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夢幻の桃華  作者: 斗南
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第三十二話 打ちひしがれた男

 桃太郎は東を目指し、ひた走っていた。その速さは通常なら二日かかる道のりを一日足らずで走破するほどである。しかし都を出てほどなく、街道沿いに建ち並ぶ家々の惨状を目にした彼は、思わずそこで足を止めた。

 建物は破壊され、場所によっては燃え落ちている。生き残った人々は虚ろな表情のまま、ただ黙々と瓦礫がれきを片付けていた。そんな中、都から派遣されたと思しき武士の姿を見つけた桃太郎は、情報を聞き出そうと事情を知らぬ振りをして彼らに近づいた。


「何かあったのですか?」


「ん? ああ、妖の仕業だ。ようやく黒雲が落ち着いたかと思えば……」


「では、この近くに妖が?」


「いや、先の宿場にも半日遅れで被害が出たと聞く。きっと移動したのだろう」


「そうですか。ありがとうございました」


 桃太郎は再び走り出す。落胆する人々の姿に胸が締め付けられる思いだったが、元凶を断たねば被害は広まるばかり。そう自分に言い聞かせ、一心不乱に前へと進む。

 何十里もの距離を一気に駆け抜けた桃太郎は、まだ日が高い内に宿場へと到着した。体力には自信のある彼もさすがに息を切らし、足腰に疲労を感じていた。聞いた通り建物がいくつか壊されているが、さきほどの集落に比べれば被害は少ない。少し歩き回ってみたが、陰陽師たちの姿はどこにも見当たらなかった。

 そんな折、ふと道端に項垂うなだれて座り込む奇妙な人物が目に留まる。服から露出した首や腕が獣のような毛で覆われていて、その姿はまるで猿が服を着ているかのように見える。おそらくは猿人族えんじんぞくと呼ばれる亜人。桃太郎はそう判断した。

 なぜこんな所に? 不思議に思いながらも、構っている暇はないとすぐに視線を逸らす。その時どこからか美味しそうな匂いが漂ってきて、桃太郎は急に空腹感を覚えた。そろそろ昼食を取らなければ。そう考え、落ち着けそうな場所を探す。

 そんな彼の目に、再び猿人族の男の姿が映り込んだ。雉子のように人間の振りをするでもなく、人里で堂々と座り込む亜人。そのような変わり者は都でも見かけなかった。それに加えずっと下を向いたままというのだから、余計気になって仕方がない。ひょっとして具合が悪いのだろうか? 心配になった桃太郎は彼に近づくと、こう話しかけた。


「あの、大丈夫ですか?」


 男は顔を上げ、呆けたように桃太郎を見る。その顔つきはやはり猿に近かった。


「……今、拙者に話しかけましたかな?」


「ええ、具合が悪そうだったので」


 すると、男の表情が見る見る内に笑顔に変わった。


「おお、やはりこうでなくては! これまでの仕打ちは余りに無情というもの」


「あの、何の話ですか?」


「なんと! お聞きくださると? 聞くも涙、語るも涙の拙者の苦労話を」


「えっ? いや、私は急いで……」


「もちろんでござる。かさずとも、すぐに聞かせて差し上げますぞ」


 そう言って、男は激しく流れ落ちる滝の如く語り始める。桃太郎は止むを得ず、休憩がてら話を聞くことにした。

 それによると、男は幼い頃に人間に拾われ、人気のない山中で育てられたという。やがて育ての親を亡くした彼は、人里で暮らそうと決心し、生まれて初めて山を下りる。しかし、彼を待ち受けていたのは世間の冷たい風。亜人を受け入れてくれる集落はおろか、泊めてくれる宿すら見つからない。頼れるものは、育ての親が授けてくれた知恵と棒術のみ。彼はその腕前で生計を立てようと目論もくろんでいたが、依頼は一向に見つからなかった。

 道中、妖の噂を耳にした彼は、この宿場なら仕事があるのではと来てみたものの、やはり徒労に終わる。山を下りて数週間、ついに持参した食糧とわずかな金銭も尽き果て途方に暮れていたところ、桃太郎に声を掛けられたのだという。

 話し終えるのを待っていたかのように、男の腹が盛大に鳴った。桃太郎は袈裟懸けにしていた風呂敷から竹の皮で包んだ握り飯を取り出すと、男にひとつ差し出す。


「ちょうど昼飯にしようと思っていたところです。一緒にどうですか?」


「な、なんと……。これは、かたじけない」


 信じられないといった様子で、男はそれを受け取った。桃太郎は隣に腰を下ろすと、自分も握り飯を口にする。よほど腹が減っていたらしく、男はすごい勢いで大きな握り飯にかぶりつく。そんな彼を見ながら、桃太郎は鵺退治の稼ぎをいくらか分けてあげようかと思案していた。だがすぐに、もっと良い考えが頭に浮かんだ。


