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夢幻の桃華  作者: 斗南
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第十四話 神隠し

 桃太郎の暮らす村からひと山越えた所に、かつて猿神による忌まわしい事件が起きた集落跡がある。亡くなった人々の遺体はそれぞれ出身の村に埋葬されたため、今では人の寄り付かない忌み地と成り果てていた。

 そういう場所には自ずと不気味な噂が立つもので、通りすがりの商人がぼんやりと漂う人魂を見たとか、野宿をした旅の僧が夜中に呻き声を聞いた、あるいは日暮れ時には廃屋の土壁が血で真っ赤に染まるといった話が、長い年月が流れた今でも真しやかに囁かれている。

 そんな折、ある村で子供が神隠しに遭うという事件が起きた。余市がそのことを知ったのは、治療のためひとりの農夫が彼の元を訪ねてきた時のことである。


「では、練習通りに」


 余市がそう声を掛けたのは、十五歳くらいの娘。名前は咲、弥助と実代の娘である。相変わらず色白ではあるが、背が伸びて体つきもしっかりとしてきた彼女に、幼い頃の病弱な印象は感じられない。


「はい、先生」


 返事と共に目を伏せると、彼女の身体からすぐに揺らぎが生じ始めた。次第に揺らぎは細かな光の粒子へと変わっていく。そして彼女が手の平を農夫の肩に当てた瞬間、立ち昇っていた淡い光は吸い込まれるように消えていった。

 農夫はその間ずっと目を瞑っていたが、肩の痛みが引いたことで治療が済んだと気付き、ぱっと目を開けた。


「はあ、こりゃたまげた。痛みが消えちまったぞ」


 嬉しそうに肩を動かす農夫を見て、咲は安堵の表情を浮かべる。そんな彼女を見守りながら、余市は思った。これほどの霊力を持つ者は、天下広しといえどもそうそう見つからないだろうと。

 彼女が六つの時、その力に気付いた余市は弥助と咲を連れてある陰陽師の元を訪れた。その家は代々霊的な性質を見抜く力を引き継いでいて、そこで咲の能力を調べてもらおうという話になったのだ。

 それによると、咲の能力は癒しと付与の二種類。特に余市を驚かせたのは、付与の術の存在であった。これは文字通り物に霊力を付与する術で、扱う術者は非常に稀である。

 娘の才能を知った弥助と実代は、都で陰陽師としての修行をさせるべきかどうか悩んだが、本人の強い希望もあって結局は余市に師事することとなった。

 治療を終えてすっかり気が楽になったのか、農夫は妙のれたお茶を飲みながら村に起きた神隠し事件のことを饒舌じょうぜつに語り始めた。


「子供が行き方知れずとなると、猿神の仕業かもしれませんね」


 そんな余一の意見に、農夫は首を横に振る。


「いや、それはねえな。白羽の矢は立ってねえし、お迎えもなかったからよ」


「今も行方がわからないのですか?」


「ああ、さっぱりだ。あちこち探したが、見つからねえのさ」


「それは心配ですね」


 すると、なぜか農夫は急に小声になった。


「ただ、ひとつ怪しい場所があってな」


「怪しい場所?」


「ほれ、例の猿神の祟りがあった場所さ。二十年前の。あの集落跡がうちの村から近くてよ。そこをねぐらにしている化物の仕業だと、みんな噂してんだ」


「見た人がいるのですか?」


「わからんが、以前にもあの辺りで人がいなくなっていてな。ま、あんたの村もそこからひと山の距離だ。気い付けろや」


「ご忠告痛み入ります」


「おっといけねえ、長話をしちまった。これ少ねえけど、ほんの礼だ」


 男は荷物の中からわずかばかりの作物を咲に手渡すと、何度も頭を下げながら帰っていった。


「お二人とも、お疲れ様でしたね」


 茶碗を片付けながら、妙が二人をねぎらう。


「妙さん! わたし、うまくできました」


 客がいる間はしとやかにしていた咲が、突然元気な声を出した。彼女が客を相手に施術を行うのは、実はこれが初めてなのだ。よほど嬉しかったのか、咲は満面の笑みを浮かべる。そんな彼女に、妙も優しく微笑み返した。


