第2話 相対天使
ボクは、鉄の仮面を付けられた。
名前も人権も、生きる意味さえ持たなかったボクに、王様は『仮面』と『ロジャー』という名、そして『仕事』を与えてくれたのだ。ボクは今日から、王様の影となり、王国の平穏を乱す膿を啜る槍となる。それが、ボクが人間であることの証だ。
* * *
「ひぃぃぃぃ、た、助けてくれ! なぜ、なぜ俺がこんな目に……!」
王国西の断崖。深夜の静寂を、1人の男の無様な命乞いが切り裂いていた。
「あなたは邪教の神父だ。わけのわからない祈祷で民を騙し、苦しめている。そうでしょ?」
仮面の奥から、ロジャーは冷淡に告げた。男は首を激しく振り、血を吐きながら叫ぶ。
「違う! 蔓延する疫病から村を救いたいだけだ。頼む、話し合おう。そうすれば解決策も──」
「ボクは、殺す以外に解決方法を知らない」
ロジャーの手に握られた刃が、月光を浴びて閃いた。
すぐに殺すのではなく、反省の時間を与えるのが彼にとっての慈悲だった。彼は獲物が即死せぬよう、鋭い鉤爪を男の脚に食い込ませ、そのまま毟り取った。
「あ、がぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
溢れ出す鮮血を浴びながら、ロジャーは冷めた心地で絶叫を聞いていた。
(駄目だ……人間を殺す程度の仕事では、この渇きは満たされない……母さんを殺した憎むべき亜人種でないと……)
北の離れの暗闇に繋がれた彼にとって、王室の命に従いその手を血で汚すことだけが、唯一許された城外への『外出』だった。
その時、暗雲の隙間から差し込んだ月光が、ふいに頭上で掻き消えた。
巨大な鳥が翼を広げたかのような影がロジャーの足元を掠め、夜風を切り裂く鋭い羽音が頭上から降り注ぐ。
「ロジャー。またこんな無体を──」
冷徹な声とともに、銀色の羽毛が雪のように舞い散った。見上げれば、白銀の翼を大きく広げた第一王女が、腕に妹を抱いたまま、断崖の縁へと音もなく舞い降りる。
「がっかりだわ。いつまで経っても、あなたは牙を磨くだけの飼い犬なのね」
「……ッ、またあなた達か。今夜もあの狭い離れを抜け出して、夜のお散歩か」
ロジャーは反射的に鉤爪を突き出した。仮面の奥で瞳が血走る。
「何しに来た。これは王様からの仕事だ。飼い犬と言うならあなた達だって同じだろう。ボク達は等しくあの檻の住人、王様の所有物なんだ!」
「私とあなたはそうかもしれない」
王女は一歩も引かず、抱きかかえた妹を庇うように腕に力を込めた。その姿は、幼き日の迫害の中、身を呈して自分を抱き守った母の姿と残酷なほどに重なった。
「けれど、この子は違うわ。この子は私の心、私の宝物。王家の道具なんかと一緒にしないで。……あなたに、愛する者のために生きる誇りなんて、一生分からないでしょうね」
「黙れ!!」
図星を刺されたロジャーは、上唇を醜く捲り上げ、湿った赤黒い歯茎を曝け出した。喉の奥から地を這うような唸りが漏れる。
「誇りならボクも持ってる! 王様から依頼されるこの仕事だ」
「……哀れね。仕事がそんなに大事? 獲物が居なくなれば、次に殺されるのは猟犬のあなたよ」
「猟犬なんかじゃない! 王様はボクに名前と仕事を与えてくれた! これがボクが人間である証明なんだ!」
「いいえ……。それは人間である証明じゃない。ただの『呪い』よ」
王女の憐れむような視線が、ロジャーの自尊心をズタズタに切り裂く。
──ドゴッ!
その訴えを否定するように悶絶する男を崖下へと蹴り落とした。
「あっ! なんて事するの!」
王女はロジャーを一瞥もせず、迷いなく崖下へと飛び込んだ。その翼が描く軌跡は、どこまでも気高く、そして残酷なまでに美しい。
ロジャーは崖の縁に立ち、闇へと消えていく白銀の影を見つめていた。
(彼女は……美しいな。まるで、殺された母さんのようだ)
意識の底で、遠い日の記憶が揺れる。
幼すぎて、母の顔はもう思い出せない。覚えているのは、自分を包み込んでくれた陽だまりのような温もりと、その温もりが一瞬で鉄の匂いのする赤に染まり、冷たくなっていったことだけだ。
(母さんは……ボクを守って死んだ。ボクを愛してくれた……
だからボクは、人間として……王の忠実な兵士として、亜人種共を狩り続けるんだ……)
その呟きは、夜風にかき消された。
ロジャーは仮面の奥の牙を噛み締める。美しい者を守りたいという願いと、その全てを噛み砕いてしまいたいという獣の衝動。
崖下から、男を救い上げようとする王女の必死な叫びが聞こえてくる。
ロジャーはその音から逃れるように、静まり返った闇へと駆け出した。
――その様子を、崖の上のさらに高い岩場から見下ろす影があった。
深くフードを被り顔の右半分を髪で隠した女が、夜風に衣をなびかせながら、小さく、愉しげに唇を歪める。
「……最近、同胞が妙に失踪すると思ったら。あんな可愛らしい坊やが『始末』をしていたのね」