「実は、都から妖を追ってきたのですが、もしよかったら退治するのを手伝ってくれませんか? もちろん報酬は払います」


 これなら彼の望む形で金子きんすを渡すことができる。とっさの桃太郎の機転であった。


「拙者を、雇っていただけるのか?」


 男は口いっぱいに飯を頬張りながら、さも驚いた様子で桃太郎を見る。


「ええ。かなりの腕前とお見受けしました。ご助力いただければ、心強い」


 この言葉は決して世辞ではなかった。男が犬十郎や雉子に劣らない実力を秘めていることに、桃太郎はうに気付いていたのだ。


「いやあ、有り難い。貴殿のようなお方が居られるとは、人の世も捨てたものではありませんな」


 男は居ずまいを正すと、気迫のこもった目でこう言った。


「その申し出、謹んでお受けいたす」


 一瞬だけ気が膨れ上がり、桃太郎の肌が泡立つ。やはり自分の目に狂いはなかった。桃太郎はそう確信した。


「よかった。ではまずお金を……」


「いや、それは事が済んでからで結構」


「頼んだ手前、そうはまいりません」


「いやいや、握り飯を恵んでもらった上に、前金までいただいてはさすがに気が引けるというもの」


 遠慮ではないとばかりに、男は満面の笑みを向けてくる。これ以上は押し付けになると感じた桃太郎は、仕方なく引き下がることにした。


「わかりました。では早速ですが――」


「お待ちくだされ。まだ名乗っておりませんでしたな。拙者は猿空えんくうと申す」


「こ、これは申し遅れました。私は桃太郎と申します」


 桃太郎はうっかり名乗り忘れていたことに、気恥ずかしさを覚えた。こんな当たり前のことを失念するとは、やはりどこか焦りがあったのだろう。そう自らを省みる。


「うむ、桃太郎殿ですな。改めてよろしく頼みますぞ」


「こちらこそ」


 猿空と名乗った男は嬉しそうに微笑むと、こう問い掛けた。


「さて、まずは何を?」


「では、聞き込みをお願いします」


「聞き込みとは、もしや妖に関することですかな?」


「ええ、もちろん」


「それなら必要ありませんぞ。この宿場に来てすぐに、御用聞きついでにあちこち聞いて回りましたからな。ははは」


「それは話が早い。で、何かわかりましたか?」


「つい先日、この宿場に陰陽師という妖退治の専門家が訪ねてきたそうでござる。彼らは今朝方、南の山中へ向かったとのこと」


「南? なぜそんな方角に……?」


 てっきり街道沿いを進むものと思い込んでいた桃太郎は、予想外な話に少し戸惑う。


「無論、妖の後を追ったのでしょうな。ただ、妖が山を目指した理由がわかりませぬ。聞いた話では、人里があるわけではない。考えられるのは、そこがねぐらという可能性くらいかと……」


「妖が山に向かったのは確かなのですか?」


「証拠をお見せいたす。さあ、こちらへ」


 猿空は脇に置いていた長い棒を拾い上げ、街道から逸れた脇道へと桃太郎をいざなう。水田から溢れた水でぬかるんだその道には、まるで何かの大群が通ったようなたくさんの足跡が残されていた。それは薙ぎ倒された草木を乗り越えて、さらに奥の山林へと続いている。


「人や獣のものではござらん。おそらく妖の足跡かと」


「なるほど、陰陽師たちもこれに気付いたのですね。しかしまた、ずいぶんと派手に残したものだ」


 桃太郎はふと考え込む。これまで戦ってきた妖は人と同等、あるいはそれ以上に知恵が回った。そんな生き物が、こうもわかりやすい痕跡を残すものだろうか? 彼はしゃがみ込むと、足跡をじっくりと観察した。


