第十九話 神器
土蜘蛛退治から半年が過ぎ、桃李の樹海に再び春の気配が漂い始める。大穿の島には、いつもと変わらず修行に励む桃太郎と犬十郎の姿があった。
「遅いな、金爺」
「ああ。まだ寝てるんじゃねえのか?」
今日こそは師匠にひと泡吹かせようと意気込む二人の元に、金時はなかなか現れない。桃太郎たちがしびれを切らし始めた頃、ようやく姿を見せた金時の手には見慣れぬ物体が握られていた。それは鉞のような形をしていて、刃先から柄まで全て同じ赤銅色の材質で作られている。
「金爺、何だそりゃあ?」
犬十郎が問い掛けると、金時は鉞を日の光に翳しながら答えた。
「これは、わしの神器よ」
「神器?」
「わしらのような半神半人が、親である神から授かる武具のことだ。前にも言ったが、わしらは悪鬼羅刹から人の世を救うために神から遣わされた存在。神器はそれを成し遂げるための道具というわけだ」
それを聞いた桃太郎が、金時に詰め寄った。
「授かるとは、どのように?」
「無論、直接手渡されるわけではない。わしの場合は、拾われた時に乗せられていた岩の中からこれが出てきた。お前の場合、おそらくその木刀が神器だろう」
「これが?」
「その桃の木の枝は、普通の刃物では傷一つ付けられなかった。わしのこの神器を使って、ようやくその形に仕上げたのだ。そう考えるのが妥当だろうよ」
「そうだったのですか……」
「もう扱いにも慣れた頃、それが持つ本来の力を見せてやろう」
そう言って金時は手にした鉞を構え、意識を集中させた。すぐに刃の部分がほんのりと深紅色に光り始める。続けて金時がそれを一振りすると、赤い光跡と共に目の前の大岩が真っ二つに割れた。
「おお! すげえ」
「これは……、咲の付与の術に似ている」
感嘆の声を上げる犬十郎の隣で、桃太郎はそう呟く。
「慣れてくれば、こんな芸当もできる」
金時は再び鉞に気を込めると、それを鋭く薙ぎ払った。すると刃先から放たれた赤い光の筋が立ち込めた霧を切り裂き、数間先の大木を数本切り倒した。
「なっ、刃から気を飛ばした?」
驚きの声を上げる桃太郎の横で、犬十郎が歓喜の表情を浮かべる。
「こりゃあ、たまげた。おい金爺。その武器、俺によこせ」
「馬鹿を言うな。お前が持っても、同じことはできん」
「なんでだよ?」
「神器の力は、それを創造した神の血を引く者だけが使える。他人が持ったところで、気を込めることはできん。わし以外の者には、これはただの鉞に過ぎないのだ」
「ちっ、神気だの神器だのと、神族ばかりずりいよな」
「お前には自慢の爪があるではないか。わしらにはそれがない。だから武器を使うのだ」
「じゃあ、俺の爪でも同じことができるっていうのか?」
「さあな。四の五の言わず、試してみればよかろう」
「けっ、とんだ師匠がいたもんだ」
犬十郎はぶつぶつと文句を言いながら、離れた岩の前に立って気を練り始めた。
「では小童、やってみろ」
「え? あ、はい」
促され、桃太郎は木刀を構えた。神気を操る術は、既に身に付けている。今試そうとしているのは、それを少し応用したもの。今の自分にとっては、それほど難しいことではないはず。桃太郎はそう直感した。
気の流れを思い描き、呼吸を整えて意識を集中させる。だが、淡く白い光を発するのは彼の両手ばかりで、一向に木刀が光る気配はなかった。
「……あれ?」
「何をしておる? 意識を集中させ、神器に気を流し込むのだ」
「い、いえ、やっているのですが……」
桃太郎はさらに気を高める。だが両手が輝きを増すばかりで、木刀に変化はない。
「むう、これはどうしたことだ?」
金時は腕を組んで唸る。これまで多くのことを伝授してきたが、桃太郎が技の習得で彼の期待を裏切ることなど一度もなかった。
「金爺、もしやこの木刀は神器ではないのでは?」
桃太郎のもっともな問いに金時は悩む。
「わからん。しばらく様子を見るしかあるまい」
「へっ、珍しいな。お前ができねえなんて」
少し離れた場所からそう声を掛けたのは、犬十郎であった。
「そういうお前はどうなのだ? 犬っころ」
金時の問い掛けに、犬十郎は胸を張ってにんまりと笑う。
「最初の技ならできたぜ。まだ金爺ほどの威力はねえけどよ」
見れば犬十郎の前の岩に、数本の深い溝が刻まれている。
「おお! やったな、犬十郎!」
自分ができないことなど忘れてしまったかのように、桃太郎は諸手を挙げて喜んだ。そんな彼の隣で、金時はこう呟く。
「ふん。やはり犬心の子か」
「あ? そりゃどういう意味だ?」
「まあ、そろそろ教えてやってもよかろう」
金時は犬十郎を近くに呼ぶと、こう続けた。
「お前は、霊爪と呼ばれる特殊な爪を持つ一族の末裔だ。だからからこそ、今の技を使うことができた。あれは誰にでもできる代物ではない」
「はあ? 霊爪? そんな話、聞いたことねえぞ」
「特別な力があるとわかった途端、それに頼り切り、他が疎かになる。お前のそういう性格を、父親も見抜いておったのだろうよ。まあ、口止めしたのはわしだがな」
「なっ、じゃあ、昔から知ってたってことかよ?」
「そうだ。小童が現れるまでの間、お前の弟子入りを拒んだのも狙いの内。簡単に受け入れては、ありがたみがなかろう。苦労して手に入れたものは、手放し難いもの。お前が途中で修行を投げ出さんための工夫というわけよ」
「ぐっ、このくそじじい……」
「まあ、いいじゃないか、犬十郎。おかげで強くなれたと思えば」
桃太郎がなだめると、犬十郎は不満そうにしながらも引き下がった。
「……でもよ、いざやってみると何で今まで思い付かなかったんだろうと思うぜ」
自分の爪を見つめながら、犬十郎はそう呟く。
「物事には順序がある。いきなりやろうとしてもできるものではないわ」
「つまり、これまでの積み重ねがあったからこそできた、ということですか?」
桃太郎の問い掛けに、金時は頷く。
「そうだ。気というものは血肉にこそ通いやすい。まずはそれを操る術を会得するのが第一。そして爪や武器に気を伝えるのは、いうなれば熟練の技。つまり第二段階ということよ」