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第48話 主の芯を、配下に見せる」

 芯を見せる。


 そう決めた翌日、余はさっそく困った。


「……どうやって見せるのだ」


《そこからですか》

「そこからである」


 配下に命令するのは簡単だ。


 立て。


 待て。


 噛め。


 引け。


 それなら分かる。


 だが、“余が何を守り、何を残したいか”を見せるとなると、急に難しい。


 ゴブリン相手に演説しても通じぬ。


 鼠に哲学を語っても走るだけだ。


 苔スライムはそもそも聞いているのか怪しい。


 ならば、実戦で見せるしかない。


「管理音声」

《はい》

「ミルとマネに見せるべきものを整理する」

《はい》


 余は白い部屋の中央に、岐れの灯間を映した。


 湿り。


 灯り。


 外れた枝路。


 初代のミル。


 二代目候補のマネ。


「余が守りたいものは、ミル個体だけではない」

《はい》

「岐れの灯間そのものだけでもない」

《はい》

「迷靄洞の在り方だ」

《はい》

「つまり、“相手に正しく選ばせぬ”という核だ」

《その通りです》


 では、ミルとマネに見せるべきことは何か。


 ただ敵を倒すことではない。


 ただ場を守ることでもない。


 相手の選択を裂くためなら、何を守り、何を捨てるか。


 それを見せる必要がある。


「……つまり、わざと捨てるものも見せねばならぬ」

《はい》

「嫌な教育だな」

《迷宮ですので》

「便利な言葉だ」


 だが、そういうことだ。


 主の芯とは、守るものだけでできているわけではない。


 何を捨てるかでも決まる。


 全部守る主は、結局何も守れない。


 それは分かる。


 分かるが、いざ配下に見せるとなると、少し重い。


その機会は、昼過ぎに来た。


 三人組。


 若い剣士。


 短杖持ちの女術師。


 荷持ち兼斥候の小男。


 実力は高くない。


 だが、浅い偵察としては悪くない編成だった。


 そして何より、会話がちょうどよかった。


「迷靄洞、最近また変わったって話だろ」

「見られてる感じがするとか、意味のある枝路とか」

「そこ見つけたら印をつけて戻ろう。深入りしない」

「灯りは信用しない。ゴブリンも追わない」

「分かってるって」


 余はその会話を聞き、少しだけ口元を上げた。


「よい」

《教材として適切です》

「言い方」


 だが本当に適切だった。


 こやつらは強すぎない。


 しかし、情報は持っている。


 岐れの灯間へ来る可能性も高い。


 そして“印をつける”と言った。


 つまり、ただ覗くのではなく、こちらの場へ人間側の印を残そうとしている。


 これは使える。


「ミル」

「ギィ」

「今日は立てるか」

「ギィ」


 肩の傷はまだ完全ではない。


 だが、短時間なら問題ない。


「マネ」

「ギィ?」

「おぬしも立て」

「ギィ」

「今日は見る。よく見ろ」

「ギ?」

「余が何を捨てるかをな」

「ギィ……?」


 当然分かっていない。


 だが、それでよい。


 今は感じさせる段階だ。


 余は岐れの灯間へ二体を置いた。


 ミルはいつもの外れた壁際。


 マネはその少し奥。


 灯りは薄く。


 鼠は外周。


 湿りは重く。


 ただし、今日は一つだけ普段と違う。


 岐れの灯間の入り口付近に、あえて“印をつけやすそうな壁面”を残しておいた。


 人間が白粉や刻みで印を残しやすい場所。


 もちろん、本当に重要な位置ではない。


 だが、重要そうに見える。


「……囮の印場」

《良い表現です》

「ここを使わせる」

《はい》


 三人は慎重に入ってきた。


 入口の湿りで一度足を止め、鼠で視線を裂かれ、ゴブリンの影を見ても追わず、じわじわと新小部屋手前まで進む。


 そして岐れの灯間の前で、斥候が小さく息を呑んだ。


「……ここかも」

「枝路?」

 剣士。

「灯りが変だ」

 術師。

「印だけつけて戻る?」

「そうしよう」


 来た。


 余はミルへ意識を向ける。


「まだだ」

「ギ……」


 ミルは動かない。


 マネも動かない。


 斥候が半歩だけ踏み込み、壁面へ白粉をつけようとする。


 そこでミルが一瞬動きかけた。


 自分の場へ印をつけられる。


 それを嫌がったのだろう。


 だが、余は止めた。


「待て」

