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夢幻の桃華  作者: 斗南
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第六話 苦悩

 紅や黄に染まった山々が、秋の深まりを告げる。余市が村に来て、早や五年の月日が流れていた。


「よし、次はお前の番だぞ、桃太郎ももたろう!」


 夕焼けに染まる小高い丘から元気な声が響く。声の主はイセの孫の茂吉である。最近では、村の子供たちの面倒を見るのはすっかり彼の役目になっていた。いわゆるガキ大将というやつで、快活で面倒見の良い性格の彼にはまさに適役といえた。

 茂吉の呼び掛けに応えるように、一人の幼子おさなごが立ち上がる。桃太郎と呼ばれたその子こそ、余市が五年前に禁域から連れ出した赤子であった。五歳児とは思えない落ち着いた様子で土俵に上がる桃太郎に、鐘つき堂の上から一人の女の子が声援を送る。


「桃ちゃん、がんばって」


 色白ではかなげな印象のこの女の子は、弥助と実代の娘――咲である。

 丘の上にある寺の境内は、子供たちの格好の遊び場となっていた。鐘つき堂では女の子たちが色鮮やかな落ち葉で遊び、すぐ脇の土俵では男の子たちが相撲を取る。小さな子供同士では喧嘩になるため、相手をするのはもっぱら最年長の茂吉の務めであった。がむしゃらに向かってくる子供らが怪我をせぬよう適度に力を加減する辺りに、この少年の器量が見て取れた。

 向き合うと、桃太郎と茂吉の背丈は倍ほども違う。まるで大人と子供、傍目にはとても勝ち目があるとは思えない。これは他の子供にもいえることで、それでも彼らは今度こそという気持ちで茂吉に挑み続ける。しかし桃太郎だけは違っていた。彼はいかにして負けるかということばかり考えていたのだ。決して力を出さず、皆と同じように振る舞うこと。これは桃太郎が家族から常日頃つねひごろ言い付けられていることである。

 赤子の頃は他とさほど変わりなかった彼であるが、成長するにつれその力は強まり、感覚は鋭くなった。そしてわずか五歳にして大人数人がかりでも敵わない力を持つに至ったこの幼子は、家族の言い付けの意味を理解し、しっかりと守っていた。

 行司ぎょうじ役の少年の合図で、桃太郎は静かに前に出る。ほとんど力を込めていないのに、茂吉の体が衝撃でずれ動く。


「うお! やっぱり桃太郎の当たりはすごいな!」


 茂吉は桃太郎の服をしっかりと握ると、その小さな体をぐいと横に転がそうとした。傍目には力強いこの動きも、桃太郎の目には鈍く弱々しいものに映る。茂吉の力では、ただ立っているだけの彼を転がすことすらできない。桃太郎は仕方なく自ら身を投げ出すが、加減が難しい。勢い余って体が空中で回転してしまい、それに巻き込まれるように茂吉も地面に倒れ込んだ。


「お、おい! やり過ぎだ!」


 行司をしていた少年が、驚いて叫ぶ。


「え? 今、何が……?」


 一瞬呆けたような顔をしていた茂吉だが、すぐに倒れている桃太郎に駆け寄った。


「桃太郎! 大丈夫か、おい!」


 周囲の子供たちが、心配して集まってくる。どうやら彼らには、茂吉が力任せに投げつけたように見えたらしい。桃太郎は安堵して立ち上がると、服に付いた汚れを手で払い落とした。


「やっぱり、茂吉兄ちゃんは強いや」


 そう言ってにっこりと笑う。それを見た子供たちは、釣られるように笑い出した。


「すまねえ。加減を間違えたみたいだ」


 素直に謝る茂吉に、桃太郎の胸がちくりと痛む。嘘をつき通すのは辛い。なぜ自分は皆と違うのだろう、そんな思いが押し寄せる。茂吉は桃太郎に怪我がないことを確認すると、安心したように微笑んだ。


「大丈夫みたいだな。よし、じゃあそろそろ帰るぞ」


 茂吉はそう言うと、年上の者たちに幼子をそれぞれの家に送り届けるよう指示を出す。こういったところが、村の大人たちに信頼される理由の一つであった。



「じゃあな、桃太郎」


 自宅の前まで来ると、茂吉はそう言って桃太郎の肩をぽんと叩いた。そうして咲の手を引きながら、隣の家へと歩き出す。


「桃ちゃん、またね」


 手を振る咲を見送った後で、桃太郎は家の中に入った。


「ただいま帰りました、母上」


「おかえりなさい、桃太郎」


 土間で食事を作っていた妙が笑顔で答える。長い髪を後ろで束ね、顔の傷を隠さなくなった彼女に以前のような暗い影は感じられない。二年前の春、ついに念願叶い余市と妙は所帯を持つこととなった。余市は治療を通じて村の人々ともすっかり顔見知りになり、それに同調するかのように妙も周囲と積極的に交流するようになっていた。


