(5)初お邪魔、前田クリーニング店1
翌週から、小鳩縫製からプレス注文の入った前田クリーニング店。
レディース・ブラウス300枚、プレスのみ。
ハンガーかけ、ビニール袋なし、そのままボックス積め。
納期は、一週間。
配達は、小鳩縫製契約の運送会社がとりに来る。
軽いじゃん? こんなの。
やっぱ、ちいせー縫製工場じゃん~、比奈子め、ぐぁははは。
などと、豊はのん気に思いながら、アイロンをかけていた。
近所の顧客のクリーニングの一日の仕事をこなしても、「300枚プレスのみ納期一週間」というのは、楽勝だ。
鼻歌交じりで、仕事ができた。
「おやじ、なんか楽な仕事もらっちゃったな?」
「そうだなぁ、汚れも傷チェックもすでに向こうさんが検品済みだからなぁ、
プレスだけってーのも、ちょっと淋しい仕事でもあるなぁ」
首に巻いたタオルで汗を拭いながら、五郎太が手際よくアイロンをかけながら言った。
業務用アイロンは、重い。
そして蒸気が熱い。
自宅経営の狭い加工場は、いつも蒸し蒸し状態だ。
「豊、おまえ、夢とかなかったのか?」
ふいに五郎太に訊かれた。
「夢? …って? なんだよ、いきなり」
「たとえば、一男みたいに、どっか会社に働きに行くとか、
ほら、豊は学生のころラグビーやってたじゃないか? 選手になりたいとか、なかったのか?」
「え? 俺にとってラグビーは楽しい青春の思い出だよ。
それにサラリーマンにもなる気なかったし。
俺は、ずっとおやじの跡を継ぐつもりでいたからさ」
笑いながら言い、ブラウスの袖口に蒸気をシュッっと掛けた。
豊は、高校、大学とラグビーの選手だった。
実業団からの熱烈な誘いもあったのだが、断り、「前田クリーニング店」を継いだ。
豊の言うとおり、本人は小さい頃から跡を継ぐつもりでいたが、長男の一男が、サラリーマンになってしまったことで、豊は、好きなラグビーを捨てて無理をしているのでないかと思い、五郎太と恵子はずっと心配していた。
「それにさ、クリーニング屋、好きなんだ。
この仕事でおやじとおふくろに育ててもらってさ、大学も出してもらって、感謝してる。えへへ」
と、照れ笑いをした。
「そ、そうか…」
五郎太は、汗ではない水分をタオルで拭った。
豊の言葉に感涙していると、恵子が来た。
「父ちゃん、小鳩縫製のお嬢さんが来てんだけど?」
豊の顔が、歪み怪訝になった。
「小鳩縫製さんが?」
五郎太が手を休め、店に向かおうとしたら、比奈子が恵子の後ろから、ひょっこりと顔を出した。
「ぃよっ! おっちゃん! 天パー! がんばってる?」
「……」
頭にはこの間と同様に、タオルのねじりハチマキを巻いている比奈子を、豊は顔を引きつらせ、睨んだ。
比奈子は、一歩作業場に入ると、顔をしかめた。
「あつい…、きょえ~、ここ暑いんだね!」
「当たり前だろ! 狭い中でアイロンと蒸気使ってんだから! バカか、おまえは」
豊はそう言うと、比奈子に背を向け、アイロン台に体を向けた。
「おやおや、天パーくんは、ご機嫌斜めのようですね、今日も!」
「うっせ! 天パーじゃなくて天然パーマだっつーてんだろーが!!」
また振り向き、怒鳴った。
「お嬢さん、今日はまたなんで…?」
「きゃはは、おっちゃん、お嬢さんだなんてぇ、比奈ちゃんでいいわよ」
自分で“ちゃん”づけをする比奈子である。
「今日は、様子伺い。ちゃんとプレスしてっかなぁ~、なんてね!
チェックしにきたの、比奈ちゃんがっ!」
比奈子は、ピースサインで言った。
「なにが比奈ちゃんだよ…。小鳩?
鳩は平和のシンボルだっつーの、おまえはコンドルかハゲタカじゃねーかよ。
それに、ヒナコ? どこが雛なんだよ、ダチョウのデカイ卵から孵化したみたいな顔して!
名前負けなんじゃね? 小鳩比奈子!」
豊は、バカにしまくった喋り方で、比奈子を見た。
「あっ、天パー、私のフルネーム覚えてんだ。すごいね~、天才だね~天パー」
なにを言われても動じない。
「……、テメェ、邪魔なんだよ、とっとと帰れ!」
豊が自分の胸の前で、拳を握り、比奈子を威嚇すると、五郎太の影に隠れて言った。
「あ~ん、おっちゃん~、この天パー恐いぃ!」
「おいおい、豊、お嬢さんに対してなんだ」
「おやじ、どこにお嬢さんなんていんだよ! うすらトンカチみたいな女はいっけどよ!」
「うすらトンカチって、あなた…、何歳? 昭和一桁生まれ? あっはは…、古っ!」
「……」
比奈子は初めて入るクリーニング店の加工場をキョロキョロと見回した。
ランドリーマシンやドライマシン、乾燥機、パンツストッパーなどフル回転している業務用のマシンが物珍しかった。
「クリーニングやさんって、大変なんだね?」
「あったりめーだろ! ただ洗ってアイロン掛けてるとでも思ってんのか?
おまえんとこみたいに、ミシン踏んでるだけじゃねーんだよ」
「あっ! ちょっと! 何々? 縫製の仕事をバカにする気?
洋服作んのがどんだけ大変か知りもしないくせに、そういうこと言わないでよね」
「うっせ!」
「天パーが今着てる服だって、作ってくれる人がいるから身につけてられるんだからね。
じゃなきゃ、天パーなんて裸なのよ?
それにね、服をクリーニング店に出さなくても人間は生活できるけど、
服がなければ人間は困るのよ!」
「ぁあ? じゃ、原始民族はどうなるんだよ。未だに下しか隠してねーだろうが!
服だってなくても生きていけんだよ!」
二人の、アー言えばコー言うが続く。
「クリーニングも服もなくても人間は生きていけるよ…心臓が動いていれば…」
五郎太がポツリと言うと、豊と比奈子が、座った目で五郎太を見た。
「まぁまぁ、お嬢さん、ここじゃなんですから、狭い茶の間だけど、上がってお茶でも」
恵子が、後ろから声をかけた。
「お茶? じゃー、お言葉に甘えて~」
比奈子は、態度とコロリと変え、恵子に連れられ、茶の間に向かった。
「なんじゃ! あの女は。様子見に来たって、茶飲みにきたんじゃねーかよ!」
豊は、比奈子が去る後ろ姿に向い、空気相手にキックをした。
「おいおい、落ち着け。おまえも、一緒に茶の間行ってくればいいんじゃないか?」
「なんで俺なんだよ。おやじ行って来いよ、休憩兼ねてさ」
豊は、アイロンを握り直し、作業にかかった。
「んじゃ、ちょっと、父ちゃんも比奈ちゃんとお茶飲んで来よっかね~」
五郎太は、鼻歌まじりに茶の間に消えて行った。
「……んだよ、みんなして比奈子比奈子って! おかしーんじゃねーの!?」
誰に向かうでもなく、憎まれ口をたたいていると、店にお客が入ってきたことを知らせるチャイム音が鳴った。