(25)かえで学園1
厳しい残暑も和らぎ始め、長袖のTシャツが、気持ちいい気分にさせてくれる頃、比奈子は、定休日の前田クリーニング店に電話を掛けた。
茶の間でバリバリと煎餅を食べていた恵子が電話に出た。
「もひもひ?」
「あ、おばちゃん? 比奈子です。何食べてんのぉ?」
「あら、比奈ちゃん。お煎餅…うふふ」
比奈子からの電話の用件は、運びたい荷物があるのだが、自分や母親の車では荷物が載らず、バンは仕事で使ってしまっているため、もし、定休日で前田クリーニング店のミニバンを使わないようなら、貸して欲しいと言う内容だった。
五郎太は、近所のおっさん連中とカラオケに行っていて、豊は今、目の前で同じように煎餅を食べているので、ミニバンは使わないので貸しても良いと返事をした。
「これから取りに行く」という、比奈子に、恵子は言った。
「あら、わざわざ来なくてもいいわよ、豊に持って行かすから」
「でもそしたら、豊、帰り、」
「あーいいのいいの。どうせ一駅なんだから電車で帰えらせれば!
だから比奈ちゃんお家にいて。すぐに持っていかすから、ね?」
比奈子は恵子のお言葉に甘え、家で豊を来るのを待つことにした。
電話を切った恵子は目の前の豊に言った。
「というわけ、なので、はい! 早く比奈ちゃんのところにミニバン届けて来て」
豊の持っていた煎餅を取り上げた。
「ぁあ!? なんで俺が届けて電車で帰ってこなきゃなんねーんだよ!」
「あら~いいじゃない。比奈ちゃんに会えて!」
「な、なんなんだよ、それ!」
「ほらほら、比奈ちゃん待ってるから! とっとと行って来なさい!」
無理やり家からほうり出した。
「なんで、俺なんだよ…」
一人つぶやいては見るものの、足元軽やかにミニバンに乗り込み、エンジンをかける豊だ。
豊は、比奈子の家に前に着きチャイムを鳴らした。
「あ、ごめんね~わざわざ」
「ほんとに、わざわざだよ!!」
「あっ、ついでにちょっと手伝って」
比奈子に呼ばれ中に入ると、ダンボールが五つ、玄関に積まれている。
「豊くん、悪いわねぇ~、手伝ってもらっちゃって」
志乃が出てきて豊をポンポンと叩いた。
「どうも、お久しぶりです」
一応かしこまった挨拶をした。
「そんなあいさついいからさ、これバンに乗っけて!」
比奈子がダンボールを指さし、そのままバンに向かって腕を振った。
「人使い荒くね?」
「今に始まったことじゃないから! 私!」
自分のことはよくわかっているようだ。
「はいはい、がんばって~」と、何もしない比奈子と志乃の声援の中、荷物を積み終えた。
「ねぇ比奈子、豊くんに付いていってもらえば?」
「どうして? 私一人でも大丈夫だよ?」
「あっち行って荷物下ろすときどうするの?
この時間じゃ、まだ昌也くんたち帰ってきてないじゃない? 男手あったほうがいいわよ」
「でも…」
困った表情の比奈子の顔を、豊は不思議に思ったが、
「どうせ、用事もないから一緒に行っても大丈夫」と、志乃に言い、比奈子に付き添っていくことにした。
行き先もわからない豊が運転をし、道案内は比奈子がする事になった。
「んで、どこ行くの?」
「まずは、二子多摩川方面に走っていって。近くなったら説明するから」
「はいはい」
しばらく車を走らせるが、黙ったまま比奈子は、窓の外を見ている。
今日はやけに静かだ、と豊は感じていた。
「ごめんね、お休みの日なのに、用事頼んじゃって」
「べつに…いいよ。どうせ家に帰っても暇だし…」
素直な比奈子には調子が狂う。
どこに行くのかもわからない、ダンボールの中身が何なのかもわからない、そして静かな比奈子。
豊は、運転しながらチラチラと比奈子を気にした。
「おまえ、変なもんでも食った? 拾い食いしたとか?」
「何、それ」
「いや、今日は静かだから…腹でも壊してんのか、なんて…」
「はぁ? いつもの私です」
「どこが! あっ、ハチマキ撒いてないから本調子じゃないとかか?」
「ば~か……、あっ、次の交差点左~」
「そこ右~」「その信号の先左~」
豊は言われた通り車を走らせ、目的地に辿り着いた。
「そこの突き当たり~、はい、到着!」
突き当たり…んん? 幼稚園?
違うか…
スライド式の大きな鉄の門、広い土の中庭、その奥に大きな平屋が建っている。
幼稚園のような造りになっているその建物の脇に、豊は車を停めた。
車を降りた比奈子に続くように、豊も、門の横の木の板に書かれている「かえで学園」という文字を見ながら、中に入ると、三歳くらいの女の子が比奈子に向かって走って来た。
「ママー」
マ、ママ? ママーーー!?
比奈子、おまえは子持ちなのか!!??
豊は、体がすくみ、立ち止まった。
衝撃的な場面だ。
あ、相手は誰だ……、お、俺か!! 違う! 俺じゃないことは確かだ……
などと、豊はパニック寸前。