(23)夏…
蝉がうるさく鳴き始めた季節。
「おっちゃん~天パー、頑張ってる?」
「おう、比奈ちゃん」
「また来たのかよ、邪魔しに来んなって言ってるだろーが!」
そう言いながらも、豊は笑顔だ。
「夏のクリーニング店の裏側って、サウナだね? クーラー入ってんのに」
比奈子は、首に掛けてあるタオルで汗を拭った。
夏場は、タオルのハチマキと、首にもう一枚タオルが追加される。
「こんなところで仕事してたら干からびちゃうよ。の割には、おっちゃん、下っ腹痩せないよね?」
比奈子が五郎太の腹を見て言った。
「豊も、こーなるってこと? おっちゃんと親子だし、遺伝子ばっちり受け継いで」
「ばーか、俺はスマートなまま年齢を重ねてやる!」
「だよね~、こんなんなったら由美子悲しむよ…うん!」
腹に指を差され、比奈子にケタケタ笑われた五郎太は、肩を落とし悲しい顔でアイロンをかけた。
「おい、比奈子。たぶん、来週の日曜日になると思うけど、慎太郎たちと海に行くんだけど、
おまえも行かない?」
「え? 海!?」
豊は仕事をしながら背を向けたまま、比奈子に言った。
「うん、海。車で行くし、さと兄は絹子ちゃん誘うって言ってた」
さと兄と絹子はまだ続いている。
一度、絹子が「さとるさんは、私の体だけが目当てなのはわかってる、別れましょう」と、絹子から別れを言い出した。
さと兄としては、好都合のように見えたが、自分から振ることはあっても振られることはなかったさと兄は、ショックが大きかった上に、絹子と離れてみて他の女に心が動かなくなっていた自分に気が付いた。
「やり直したい」と絹子に言い寄ったが、「寄りを戻す気はない」と突っぱねられ、また振られた。
それでも、さと兄は頑張って絹子を追いかけ、やっと寄りを戻してくれた。
いまでは絹子の言いなりで、「遊び人のさとるが、変身した」と、豊を含む仲間や家族や商店街のみなさまにまで驚かれている。
「みんな次の日仕事あるから、日帰りだけど、由美子ちゃんも誘うし、比奈子も、いっしょ、」
「私は、いいやぁ。来週の日曜日は、予定あるし」
言葉を遮るように言った比奈子の返事に、豊は一瞬仕事の手を止めた。
「そっ、か…。また、年下の彼氏とデート?」
「あはっ! そう、デート! あ、由美子きっと喜ぶよ、海好きだから」
そう言いながら笑い、豊の背中を見つめる比奈子の瞳は弱弱しい。
「比奈ちゃ~ん、お茶にしましょう? 今日はね、水ようかんよ」
恵子が呼びに来た。
「うっほい! 水ようかん! お茶お茶~」
顔をすぐに元気一杯にし、いつものように恵子の後ろに連なり茶の間に向かう。
「おばちゃん、この水ようかんおいしいねぇ~。腕あげたんじゃない?」
恵子お手製の水ようかんをタッパーごと食べながら比奈子は偉そうに言った。
「あら! 本当? 比奈ちゃんに褒められるとうれしいわぁ。
もう一タッパー作ってあるから、お家に持って帰ってお母様と食べなさい」
「いいの!? やりぃ~」
比奈子が来るようになり、最初はお茶請けを市販の和菓子やケーキにしていたが、ある日、恵子が作ったドーナッツを食べさせたところ、比奈子の「美味い! おばちゃん天才!」と言う、嘘か本当かわからない褒め言葉に、店番で忙しい中、お菓子作りを始め、何かを作っては比奈子を携帯メールで呼び出していた。
「ほんと、あいつ、お茶目的でここに来てんのかよ。喫茶店じゃないってんだよ。
あっ、金払ってもらえばいいんじゃん!」
ブチブチ言いながらアイロンをかける豊に、五郎太は訊いた。
「おまえ、今付き合ってる、その由美子さんって言う人、比奈ちゃんの友達だろ?」
「え? そうだよ」
今まで由美子のことなんて訊かれたこともなかった豊は、五郎太に顔を向けた。
「その人のことが…好きなのか?」
「何言ってんの、おやじ…。好きだから付き合ってるに決まってるだろ?」
「そっか…ならいい。そのうち、家に連れて来い」
「……あぁ…そうするよ」
気の無い声の豊を気にしつつ、五郎太は、ランドリーマシーンの様子を見にその場から離れた。
豊と由美子は、付き合っていると言っても、みんなで集まることの方が多く、二人でのデートはまだ数回しかない。
それも映画を観て、食事をしてと、ありきたりなデートで、ただの友達の付き合い方と同じだった。
男と女の関係はもちろん無いし、豊は別にそれを望んでいるわけでもなかった。
「好きだから付き合っている」自分で言った言葉ではあるが、豊自身、由美子のなにが好きなのか、わからないでいる。
その日の夜、由美子は豊から海への誘いのメールを受け取ったが、「比奈子は来れない」と聞き、比奈子へメールを打った。
『比奈子、来週の日曜日は、園に行く日だった?』
比奈子からの返信が届いた。
『うん、子供たち、夏休みだし、暑いけどテーマパーク連れて行く約束してるんだ。
海、楽しんで来てね~』