(37)カレーとお粥2
「比奈、……」
台所の入り口で豊は立ち止まった。
比奈子は、ゴム手袋をはめたまま包丁を持ち、まな板近くに顔を寄せ、猫背な体勢でニンジンを切っていた。
作り始めたのは、四時ごろだが、まもなく六時半、いまだ野菜を切っている。
「あ、豊…」
比奈子が振り向いた。
豊はシンクのところまで来て、眩暈がした。
シンクの上も、流しのところもグチャグチャである。
「今日ね、カレー~」
陽気に言った比奈子の切ったであろうジャガイモを、豊はつまみあげた。
「……これ、なに?」
「ジャガイモ~、今、ニンジン切ってる」
一生懸命、皮も剥かずに分厚く丸のままニンジンを切る。
ジャガイモは、極小サイズになっており、三角コーナーには、身が沢山ついたままのじゃがいもが、捨てられていた。
「このジャガイモ、北海道の親戚から送られてきて、スンゲーうまいヤツなんだけど」
「そうなの? っていうか、話かけないで。料理中だから」
ニンジンを丁寧に丁寧にゆっくりと輪切りにしている。
野菜の入ったボールの中には、ピーマンや皮を削いでいないゴボウのブツ切りもある。
カレーの具材ではないような気がするものが、たくさん入っていた。
「……あのさ、」
「なにっ! うるさいなぁ、話しかけないでよ、手元が狂うから!」
「じゃ、ちょっと手休めて」
豊に言われ、包丁を置くと、面倒くさそうな顔で豊を見た。
「な~に?」
「おまえさぁ、何時から作ってんの? で、なんでゴム手袋して野菜切ってんの?」
「四時くらいから! で、手袋は包丁が危ないから! もういい? 邪魔だからどいてよ」
比奈子はそう言うと、また包丁を握ろうとしたが、豊が比奈子の手を掴んだ。
「比奈子…俺が作るから、カレー。おまえはそこで見てろ!」
「いいわよ、私が作るんだってば! 豊、まだ仕事中でしょ?」
「おまえのカレー待ってたら明日になるよ、いいからどいてろ」
豊は、比奈子を横に退かし、手を洗い、包丁を握った。
「ふ~ん、上手なんだね? 豊って」
起用に手際よく野菜を切っていく豊に感心していた。
「普通だろ? これくらい」
「普通かぁ…」
自分の出番はなさそうなので比奈子は、「じゃぁ、ちょっとおばちゃんの様子見てくる」といい、
ゴム手袋を外した。
「……な、なんだぁ? おまえ、その手!」
比奈子の手を見た豊は、包丁を置き、比奈子の両手を掴んだ。
両方の指のほとんどに、絆創膏が巻かれている。
「だから、包丁危ないんだって。あっ、血が付いた野菜はちゃんと洗ったから大丈夫だよ?」
「……いや、そういう問題じゃなくて、なんで右手も怪我してんだ?
どーゆー切り方したら、そーなる!?」
「普通に切ってたらこうなったんだけど…、まぁ、とりあえず、おばちゃんの様子見てくるね!」
豊は溜息をついて、呆れた顔のまま台所を離れる比奈子を見送った。
バタバタと恵子の所へ向かう比奈子を見て、可笑しくなり、肩を揺すり笑ったあと、野菜を切り始めたが、ガス台の上に、白いドロドロのものが溢れた跡がある鍋に目をやり、蓋を取った。
「なん、なん、なんなんだぁ! このドロドロの液体は、毒薬か…あいつは魔女か」
少し焦がしてしまい黄ばんだお粥だ。
恵子のために作ったのだろうが、こんなモノを食べたら余計熱が出てしまう。
「はぁ…ったく、しょうがねーなぁ」
鼻で笑いながら、豊は鍋の蓋を閉じた。