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夢幻の桃華  作者: 斗南
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第五話 深い傷痕

 翌日、高台にある寺の本堂には、イセの呼びかけで二十人ほどの村人が集まっていた。この村には決め事をする際、各家の代表が集まって話し合うしきたりがある。その中には、当然富三や弥助の姿もあった。


「――というわけで、その余市という男を村の治療師として迎え入れたい。如何かな、皆の衆」


 イセの提案に、集まった村人がざわざわと騒ぎ始める。彼らが発する言葉の端々には、得体の知れぬ力を拒絶する意思が感じられた。そんな雰囲気の中、富三はイセの提案を後押しするようにこう言った。


「わしからも頼む。あれが悪い人間でないことは、わしが保証する」


 信頼厚い村の重鎮じゅうちんのひと言は、場の空気を変えた。一人、また一人と受け入れを表明する者が出始める。


「なあ、具合が悪くなったら、ただで診てもらえるんか?」


 誰かがそんな質問をすると、イセは予測していたかのようにこう答えた。


「食い物でも何でも、礼はできる範囲でやればええ。じゃが安心せえ。あやつは礼がないからといって治療を断る男ではないぞ。のう、富三?」


「うむ、違いない」


 一気に賛同する者が増えたが、それでもなお沈黙を貫く者たちが残っていた。


「お、おらも最初は怖かったけどよぉ。余市はいいやつだ。うちの娘を助けてくれた時だって、少しも恩に着せる素振りはなかった」


 突然立ち上がって、そう力説したのは弥助だった。これが思いのほか功を奏し、さらに数名が賛成の意を示す。村一番の臆病者の言葉は、人々の不安を払拭するには効果的であった。


「よし、概ね賛成のようじゃな。では決まりじゃ」


 イセがそう宣言した直後、一人の若者が声を上げた。


「俺は認めねえぞ! 都の陰陽師なんて、どうせろくなもんじゃねえ!」


「こら! 控えんか、吾作ごさく。決まったことだ」


 年配の男がたしなめると、吾作と呼ばれた男は黙ったまま外に出て行ってしまった。


「何だね、あの態度」


「まったく、最近の若いもんは」


 口々に非難が出るなか、富三が諭すように言った。


「まあ、吾作の立場も分かってやらねばな。あやつの父親は都で酷い目に遭っとる。わしらより不信感が強いのは仕方のないことじゃ」


 文句を言っていた者たちも、この言葉に納得した様子で口をつぐんだ。


「では話し合いは以上じゃ。よろしく頼むぞ、皆の衆」


 イセのひと声に、その場にいる全員がおうと答える。富三は年甲斐もなく駆け出すと、余市と妙の待つ家へと道を急いだ。



「喜べ! 認められぞ!」


 吉報が届いたのは、余市が庭先で薪割まきわりをしている時であった。


「本当ですか!」


 余市は喜び、家の戸口とぐちに目を向ける。土間では妙が食事の支度をしていた。よほど嬉しかったのか、外に飛び出してきた彼女は勢い余って段差につまづき、その拍子に抱えていた桶の水を頭から被ってしまった。


「だ、大丈夫ですか!」


 余市は素早く駆け寄り、首から下げていた手拭いで慌てて彼女の顔をぬぐう。そのとき、その手がはたと止まった。ハッとした表情を浮かべた妙は、一気に血の気を失う。そして顔を隠そうと、必死に濡れた髪をかき集めた。

 余市が目にしたもの、それは彼女のこめかみから首筋にかけて、はっきりと残る大きな傷痕であった。


「妙さん、その傷は?」


「ご、ごめんなさい」


 妙は声を震わせながら立ち上がり、家の奥へ逃げるように駆け込んでいく。慌てて彼女の後を追おうとする余市の肩を、富三が強く掴んだ。


「待て、余市」


 余市の足が止まる。


「頼む、今は独りにしてやってくれんか?」


「いや、しかし……」


「まだ人に見られるのは辛いようなんじゃ。ましてお主には……」


 富三の説得に、余市は止むなく追うのを諦めた。


「すまんな。もっと早くに話しておくべきじゃった」


 そう言って富三は庭の置石に腰を下ろすと、大きく息をついた。


「そこに座ってくれ」


 余市は言われた通り、薪割りに使っていた切り株に座る。おそらく富三が語ろうとしているのは妙の傷に関すること。余市は背筋を伸ばし、真剣な表情で富三を見る。気を緩めて聞くなど、失礼だと感じた。


「では、話そうか」


 そうして富三は、五年前に隣村で起きた忌まわしい事件のことを語り出した。



 富三たちの村からひと山越えた所に、かつて小さな集落があった。そこは周囲の村々から集まった年若い者らが自力で土地を切り開き、築き上げた新しい村。そんな中に、富三のひとり息子の姿もあった。

 やがて彼はそこに居を構え、共に開拓に汗を流した近隣の村の娘と結婚する。そんな二人のもと、村で最初に産声うぶごえを上げた妙はとても明るく活発な女の子だったという。

 月日が流れ、妙が十六になる年のある日、一軒の家の屋根に大きな矢が刺さっているのを村人が見つけた。禁域に棲む巨大な白鳥しらとりの羽とそこに生える神木から作られた矢は、大人の背丈ほどの長さにも関わらず驚くほど軽い。明らかに人の手によるものではないこの出来事は、この地方に伝わる恐ろしい伝承を象徴するものであった。


