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夢幻の桃華  作者: 斗南
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第四話 癒しの力

「富爺! おるか?」


 幼いながらもはっきりと通る声、そこから芯の強さが感じ取れる。


「どうした、茂吉もきち?」


 富三がそう尋ねた相手はイセの孫であった。


「お婆が呼んどる! 都の陰陽師と一緒に来いと言うとる!」


 富三と余市は思わず顔を見合わせる。


「いったい何事じゃ? おい」


 富三が問い掛けた時には、既に茂吉の姿はなかった。庭から再びシロの吠える声が響く。


「やれやれ、せっかちな子じゃ」


「とにかく、行ってみましょう」


 立ち上がる余市に続いて富三が腰を上げようとした時、妙が彼の服を掴んだ。


「お爺、わたしも……」


 富三は少し驚いた顔で彼女を見る。その気持ちは、余市にもわかる気がした。彼女が人前に出たがらないことは、ほんの数週間共に過ごしただけの彼にも気付けることであった。


「おお、もちろんじゃ。一緒に来なさい」


「うん」


 外に出ると、畦道あぜみちの途中で苛立つように足踏みをする茂吉の姿が見えた。


「富爺、早うせえ!」


 茂吉はそう叫ぶと、三人を待たず再び走り出す。


「どうやら、急いだほうがよさそうじゃな」


「そのようですね。妙さん、赤ん坊は私が」


「いえ、大丈夫です。急ぎましょう」


 三人は足早に茂吉の後を追った。道の両側には水田が広がり、背を伸ばした稲が地面を覆い隠すほどに生い茂っている。そんな田んぼをいくつか過ぎると、屋敷やしきりんの向こうに大きなわらきの屋根が見えてきた。


「あそこじゃ。あれが村長の家じゃ」


 富三は余市にそう説明した。三人は門かぶりの松の下を抜け、そのまま茂吉が手招きする戸口へと向かう。

 家の中には、イセの他に弥助夫婦と赤子の姿があった。余市は横たわる赤子の様子がおかしいことに気付く。異変に気付いたのは彼だけではないようで、富三がイセたちに向かってこう尋ねた。


「何事じゃ? 何があった?」


 その声に振り向いた弥助が、突然飛びかかるように余市の両肩を掴んだ。


「お、おい、あんた! 助けてくれ、頼む!」


 鬼気迫る勢いで体を揺さぶってくる弥助の様子に、余市は動揺する。


「落ち着かんか、弥助!」


 イセの声が響いた。


「茂吉、お前は奥に行っておれ」


 祖母の言葉に、茂吉は素直に従う。続けて彼女の口から事情が説明された。


「昨夜からさきの具合が悪くてな。一向に良くならん」


 それを聞いた妙は、涙を溜めて我が子を見る実代の肩にそっと手を置く。


「生まれつき体の弱い子じゃて。それでお主を呼んだ次第じゃ」


「し、しかし、私は……」


 イセの説明に、余市は沈痛な面持ちで言葉を詰まらせた。弥助や実代のすがるような眼差しが、肩に重くのしかかる。


「そいつは無理な相談じゃ、婆さま」


 代わりに答えたのは富三であった。


「何じゃと? なぜじゃ?」


「余市の術の力は弱い。理由はわからんが、ここ数年の間に霊力が弱まってしまったらしくてな」


 それを聞いた弥助はふらつくように膝をつき、実代の目からは涙がこぼれ落ちた。余市はそれを直視できず、ただ己の不甲斐なさにうつむく。握りしめた拳が、悔しさで小刻みに震えた。


「ふむ……。じゃが、まったく力がないわけではないのじゃろう?」


「それは、そうじゃが……」


 イセの指摘に、富三は困ったような表情を浮かべた。


「そ、それで構わねえ! 試してみてくれ、頼む!」


 懇願する弥助に、余市はゆっくりと顔を上げる。


「わかりました。とにかくやってみます」


 余市は履き物を脱ぐと、赤子の前に正座をした。目をつむり、精神を集中する。周りの空気が徐々に変わっていく。額には汗が滲み、家のあちこちから柱の鳴るような音が聞こえた。

