(38)カレーとお粥3
「あれ? 豊くん? 比奈子は?」
「もう、上がっていいよ」と、五郎太に言われた由美子が、比奈子の様子を見に来たが、台所にいたのは豊だ。
「比奈子、今、おふくろのところ行ってる」
「あっ、じゃぁ、私が作る……」
と言いかけた由美子は、シンクを見て溜息をついた。
「もしかして、これ……比奈子…?」
「あぁ、まだ野菜切ってる段階だった」
二人で大笑いし、由美子と作ることになった。
由美子は少しホッとしたと、豊に言った。
比奈子の手料理を食べなくて済む。
高校の家庭科の授業で、日本食を作った時、比奈子がいたグループは、腹痛を起こし、翌日、そのグループが全員休んだことがあった。
素材が悪かったとか、菌があったとかではなく、比奈子がオリジナルで作ったと言う煮物が原因であった……と、比奈子以外のクラスメイト&先生は思い、それ以降の調理実習の比奈子は、洗い物担当になったという。
その話に爆笑した豊だが、由美子同様、比奈子に作らせないでよかった…と、心から思った。
台所に戻ってきた比奈子は、二人が仲良く並んで、笑い合っている姿に声をかけず、少しだけ目を伏せ、作った微笑みはすぐに壊れ、そのまま五郎太の所に行った。
自分の昔話で笑い合っているなどと、知る由もない。
「おっちゃ~ん」
「うぉっ、なんだ比奈ちゃん! 来てたのか?」
比奈子が来ていたことなど、全く知らなかった五郎太は、驚いたが、うれしそうに笑った。
「うん、おばちゃんの様子見に来た。でももう熱も下がってきたし、
今、由美子がカレー作ってくれてるから……私、帰るね~」
「由美子さんが? 夕食?」
「うん、豊と作ってる! 新婚さんみたいだったぁ!」
元気よく、笑顔で言った。
「えっ? あー、比奈ちゃんも食べて行くだろ? 晩ご飯」
「ううん、私は、家に帰んなきゃ、お母さんたち待ってるから。また来週来るね」
「比奈ちゃん……?」
五郎太が引き止めようとしたが、足早に前田家をあとにした。
「冬場の自転車は、寒くて辛いなぁ~鼻水まで出てくるんだもんなぁ~」
寒さから来たものなのか、別の思いから来たものなのか、比奈子は、少し赤くなった鼻をすすりながら、自転車をこいだ。
寒いからではないことは、自分でよくわかっている、見えるモノ全部が涙で歪んで見えていた。
そして、家の近くのコンビニに寄り、から揚げ弁当を買い、明かりの点いていない家に帰った。
恒和と志乃は、パーティに行っているため、今日は一人での夕食だ。
五郎太が店を閉め、茶の間を通り台所にいる由美子に声を掛けた。
「由美子さん、すみませんね、店を手伝ってもらった上に、夕食の仕度まで」
「あ、いえ、比奈子が、途中まで作ってくれてたから、…比奈子…は?」
由美子は豊に訊いた。
「あれ? あいつ、おふくろの様子見に行くって、ぜんぜん戻って来ねーじゃん?」
「比奈ちゃんなら、帰ったぞ?」
「どうして!?」
五郎太の言葉に豊が眉をしかめた。
「おばちゃんの熱も下がってきたし、お母さんたちが待ってるから、って」
「ぇえ? あいつ一緒に飯食ってくんじゃなかったのかよ…」
豊の気落ちしているような声に、由美子は、チラリと見て、お皿の上にご飯をよそい始めた。
三皿目にご飯をよそおうとした由美子に、豊が言った。
「あ、俺、これにカレーかけて食べるから…」
黄ばんだドロドロのお粥みたいなモノを指差した。
「な、な、なに、それ!」
眉をしかめたまま、思わず由美子が声を張った。
比奈子が作ったお粥らしきみたいなものは、恵子には食べさせられないので、豊が別に作り直した新しいお粥を、「比奈子が作った」と言って恵子に持って行こうとおもっていた。
比奈子が作ったものは、自分が食べる予定だ。
皿を受け取った豊は、小笑いしながら皿に入れた。
「これ、比奈子が作ったお粥…、捨てるの勿体ないから…俺が食う」
「ふ~ん、そっか!」
由美子は、豊が持っているお皿に目をやり、微笑んだ。
「や、やっぱり、あれは、毒入り…か…?」
……その日の夜中、豊は腹痛に見舞われ、朝方までトイレの便座を暖めた。
* 好きな女が作った料理は、どんなに無理をしてでも食べたいものである *