「お相撲はどうでした?」


「はい、楽しかったです。とても」


 心配を掛けまいと笑顔を作る桃太郎を、妙は優しく抱き寄せる。


「桃太郎。わたしにまで、そんな嘘はつかなくていいのですよ」


 ひたすら負ける演技を続けなければならない相撲など、本当は楽しいわけがない。彼女はそのことに気付いていた。ぽろりと、桃太郎の目から涙がこぼれ落ちる。


「母上、なぜ私は皆と違うのですか? 私は人じゃないのかもしれない」


 妙は震える小さな体をぎゅっと強く抱きしめた。


「あなたとわたしに何の違いがあるというのです。あなたは誰よりも人間らしいじゃありませんか」


 そうして妙は彼の肩を掴み、まっすぐにその目を見つめる。


「あなたが力を持って生まれたことには、きっと大切な意味があります。それはとても素晴らしいこと。決して悲観せず、誇りになさい」


 そこまで言い切ると、妙は急に押し黙り、辛そうに顔を歪めた。その目にうっすらと涙が浮かぶ。


「……ごめんなさい。偉そうなこと言いながら、あなたに無理をさせているのはわたしたちなのです。生まれ持った資質を誇れと言いながら、一方ではそれを隠せと諭す。それこそが、あなたを苦しめる元凶だというのに……」


 その時、遠くからシロの吠える声が聞こえた。それは富三と余市が狩りから戻って来た合図。妙は目尻を拭いながら立ち上がると、桃太郎に微笑みかけた。


「さあ、もうすぐ夕食よ。手を洗っておいで」


 桃太郎は「はい」と返事をして、水場の方へと走っていった。



 その日の夜、桃太郎が眠った後で、妙は夕方のことを二人に相談した。


「そうですか、そんなことが……」


 深刻な顔で考え込む余市の横で、富三も腕を組んでうなる。


「わしらの思慮が浅かったのかもしれんな」


「しかし、あの力が周囲に知れれば、どんな扱いを受けるか」


 余市の意見はもっともであった。陰陽師すら恐れる人々である。桃太郎の力や素性を知れば、拒絶することは火を見るよりも明らかだった。だがそれでも妙は、こう言葉を返す。


「仕方のないことなのはわかります。でも、それでも、あの子は苦しんでいるのです。何か手立てはないのでしょうか?」


「ううむ……」


 囲炉裏を囲みながら、三人は一様に考え込んだ。しばらく言葉もないまま、時間だけが過ぎていく。ふと余市が顔を上げ、こんなことを言った。


「実行は困難かもしれませんが、ひとつ案があります」


「おお、本当か?」


「聞かせてください」


 富三と妙が身を乗り出す。


「いえ、決して良い話ではないのです。どちらかといえば、間違った考えかもしれない」


「構わん。良し悪しの判断は後じゃ」


 余市は「わかりました」と言うと、こう話を切り出した。


「しばらくの間、桃太郎を人に預けてみてはどうでしょうか?」


「なんじゃと!」


「そ、そんなことは駄目です!」


 詳細も聞かない内に、二人はすごい剣幕で余市の提案を拒絶した。たとえ血は繋っていなくても、富三にしてみれば可愛いひ孫。妙にしてみればかけがえのない我が子なのだから、当然の反応といえる。予測していたのか、余市は別段驚く様子を見せなかった。


「もちろん私だって、そんなことはしたくない。でもここにいる限り、あの子は苦しみ続けるのです。そこから救い出すには、何かを犠牲にするしか……」


「むう。しかし、誰に預けようというんじゃ?」


「おそらくは桃太郎と同等の資質を持ち、似た境遇を生きてきた人物。坂田金時殿です」


 思いもよらぬ答えに、富三と妙は顔を見合わせる。余市はさらに続けた。


「かの御仁は幼少のみぎり、とある禁域の山中で熊神くまがみと共に育ったそうです。そしてその力は、熊神の血を半分引くがゆえのこと。そんな話を耳にしたことがあります。以前はただの噂話と思っておりましたが、今なおご存命という話を聞き、信じる気になりました。ひょっとすると桃太郎も神の血を引いているのではないでしょうか?」


「ふむ、そう考えればあの子の力にも説明がつくのう」


「もしそうであれば、坂田殿の下なら桃太郎は普通の子供として生きられます。子供らしく元気に駆け回り、全力でぶつかっていける。あの子はそういう環境で育つべきなのかもしれない」


 富三と妙は考え込み、やがてゆっくりと頷く。


「そうじゃな。じゃが、離れ離れにならずに済む方法があるかもしれん。わしらはそれを模索すべきじゃろう」


「わたしもそう思います。それに、ひとつ問題が。お爺とわたしが坂田様にお会いしたのはずいぶんと昔のこと。今は行方が知れません」


「ええ、実行が困難と申し上げたのはそのためです。町に出れば何か情報を掴めるかもしれませんが、現時点ではなんとも……」


「町に当てでもあるのか?」


 富三が尋ねると、余市はこう答えた。


「実は以前、陰陽師としてつかわされたことがありまして。その時の伝手つてを頼ってみようかと考えております」


「ほう、そりゃ丁度ええ。冬の前に、そろそろ毛皮や角をおろしに町に出ようと思っておったところじゃ」


「では、その折に」


 三人の目には、かすかな希望の光が灯り始めていた。

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