 やがて全身から陽炎のような揺らぎが生じ、彼の両手は淡い光を纏い始める。富三たちは息をするのも忘れたかのように、ただその光景に見入っていた。

 次の瞬間、目を開けた余市の行動は意外なものであった。彼は自身から立ち昇る揺らぎを見て、明らかに驚きの表情を浮かべたのだ。


「余市さん?」


「どうした? 大丈夫か?」


 妙と富三が声を掛ける。余市はハッとしたように、光る両手でそっと赤子に触れた。手の光が、まるで吸い込まれるように消えていく。

 直後、揺らぎの消失と共に余市の意識はぷっつりと途絶えた。倒れかけた彼の体を、富三が慌てて支える。その時、部屋じゅうに元気な赤子の泣き声が響き渡った。


「おお、見てみい!」


 イセのしわだらけの顔がほころぶ。ぐったりとしていたはずの咲が全身に生命力をみなぎらせ、声の限りに泣いていた。


「き、奇跡だ。ああ、ありがてぇ」


 妙の腕の中で大人しく寝ていた赤子までが一緒に泣き出すほどの元気な声に、弥助と実代は打ち震えた。そんな中、富三は気を失った余市に呼びかける。


「余市、しっかりせい!」


 その声に、弥助とイセは我に返ったかのように余市を見た。妙と実代もそれぞれの赤ん坊をあやしながら、不安そうな表情を浮かべる。だが皆の心配をよそに、余市はすぐに意識を取り戻した。彼はぼんやりとした様子で、ゆっくりと上体を起こす。