「どうなされた、桃太郎殿?」


「宿場を襲った妖の種類と数はわかりますか?」


「正しくはわかりませぬが、数は複数とのこと。住人の話では、大きな百足むかでのような妖だとか」


「そうか、百足か……」


 呟くように言いながら、桃太郎はさらに観察を続ける。しばらくすると、彼は猿空にこう問い掛けた。


「襲われたのは何時なんどきでしょう?」


「たしか、昨日の夜明け前かと」


「闇に紛れたというわけか……。猿空殿、聞いた中に他より大きな百足の目撃情報はありませんでしたか?」


「おお、ありましたぞ。建物に巻き付き、破壊するほど巨大な百足がいたとか。なぜそれがお分かりに?」


「経験則といいますか、つい先日戦った群れの親玉がそうだったものですから」


「なるほど。獣も妖も、群れの中では力がものをいう。より大きくて強い個体が率いるというのは、ありそうな話ですな」


「私の見立てでは、群れは二手に分かれたようです」


「ほう、それはなにゆえに?」


「これです。見てください」


 そう言って桃太郎は、地面に残された足跡を指し示す。猿空はそれらを食い入るように見つめた後で、こう言った。


「ふむ。一見すると乱雑だが、百足の足跡と意識すればその数や大きさが見えてきますな」


「その通りです。これを見る限り、山に向かった大百足はおそらく三体。左右の足の幅からみて、全長は人間の大人くらいと推測されます」


「つまり、先ほど話した巨大百足は含まれていないというわけですな」


 打てば響くような反応に、桃太郎は感心した。猿空はさらにこう続ける。


「となれば、桃太郎殿の読みは正しい。しかし、理由がわかりませぬ。いったい何のために二手に……?」


「おそらく、追手の存在に気付いていたのでしょう。つまり、山側はおとり。本隊は闇に乗じて東へ進んだと私は見ています」


「どうも腑に落ちませんな。いくら陰陽師といえども人間。仲間を囮にしてまで捕食対象から逃げるというのは妙な話ですぞ。それに、逃げた方角を東と断定する根拠は何も……」


 猿空はそこまで言って、何かに気付いたような顔で桃太郎を見る。


「もしや、桃太郎殿は奴らの目的をご存じか?」


 鋭い洞察力に驚きながらも、桃太郎はこう答えた。


「これは私の勘なのですが、奴らは各地にある遠世の門の封印を解こうとしているのではないかと」


「遠世の門ですと?」


「順を追って説明します。長い話ですので、先へ進みながら話しましょう」


 そう言って桃太郎は、街道を東へと走り出した。そんな彼に、猿空は遅れることなくしっかりとついてくる。やはり並の鍛え方ではない。そう思いつつ、桃太郎はこれまでの経緯を掻い摘んで話し始めた。

 やがてひと通り話を聞き終えた猿空は、しばらく足元に目を向けながら考え込むような表情を浮かべていた。そして不意に視線を上げ、こう言った。


「事情はわかり申した。鬼どもは追手を足止めしつつ、封印の解除を目論んでいるというわけですな。されど、遠世の門は各地にある。なにゆえ東と?」


「東海道沿いで真っ先に目を引く霊場といえば、東の霊峰富士。私が敵の立場なら、そこを狙う。それともうひとつ。おそらく呪物の数には限りがある。少ない数で最大の効果を得るには、対象を絞り込む必要があります」


「むう、そういうことでござるか。しかし、不可解なのは奴らの動機ですな」


「確かに、捕食行動の一環とは思えませんね。何やら、恨みや憎しみのようなものを感じます」


 すると、猿空は頭を掻きながらこう続けた。


「まあ、考えても詮無せんなきこと。何にせよ、人の世にあだなす存在であることに変わりなし。退治するのが道理でござろう」


 そう結論付けると、猿空は急に別の話題を持ちかけた。


「それにしても、その封印の中身は何でしょうな? 全てが鵺の巣というわけではありますまい。妖艶な美女でも出てくるというのなら、拙者は大歓迎ですぞ。ははは」


「もしかしたら、妖の棲む世界と繋がっているのかもしれません。泡影殿も、そのような話をされていました」


「ふむ、禁域の奥深くには神の世界へと繋がる入口があると聞く。それと似たようなものということですな」


 頷く桃太郎に、猿空はこう続けた。


「それにしても、貴殿は思慮深いお方だ。こうして話をしていると、それがよくわかりますぞ」


「はは、だといいんですけど。ある女の人からは真面目過ぎるとか堅物だとか言われました」


「それはまた、歯に衣着せぬ物言い。まあ、それだけ親密な間柄というわけですかな?」


 猿空はそう言うと、豪快に笑った。


「いや、あの人はそういう性格なんです。でも不思議と嫌な感じはしない。私の古い友人もそうなのですが、ああいうのは少し羨ましく思います」


「うむ、わかりますぞ。人の内面というのは、よほど特殊な環境でもない限り生まれついての質が大きく影響するもの。事実、拙者の育ての親は寡黙な人でござったが、育てられた子供はこの通り」


「はは、私と逆ですね」


「はて、知らぬ間に関係のない話になってしまいましたな。わはは」


 桃太郎はふと気付く。いつの間にか張り詰めていた気持ちが和らぎ、肩の力が抜けている。もし独りだったら、こうはいかなかっただろう。何事も力み過ぎては上手くいかない。彼は改めて仲間というものの大切さを実感した。

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