昏き夜の布陣、不落を誓う中央広場
前夜の激戦により、フイド村を襲った『コー盗賊団』の第一波は何とか退けられた。しかし、第五小隊の十名が重傷を負うなど、第四武装中隊の受けた傷跡は深い。不穏な静寂が漂う中、兵士たちは次なる夜襲に備えて仮設キャンプで牙を研ぐ。マナを持たぬ異邦人の少年・松平春希は、己の肉体と向き合いながら、かつて老師ヨウゼイから授かった教えを反芻していた。冷戦の火種が燻る最前線で、新たな防衛計画が動き出す。
前夜の血生臭い狂乱が嘘のように、昼下がりのフイド村は重苦しい静寂に包まれていた。
即席で設営された軍用天幕の並ぶキャンプでは、辛うじて五体満足で生き残った兵士たちが、武具の泥を払い、次なる夜の帳に向けて無言で訓練に励んでいる。その一方で、前夜の猛攻で深手を負った第五小隊の十名の兵士たちは、村の老医師・コウベイの古びた診療所に運び込まれ、薬草の苦い香りと苦悶の呻き声の中で治療を受けていた。
「九十七、九十八、九十九……百」
上半身の衣服を脱ぎ捨て、泥の手触りが残る地面に右手の平だけを突き立てて、春希は淡々と身体を上下させていた。
引き締まった無駄のないレーン・マスキュラー(細マッチョ)な肉体が、陽光を浴びて鈍く輝いている。修道院での地獄の半年間、そして幕府軍での過酷な遠征で鍛え上げられたしなやかな筋肉の筋が、一回ごとに美しく躍動し、小麦色の肌を微かな汗が伝い落ちていく。
「おいおいおい、見ろよあの筋肉。昨日あれだけ強欲な盗賊どもをキネティックパワーだけで叩き割っておいて、まだそんな体力残ってんのかよ」
干し肉を齧りながら、ジャフが呆れたように頭を振った。
「本当に、魔力の気配が微塵もないのが信じられん体躯だな。春希、その無駄のない脂肪の削ぎ落とし方、今度俺の筋肉の潤滑油としても教えてくれよ」
マツダが自慢の巨大な大盾を磨きながら、豪快に笑う。イコネは携帯用の魔力測定器の数値をノートに書き留めながら、眼鏡を指で押し上げた。
「無茶を言わないでください、マツダさん。春希のこれは天性の身体能力と『エオン』の呼吸の賜物です。僕たちが真似したら、それこそ筋肉が呪素分解を起こしますよ」
春希は左手を背中に回したまま、不機嫌でストイックな無表情を崩さず、静かに床を蹴って立ち上がった。首にかけた家族のフォトキーホルダーと仏陀の尊像が、引き締まった胸元でカチリと音を立てる。
「……うるさいな。無駄口を叩く暇があるなら、自分の軍刀の刃こぼれでも気にした方がいい」
飄々としたノンシャランな態度で汗を拭う春希を見て、ジャフがニヤニヤと笑いながら歩み寄ってきた。
「へいへい、相変わらずクールなこって。だけどよ春希、お前そんなにバキバキにキレてるのに、なんで女の子の話になるとヴァイマルラントの旧式スキャナーみたいにフリーズしちまうんだ? 昨日も村の娘さんに水貰った時、石像みたいになってただろ」
その大袈裟で的外れなからかいに、マツダとイコネが耐えきれずに大爆笑した。春希はただ冷ややかな一瞥をジャフに送り、無造作に赤の着物風法衣を羽織った。
(……自制と明晰さ、か)
仲間たちの騒がしい笑い声を耳の端で聞きながら、春希はふと、約一年前、あの冷気の張り詰めた修道院の奥の間で老師ヨウゼイが語った言葉を思い出していた。
『運命がレモンを投げつけてきたなら、極上のジュースを作ればよい。しかしな、ハルキよ。危機が深まる時ほど、中道を行く自制の心と、曇りなき明晰な視界が必要不可欠じゃ』
絶対的な魔力を持たぬからこそ、感情の揺らぎは命取りになる。春希は静かにヴァジュラの剣の柄を確かめ、思考の海へと深く沈んでいった。
「全員、集まれ! 新たな伝令だ!」
天幕を割って現れたのは、第四武装中隊の最高責任者、シゼワ隊長だった。その威厳ある声に、訓練場全体の空気が一瞬で引き締まる。