「すみません。もう大丈夫です」


 それを聞いた富三は、ようやく緊張が解けたかのようにその場に座り込んだ。


「あんたは命の恩人だ!」


 弥助と実代は揃って余市に頭を下げる。


「いえ、私は当然のことをしただけで……。それに、お二人には赤ん坊のことでいつもお世話になっているのですから」


「いや、どんなに感謝しても足りねぇくらいだ。それなのに、おらぁあんたのことを化物だなんて――」


 そんなことを言い出す弥助の頭を、すかさず実代が平手で打つ。ぺしっと小気味のいい音が響いた。


「ほんとに大馬鹿者だよ、あんたは!」


 いつも通りの二人の掛け合い、その様子に妙の口元がゆるむ。


「やれやれ、まったくじゃ」


 イセも相槌を打ち、嬉しそうに笑った。そんな中、余市だけが考え込むように俯いていた。


「どうした? どこか悪いのか?」


 富三の問い掛けに余市は顔を上げる。


「あ、いえ、すみません。先程の術のことを考えていました」


 すると、富三も顎に手をやり何やら考え始めた。


「ふむ。力が弱いとはいえ、赤子には効果があったみたいじゃな。そういえば、途中で驚いた顔をしておったが?」


「ええ。実は、以前より霊力が強くなったようなのです」


「なんじゃと、本当か?」


 全員が余一に目を向ける。


「目に映るほどの霊力というのは、都の陰陽師でもごく限られた者しか持ち得ません。明らかに以前の私の力を上回っている」


「そりゃあ、さっき全身からゆらゆらと湧き出たやつのことか?」


 弥助の問いに余市は頷き、実代の腕の中で元気に動く咲を見ながらこう話す。


「はい。その子を助けられたのもそのおかげかと……」


 すると急に、富三が何かに気付いたように声を上げた。


「そうか! これはひょっとすると、桃の力かもしれんぞ」


「桃じゃと? 例の桃のことか?」


「それって、お妙ちゃんが川で拾ったっていう?」


 イセと実代の問い掛けに、富三は首を縦に振る。


「そう、その桃じゃ。あれのおかげで余市は一命を取り留めた。それほどの力を持つのなら、霊力に影響が出てもおかしくはなかろう」


「なるほど、考えられる話ですね」


 余市は納得したように呟く。


「す、すげえな。その桃の木、どこに生えてるんだ? 売れば大金持ちになれるぞ」


 そんな夫の反応に、実代は呆れ顔でため息をつく。


「覚えておらんか、弥助? 禁域の近くで余市を見つけた時、赤子の手から桃の実が転がり落ちたじゃろう」


「へ? まさか、あれをお妙ちゃんが拾ったってのか?」


「きっとそうじゃ。禁域の桃の実なら、あのような効能を秘めていてもおかしくはあるまい。のう、余市?」


「はい。私が赤ん坊を見つけたのは禁域の奥深く、清らかな泉の近くに生えた桃の木の下でした。富三さんの考えは的を射ていると思います」


「はぁ、それじゃ取りに行けねえなぁ」


 嘆く弥助の頭を再び実代が小突く。そんな二人を眺めながら、妙は安堵したように言った。


「でも本当によかった。咲ちゃんが無事で……」


「私も、村を発つ前に少しでも恩返しができてよかったです」


 そんな余市の言葉に妙は再び表情を曇らせ、寂しげに腕の中の赤ん坊を撫でた。小指をぎゅっと握り返す小さな手。そこに向けられる彼女の眼差しは、まるで実の母親のようであった。

 そんな様子を見ていたイセが、急にこんなことを言い出す。


「余市、村に留まる気はないか?」


 全員が驚く中、イセはこう続けた。


此度こたびのことで、お前さんの人柄はようわかった。わしとしては、ぜひ村の治療師として迎え入れたい」


 それを聞いた余市は、困惑した顔で言葉を返す。


「しかし、私のような者が……」


「もちろん、村の連中の同意を得る必要はある。最初は怖がる者も多いじゃろう。じゃが、お主の人となりを知れば受け入れてくれるはずじゃ」


 余市は少し考え込んだ後で、イセにこう尋ねた。


「赤ん坊も受け入れてもらえるでしょうか?」


「ふむ……。その子は連れ子ということにしておいた方がいいじゃろう」


 それを聞いた富三と弥助が即座に反応する。


「おい、婆さま。村の連中に嘘をつくつもりか?」


「き、気付かれたらどうするんだよ?」


「わかっておらんな。陰陽師さえ恐れる連中が、禁域から連れ出した赤子を受け入れると思うか? それはこの村に限ったことではないぞ。嘘でもつかんことには、その子の居場所はどこにも見つからんわ」


 この反論に、富三も弥助も言葉を返せなかった。


「確かに、その通りかもしれません……」


 そう呟く余市を、イセはさらにこう諭す。


「お主は夢のお告げに導かれてここまで来た。それが天の定めなら、これもまた受け入れねばならぬことかもしれん」


「……わかりました。ご厚意、有難くお受けします」


 余市はそう言って深々と頭を下げる。イセは頷くと、富三たちに向かってこう言った。


「では、赤子の素性はわしらだけの秘密じゃ。決して他に漏らすでないぞ。特に弥助、お前は注意せえ」


 じろりと睨む彼女の迫力に、弥助はただ黙って頷くしかなかった。


「さて、問題は住むところじゃが……。どうしたものかのう?」


 そう言いながら、イセは富三と妙を交互に見る。富三は彼女の意をすぐに察したらしく、こう言った。


「余市よ、この婆さまはお前がわしらの家に住むことを期待しているようじゃ。もしよければ、このまま家に居てもらえんか?」


 富三の申し出に、余市は顔を綻ばせる。


「ほ、本当によろしいのですか?」


「もちろんじゃ。わしも助かるし、何より妙が喜ぶ」


「お、お爺!」


 目を丸くしながら頬を赤く染める妙の横で、余市も少し照れくさそうであった。

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