「ギィ……」


 ミルが止まる。


 偉い。


 非常に偉い。


 ここで印をつけさせないことはできる。


 だが、今は違う。


 印をつけさせる。


 そして、その印を“信じる選択”を後で裂く。


 それが迷靄洞のやり方だ。


「つけた」

 斥候が言う。

「よし、戻る」

 術師が頷く。

「いや、もう少しだけ奥を見るか?」

 剣士が枝路を覗く。


 その瞬間、ミルが出る。


 半歩。


 剣士にだけ見える角度。


「っ」

「何?」

「いた」

「ゴブリン?」

「……いや、今のは」


 剣士の声が濁る。


 良い。


 見た。


 だが、他の二人は見ていない。


 情報が裂けた。


「マネ」

「ギィ」

「まだ出るな」

「ギ」


 マネは震えるように動きかけて止まった。


 こちらも偉い。


 見習おうとしている。


 剣士は奥へ踏み込みたがる。


 術師は止める。


 斥候は印を見て戻ろうとする。


 三人の判断が割れた。


 余はそこで、さらに一手を打つ。


「鼠、印の手前を切れ」

「チチッ」


 鼠が白粉の印のすぐ下を横切る。


 斥候の目がそちらへ行く。


 印を確認する。


 安心する。


 その瞬間に、灯りをほんの少しだけ揺らす。


 印の位置と、灯りの位置。


 正しい戻り道と、信じたい目印。


 その二つが、微妙にずれる。


「……あれ?」

 斥候が眉をひそめる。

「印、こっちだよな」

「何言ってる、戻るぞ」

 術師。

「でも灯りは奥に」

「見るなって言ったろ!」


 良い。


 印を信じる。


 灯りを疑う。


 だが印も、余がつけさせたものだ。


 正しいようで、正しくない。


 人間の対策を、そのまま迷いの餌にする。


 それが迷靄洞だ。


 そこで剣士が苛立って、ミルの方へ一歩出た。


「さっきの奴、潰す」

「やめなさい!」

「浅いだろ!」


 浅い。


 その言葉が出た時点で、もう浅くない。


 余はミルを引かせる。


 マネは奥に残す。


 剣士が追う。


 その足が、印を頼りに半歩ずれた。


 湿り。


 滑る。


「っ」

「だから言った!」

「戻る!」


 術師が叫ぶ。


 だが戻る方向も、印のせいで一瞬迷う。


 白粉は壁にある。


 灯りは奥に揺れる。


 入口方向は分かるはずなのに、“さっき自分でつけた印”が目に入るたび、斥候の判断が遅れる。


「印が邪魔……!」

 斥候が思わず言った。


 余は、その言葉でほとんど勝ちを確信した。


 そうだ。


 自分でつけた印が邪魔になる。


 それが今日の狙いだ。


「ミル、もう出るな」

「ギィ」

「マネ、見せる」

「ギ?」


 マネがぎこちなく出る。


 少し出すぎたが、今回はそれでいい。


 剣士の視線がマネに向く。


 ミルが見えない。


 すると、剣士は一瞬“さっき見た奴はどこだ”と迷う。


 そこへ鼠。


 術師の足元。


 斥候の印。


 灯り。


 三人は完全に隊列を乱し、入口方向へ逃げるように戻った。


 ただし、追わない。


 余は一切深追いしなかった。


 あの印を持ち帰らせる。


 自分たちの対策が、迷宮の餌になった記憶ごと。


 静けさが戻る。


 岐れの灯間の壁には、白粉の印が残っている。


 人間側が残したものだ。


 ミルはそれをじっと見ていた。


 マネも見る。


 余はしばらく待ってから、静かに命じた。


「その印は消さぬ」

「ギィ?」

「今日は残す」

「ギ……?」


 ミルが少し不満そうにした。


 やはり、場を汚されたように感じているのだろう。


 だが、それでいい。


 ここからが“見せる”部分だ。


「ミル」

「ギィ」

「余は、あの印を嫌がっておる」

「ギィ」

「だが消さぬ」

「ギ……」

「なぜなら、あれは次の迷いになるからだ」


 言葉はほぼ通じない。


 だが、声の調子は伝わる。


 余は続けた。


「守るとは、触らせぬことだけではない」

「……ギ」

「汚されても、利用して返す」

「ギィ……?」

「それが迷靄洞だ」


 岐れの灯間に、静かな空気が落ちた。


 ミルは白い印を見る。


 マネも見る。


 灯りが揺れる。


 鼠が印の下を一度だけ走る。


 その瞬間、ミルがほんのわずかに位置を変えた。


 印を隠すのではない。


 印が見える位置に、自分の影を重ねた。


「……」