「これより次なる夜襲に備え、防衛陣形を再編する。ハルキ、ジャフ、マツダ、イコネ。貴公ら四人には、このフイド村の『中央広場』の死守を命ずる。ここは診療所と食糧庫が隣接する、我が防衛線の文字通りの心臓部だ。一歩も引くことは許されん」
「了解!!」
春希たちは深く一礼し、命令を受諾した。しかし、その厳粛な作戦会議の場へ、数人の村人たちを連れた村長のウズミが、震える足取りで近づいてきた。
「シ、シゼワ隊長殿……本当にお聞きしたい。前夜の戦いで、我が村を守る兵隊様のうち十名もが倒れたと聞きました。残されたのは、僅か七十八名……。あの残虐非道な『コー盗賊団』の軍勢を相手に、たった七十八人の兵力で、どうやってこの広大な村を守り抜くというのですか……!」
ウズミの悲痛な問いかけに、村人たちも絶望に満ちた視線を隊長に注ぐ。
シゼワ隊長は静かに灰鉄の胸甲を響かせ、ウズミの目を真っ直ぐに見据えた。
「村長殿、案ずるな。我ら陽光幕府の戦士は、数の多寡で戦うのではない。ここにある七十八の魂は、将軍家への忠義と、エオンの技、速度、そして何より貴公らの命を守るという鉄の意志で結ばれている。例え敵が百人であろうと千人であろうと、我が中隊の防衛線を突破することはできん。このシゼワの命に代えても、フイド村の灯は消させはしない」
その確固たる言葉と威風堂々たる態度に、ウズミたちは圧倒されたように深く頭を下げ、静かに退いていった。
* * *
一方、フイド村から遥か数マイル離れた、荒涼としたバッドランド(不毛地帯)の端に位置する薄暗い森林地帯。
生い茂る黒い葉が陽光を遮る歪な陣営の中で、コー盗賊団の首領ノガイは、燃え盛る焚き火の前に座り込み、凄まじい怒気を放っていた。残る十三名の精鋭たちも、沈黙したままその背中を見つめる。
「――愚か者が。第一波がああも容易く退けられるとは何事だ」
ノガイの低い咆哮が、夜の森に響いた。彼は不機嫌な視線を、一人の美しい女盗賊に向けた。
「アマネ・タナカ。お前の配下の呪術兵どもは、幕府の出来損ないの五分隊すら満足に焼き尽くせぬのか?」
向けられた怒りに対し、アマネは妖艶な笑みを浮かべながら、手元で細い小剣の魔力をスパークさせた。
「お怒りはごもっともですが、ノガイ頭領。言い訳をさせて貰えるなら、あの第四中隊には妙な『異物』が混じっていますわ。魔力の気配が一切ないくせに、こちらの術式を物理の力だけで叩き割る不気味なガキがね……」
「フン、出来損ないのノンマナ(無魔者)など、我が魔術格子の前には塵に等しい」
重厚な鉄の杖を地面に突き立て、歴戦の魔術格子配置者であるコウボ・ハダが冷酷に言い放った。
「ノガイ様、次の波では私が村の周囲に『即死トラップの術式格子』を完璧に展開いたします。逃げ道も、反撃の隙も与えん。あの七十八人の猟犬どもごと、村を丸ごとマナの炎で消し去って見せましょう」
「……よかろう。今夜こそ、フイド村を血の海に変えてくれる」
ノガイの昏い瞳が、怪しく光った。
超大陸の東方に位置するこの惑星の、どこか神秘的な淡い紫色の太陽が、地平線の彼方へとゆっくりと沈んでいく。
瞬く間に、荒野には果てしない闇の帳が下り、昼間の熱気は張り詰めた冷気へと変わっていく。中央広場でただ静かに軍刀の柄を握る春希の視界を、昏い夜の闇が完全に覆い尽くしようとしていた。
第十八話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
前夜の激戦の傷跡を癒やす間もなく、フイド村には再びノガイたちの不穏な影が迫っています。上半身裸でワンハンド・プッシュアップをこなす春希のストイックな筋肉描写(笑)や、ジャフたちとのノンシャランな掛け合いなど、なろう系Web小説ならではの緩急を楽しんでいただけたら嬉しいです。シゼワ隊長の熱いセリフの通り、僅か78名で挑む中央広場の死守戦、一体どうなるのか――!?
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