っていません。

「私は先生と、淡々とした主従関係で終わらせたくありません。折角こんな出会いをしたんですもの。もっと思い出に残るような経験をしたいです」

 私がそう言いますと、先生はミケンに皺を寄せます。

「……み、みこ、」

 なんと律儀なことに、実践しようとするのです。頑張れ、先生。よちよち歩きをする幼児を見守る母の目線で、私は先生を応援します。……我ながら上から見下ろしているなあと感じましたので、認識を改めなければ。私は使用人なのです。

「……………………。おじょ、おじょう、お、おじょ、う、さん……」

 おや、路線変更。私個人ではなく、そこらで通りすがりの一般人と思い込めるよう、当たり障りのないものに変えたようで。

 肌が白いせいで血の色素がそのまま皮膚ににじみ出ているのではないかと心配になるくらい、それこそ花も恥じらう乙女ですら恥じらってしまう先生は、私の心へ深く染み入って――

「…………」

 だ、駄目です。先生は大真面目なのです。冗談でもこんなことは言わないのです。ですからここで感情を露わにしてしまっては。冷静に、冷静に――

「ふふ、ふふふふふふ、あ、あは、ははははは」

 ――なりきることはできませんでした。

「……小娘。覚えておれよ」

「ご、ごめんなさい先生……だって、だって、宗司様のようにさらっと、言ってくれるのなら、笑いもしませんが、ふふ、本当に、恥ずかしそうに、ふふふ、言うんですもの。あはは、おかしいです」

 今日の午前中の仕事は、なんとか笑いを止めることと……そして、すっかり機嫌を悪くした先生を宥めることで費やされてしまいました。そうしませんと、今月はもう平気ですが、来月あたりから本人も気が付かないような報復をしてきそうで。そんなことをされた日には、倉持美古都は生きていく糧を失ってしまいます。


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