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第6話 鼻を鳴らす人狼

深夜の王宮、王の私室。重苦しい空気の中、妃は車椅子に沈む第一王女をかばうようにして立ち、王へ必死の訴えを続けていた。


「陛下、どうか……。妹が脚を得て歩き回ることを許された今、この子だけを離れに閉じ込めておくのはあまりに不憫ふびんです。せめて、夜の庭を散歩する自由だけでも認めてはいただけないでしょうか」


妃にとって、第一王女は愛すべき娘だった。しかし王は、自らの血筋に混じった『異形』を、存在そのものから否定していた。


「ならん。妹は『まともな脚』を得たからこそ表に出したのだ。だが、こいつの背にあるものは王位継承の根幹を揺るがす。万が一にも翼を持つ者が王位を継ぐなどと知れれば、民は反乱するだろう。隠し通さねばならんのだ」


「ですが、彼女は何も悪くありませんわ!」


「黙れ。この醜い生き物を、とっとと北の離れへ戻せ。二度と私の視界に入れるな」


王にとって、家族とは統治のための道具に過ぎず、愛などという概念は欠片も持ち合わせていなかった。


その時、回廊の先からは、すん、すん、と鼻を鳴らし、殺意を研ぎ澄ます『異変』が近づいていた。

その鼻は、城の石造りの匂いでも、香水の残り香でもない。親友バッカスの知性をドロドロに溶かした、あの『毒酒』を贈った男の、脂臭い体臭を正確に捉えていた。


扉の前に立つ2人の衛兵は、声を上げる暇もなかった。異変の鉤爪が衛兵の喉笛のどぶえを掻き切り、鎧の隙間から溢れた鮮血が絨毯を染めた。


――ドォォン!


扉は、獣の膂力りょりょくによって勢いよく蹴破られた。


「誰だ!?」


王が叫ぶ。その目に映ったのは、血濡れた仮面を被ったロジャーの姿だった。


「……ロジャー? 何の真似だ」


「王よ……。あなたは僕に名前を与え、人間の尊厳を教えてくれた。そのことには、感謝しています」


「ならとっとと失せろ。お前の汚らわしい顔など見たくもない。その翼の生えた奴も、北の犬小屋へ連れて行け」


「ですが……バッカスさんを壊したあなたを、僕は許せない」


「恩を忘れるとは、このバカ犬が!」


王が立ち上がり、傍らにあった重厚な王笏おうしゃく鷲掴わしづかみにした。ロジャーが咆哮ほうこうと共に飛びかかると同時に、金塊のごとき王笏が、ロジャーの顔面を真正面から打ち据えた。


――バリーン。


衝撃で窓ガラスに叩きつけられたロジャーは、激痛の中でゆっくりと顔を上げた。

乾いた音を立てて、ロジャーを『人間』に繋ぎ止めていた鉄の仮面が、床を転がっていった。


「あ……」


割れた窓ガラス。夜の闇を背景にしたその破片に、1匹の『怪物』が映っていた。


血走った黄金色の瞳。鼻先まで突き出した、不気味な黒い剛毛。口の両端からき出しになった、鋭い牙。


「あ、ああ……なんだ、これは……ボクなのか……?」


絶望が、冷たい氷のように脳を侵食していく。

ロジャーは、亜人の国で育った。亜人に家族を殺され、彼らを『下等な怪物』として憎むことで、自分を『気高い人間』だと思い込ませてきたのだ。

だが、鏡の中の怪物は、誰よりも醜い人狼ウェアウルフだった。


「俺は……人間じゃ……なかったのか」


積み上げてきた人生が、忠誠が、誇りが、根底から腐った偽物であったと悟った瞬間。悲しみは、漆黒の殺意へと昇華した。

ロジャーの全身から、ミリミリと骨が軋む音が鳴る。


「アァァァァァァァァッ!!」


人狼の咆哮が、王宮の夜を震わせた。

ロジャーは地を蹴り、王の喉笛のどぶえへとその牙を突き立てた。

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