「その噂なら聞いたことがあります。禁域に隣接するこの地方では、十年に一度、猿神さるがみに幼い子供を捧げる儀式がとり行われると……」


 余市の言葉に富三は頷く。


「儀式といえば聞こえはいいが、ようは生贄じゃ。化物に抗うすべを持たぬ人々が、言いなりになる他なかっただけのことよ」


「武士はどうしたのです? 幕府や朝廷は黙って見過ごしているのですか?」


「こういった伝承は日本各地にあってな、珍しいことではない。十年に一度、子供一人が行方不明になるくらいでは、お偉方は動かんのじゃ」


「なんてことだ……。長いこと都で陰陽師をしていながら、そのような実状に気付きませんでした。恥ずべきことです」


「まあ、組織の中に居ては見えぬことも多い。仕方あるまいて」


「それで、どうなったのですか?」


「若いもんはおそれを知らん。あろうことか、連中は猿神を退治するなどと言い出しおった。周辺の村々の反対を押し切ってな」


「まさか、村人だけで戦ったのですか?」


「そうじゃ。こうなれば覚悟を決めるしかないと、近隣の村からも応援が出た。わしや茂吉の父親も、その一人じゃった」


 富三は古い記憶を思い返すかのように、遠くを見つめた。


「総勢五十を超える男衆が集まった。かつてないことじゃ。士気も高く、誰もがやれるのではないかと期待に胸を膨らませた。じゃが……」


 余市はごくりと喉を鳴らす。


「猿神の力は圧倒的じゃった。丸太のような腕はわずかひと振りで大人数人をぎ倒し、巨大な足は軽々と人間を踏み付けた。そうして猿神は、倒れた人々をその大きな口と鋭い牙で次々に食らいおったんじゃ」


 富三は頭を抱え、さらに続ける。


「そんな化物を三匹も前にして、もう戦いになどならんかった。阿鼻叫喚あびきょうかんの中、わしは傷を負った妙を助けるのが精一杯でな。息子夫婦や村の仲間を守ることができんかった。それが、今も悔しくてたまらん」


 話を聞いていた余市の脳裏に、禁域での恐ろしい記憶が甦る。不思議な力に守られていたとはいえ、自分を食おうと迫りくる化物には途轍とてつもない恐怖を感じた。あれらが持つ驚異的な力の前では、並の人間などひと溜まりもない。


「では、多くの村人がそれで命を?」


 余市がそう尋ねると、富三は辛そうに顔を歪めた。


「……ほぼ全員が死んだ。助かったのは、わしと妙だけじゃ」


「そ、そんな……」


「猿神は図体のわりに、驚くほど動きが速くてな。あの怪物どもは逆らった人間を誰一人として逃す気はなかった」


「そのような絶望的な状況から、どうやって逃れたのですか?」


「運が良かったとしか言えん。たまたま近くを通りかかった御仁ごじんが助けてくれたんじゃ」


「なんと……。いったい何者です?」


坂田金時さかたのきんときというお方じゃ」


「まさか! あのみなもとの頼光よりみつと共に酒呑童子しゅてんどうじを討ったという?」


「うむ、まさしく怪力無双とはあのこと。背負っていた武器を手にするまでもなく、あっという間に猿神三匹を素手で叩き伏せてしもうた」


 余市は考え込むように、ぶつぶつと呟く。


「信じられない、まだご存命とは……。たしか大江山おおえやまの鬼退治は二百五十年以上も前のこと。だとすれば、やはりあの噂は本当だということに……」


「まあ、真偽のほどはわからんが、あながち嘘とも思えん。き出しの頭皮や白い髭は老人そのもの。しかし、それに似合わぬ体躯たいくの立派さといったら、古今東西どこを探しても見当たらんほどじゃった」


 富三はそこまで話すと、ひと息つくように足元に転がった桶を拾い上げた。余市もようやく思案を終え、顔を上げて視線を戻す。


「それ以来じゃな。妙が明るさを失い、顔を隠すようになったのは」


 富三はそう言って、桶の底に残ったわずかな水を見つめた。その様子は酷く悲しげで、普段の気骨は微塵も感じられない。余市はしばらく考え込んだ後、地面に正座をして富三に向き合った。


「……富三さん、折り入ってお願いがあります」


「何じゃ、改まって」


「妙さんを、私にいただけませんか?」


 この言葉に富三は目を見開く。


「な、何じゃと! 急に何を言うか!」


「本気です」


「わかっておるのか? 同情なんぞ、余計に妙を傷つけるだけじゃ!」


「同情ではありません。私は妙さんを幸せにしたい。彼女が再び笑顔の日々を過ごせるのなら、私はどんなことだってするつもりです」


 その顔は真剣だった。多くの経験を積んできた富三でさえも、一瞬気圧(けお)されるほどの決意がその目には宿っている。


「むう、しかし……。村の連中がどう思うか……」


「やはり、私のような立場では無理でしょうか?」


「いや、そういう意味ではない。何というか、ようするにお前さんたちは出会ってまだ日が浅いということじゃ。これでは要らぬ疑いを持たれてしまうかもしれん」


「疑い?」


「うむ、つまりな。事を急ぎ過ぎると、最初から家土地を狙っていたなどと勘繰かんぐる輩もいる。そういう意味じゃ」


 困った様子の富三を見て、余市は自分が先走り過ぎたことに気付く。


「すみません、性急でした。時が必要なら、私は待ちます」


「そうか。いや、申し出は有り難い。じゃが、今はまだ早かろう。妙のためにも、もう少し時間を掛けてもらえんだろうか?」


「もちろんです。配慮が足りませんでした。どうかお許しください」


「いや、まあ、若いというのはそういうもんじゃて。とりあえず、妙の様子を見に行ってやってくれんか? そろそろ落ち着いた頃じゃろう」


「はい!」


 嬉しそうに返事をする余市を見て、富三は目を細めた。

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