《重要変化》

「うむ」


 ミルは、印を消さない意味を完全に理解したわけではない。


 だが、“印を含めて見せる”動きをした。


 それは大きい。


 場を守るとは、場を無傷で保つことではない。


 異物すら取り込んで、迷いの一部に変えること。


 それを、ほんの少しだけ掴んだのかもしれぬ。


「マネ」

「ギィ?」

「見ろ」

「ギィ」


 マネはミルを見る。


 印を見る。


 自分も影を重ねようとして、少しずれる。


 下手だ。


 だが、それでいい。


 今日の見せるべき芯は、伝わり始めている。


「管理音声」

《はい》

「余が見せたのは何だ」

《“守るとは、利用できる形で残すこと”》

「うむ」

《そして“汚されても迷宮の色へ取り込むこと”》

「そうだ」


 それが余の芯の一部だ。


 迷靄洞を余の迷宮として続ける。


 そのためには、全てを清く保つ必要はない。


 むしろ侵入者の痕跡も、対策も、傷も、迷宮の色へ変えていく。


 切られても続く。


 汚されても染め返す。


 それが迷靄洞だ。



夜、フィルエが来た。


 枝路へ入るなり、彼女は白粉の印を見た。


 それから、印に影を重ねるミルを見た。


 さらに、その真似を少しずれた位置でしているマネを見た。


「……へえ」

「何だ」

「今日はいいものを見せたんだ」

「見ておったのか」

「途中から」

「毎回こそこそ見るな」

「森だから」


 便利な言葉である。


 フィルエは印の前にしゃがみ、触れずに眺めた。


「人間の印を残した」

「消すより使える」

「うん」

「ミルにも見せた」

「分かる」

「どれくらい」

「完全には分かってない。でも、“消さない意味”は少し掴んだ」

「……そうか」


 やはりそう見えるか。


 余は少しだけ満足した。


「これが主の芯かは分からぬ」

「芯の一部」

 フィルエ。

「お前は、自分の場を無傷で守る主じゃない」

「うむ」

「汚されたら、それを迷いに変える」

「そうだ」

「かなり迷靄洞っぽい」

「褒め言葉として受け取る」

「褒めてる」


 フィルエは立ち上がり、ミルを見た。


「これで少し進んだ」

「継ぐものへか」

「入口の奥に一歩」

「まだそんなものか」

「でも大事な一歩」

「何が変わった」

「ミルが、“場を守る”じゃなくて、“場の意味を守る”方へ少し寄った」

「……」


 場の意味を守る。


 それは大きい。


 岐れの灯間を壊されないようにするだけなら、ただの番人だ。


 だが、印を含めて迷いに変えるなら、それは場の意味を理解し始めている。


 完全ではない。


 だが、方向は合っている。


「なら次は」

「急がない」

 フィルエが先に言った。

「分かっておる」

「本当に?」

「……少しは」

「ならいい」


 余は少しだけむっとしたが、反論はしなかった。


 急ぎたい気持ちはある。


 もっと進めたい。


 ミルを継ぐものへ近づけたい。


 岐れの灯間を宿り場として育てたい。


 残響核の筋へ踏み込みたい。


 だが、急げば濁る。


 それはもう分かっている。


「……今日はここまでだな」

「うん」

「次は何を見る」

「ミルが、その印を次の侵入者にどう使うか」

「……なるほど」


 印は残す。


 今日だけではなく、次にも使う。


 そしてミルがそれをどう扱うかを見る。


 もしミルが、余の命令なしに印を迷いへ変えられるなら。


 それはもう、単なる学習ではない。


 主の芯に沿った判断だ。


「よし」

 余は静かに言った。

「では、この印は試金石だ」

《登録しますか》

「する」

《岐れの灯間:人間印を暫定要素として保持》

「うむ」


 白粉の印が、灯りの下で鈍く浮かぶ。


 人間が迷宮を読むためにつけた印。


 だが今は、迷宮が人間を迷わせるための印になりつつある。


 これほど迷靄洞らしいものもない。


「……良い」

 余は小さく呟いた。

「とても良い」


 ミルが印の横に立つ。


 マネが少しずれて真似る。


 灯りが揺れる。


 湿りが沈む。


 その光景は、たしかに余の芯の一部を映していた。


 守るとは、無傷に保つことではない。


 奪われたものすら、迷いに変えて返すこと。


 それを配下に見せた日、迷靄洞はまた一段、主の迷宮に近づいた。

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