序章
「これからお願いしますね、先生!」
私は精一杯の笑みを、無愛想な先生に向けます。
「…………」
先生はだんまり。……悲しいながら、いつもどおりです。
「なあに黙ってんだい金字。嬉しいくせにさあ。いいじゃないか、まさに花のような女学生が、しがない君なんかの世話をしてくれるようになるなんてさあ。羨ましい限りだよう」
宗司様は赤玉ポートワインをグラスにくゆらせながら、実に寛いだ様子で先生を諌めます。あ、確かに先生をよーく観察してみますと、眉の傾斜角が少しだけ緩やかです。
「……ふんお前が勝手に決めたことだろう。俺は断ずるがこの小娘を買った覚えはない。それもこれも話を俺の知らぬところで進めたからだ」
元より早口な先生ですが、今は殊更、雨が降りしき堤防が決壊寸前の川のように、唇が韋駄天となっています。
「ははん? 途中からは君も積極的に参加していたように記憶してるけどねい。君が納得のいく環境で執筆できるようにするために、編集者である僕は君の生活を支えられればと、こうして使用人の手配をしたんじゃないか。まあもっとも、それは表向きだけどねい。裏向きとしては、美古都ちゃんが小説の技術を学べるように、と。……最近流行りの作家、『先書粒子』の下で学べば大衆小説を書くのに勉強になるんじゃないか? という老婆心からさ」
一方、宗司様は余裕綽々と、可能な限り遅く発音します。元より独特な口調が、より強調される形となっています。
「それで俺の執筆に影響が起きたらどうするつもりなんだお前は」
「大丈夫。君はノルマだけは達成する男だからねい。君を信頼できないほど、僕らは浅い関係ではないと思っているよう? いいじゃないか、君もだって勉強になる。そうなれば、七君ももっと喜んでくれるのではないかな?」
そう言った宗司様を、先生は紅い瞳で、ギロリと睨みました。
「俺は明治どころか、大正生まれのような小娘を買ったなどとは、絶対に認めんからな」
告発します。
私は買われました。
……いえいえ、誤解を与えるような表現になってしまいました。訂正しましょう。
私はある男性と一つ屋根の下で暮らすことになりました。
……これもなんか違うような気がしますね。もう一回。
私は、先生の、使用人となるのです。
これなら安心。間違ってる部分など、どこにもありません。
そしてここから、私の似非使用人生活が幕を開くのです。
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