「うーむ、やはり化物の仕業だろうか……?」


 農夫の話が気になった余市は、独りそう呟く。そんな様子を見た咲が、こう尋ねた。


「猿神の他にも、子供をさらうような化物がいるのでしょうか?」


「わからないが、猿神がいなくなったことで別の化物が棲みついたとも考えられる。とりあえず、村長の耳に入れておいた方がいいだろう」


 余市は立ち上がりながら、土間にいる妙に声を掛けた。


「妙さん、ちょっとイセさんの所に行ってきます」


「あ、はーい」


「わたしも行きます」


 そう言って、咲も余市の後に続く。

 二人が外に出ると、庭先の大きな桃の木にそっと手を当ててたたずむ青年がいた。年は咲と同じくらい。均整の取れた体格に、精悍せいかんながらどこか優しげな顔立ち。ただ居るだけで周囲の目を集めてしまう、そんな男だった。


「どうした、桃太郎? 今日は早いな」


 余市の呼びかけに、桃太郎は顔を向ける。


「父上、ただいま帰りました。金爺に急用ができたとかで、早めに切り上げたのです。犬十郎も狩りに出るというので」


「そうか。では家の仕事を手伝いなさい」


「はい」


 続けて咲が声を掛ける。


「桃ちゃん、おかえり」


「ただいま、咲。何かいいことでもあったのか?」


「えっ、どうして?」


「なんだか嬉しそうだから」


「うん、実はね、さっき初めてお客さんを治したんだ」


「へえ、すごいじゃないか」


「へへ、ありがとう」


 そんな二人の様子を、余市は微笑みながら眺めていた。金時の所に通うことで、ますます村人と疎遠になってしまうのではないか。一時はそんな心配をした余市であったが、それは杞憂きゆうに過ぎなかった。

 桃太郎はむしろ積極的に周囲と接するようになり、特に咲とは良い関係を築いている。おそらくそれは、特別な力を持っていることに無関係ではないのだろう。力を持つ者同士、何か通じるものがあるに違いない。余市はそう考えていた。


「では、私は村長の所に行ってくるからな」


 歩き出す余市を、桃太郎は呼び止める。


「父上、何かあったのですか?」


「ああ、咲が事情を知っている。彼女から聞きなさい」


 そう言って余市がその場を後にすると、咲が桃太郎にこんなことを訊いた。


「ねえ、桃の木の下で何してたの?」


「別に、大したことじゃない。どうしてこの木は、花も実もつけないのかと考えていただけさ」


「ふーん。その木ってさ、禁域の桃の種を植えたんでしょ?」


「そうらしい。母上からはそう聞いた」


「見た目ではわからないけど、やっぱり普通の木とは違うのかな?」


「まあ、禁域には変わったものが多いから……」


 そう答えた後で、桃太郎は急に何か閃いたような表情を見せた。


「そうだ。これを持ってみろよ」


 彼は腰の革帯から木刀を引き抜くと、それを咲に差し出す。だが受け取ったかに見えた瞬間、木刀は勢いよく地面に落下した。


「な、何よ、これ?」


 彼女を驚かせたもの、それは木刀の重さであった。まるで鉄の塊のようなそれは、人間の女に扱える代物ではなかったのだ。


「ごめん、咲には重すぎたらしい」


「もう、危ないじゃない! 足に落としたらどうするのよ!」


「すまない、注意が足りなかった」


 怒る彼女に向かって、桃太郎は素直に頭を下げる。


「まったく。片手でひょいと差し出すから、てっきりただの木刀かと思ったわ」


「実はこれ、あの桃の木の枝でできているんだ」


 桃太郎は木刀を拾い上げながらそう話す。咲にとっては初めて聞く話であった。


「前に持っていた刀はどうしたの? あっちの方が立派だったのに」


波切なみきりなら、金爺に返したよ」


「え、どうして?」


「少し前、ここで折れた桃の枝を見つけてね。拾い上げてみたら普通の木よりずっと硬くて重い。つい珍しくて、犬十郎に見せようと持って行ったんだ。そしたら金爺が、形を整えてやるから波切はやめてこっちを使えって」


「ふーん、変なの」


「とにかくこれで、普通の木じゃないってことがわかっただろ?」


「まあ、そうだけど……。あ、普通じゃないっていえばあれもそうね」


 何の話かわからず、桃太郎は首を傾げる。


「ほら、桃ちゃんが赤ん坊の時に包まれてたっていう白い布」


「ああ、あれか。確かにそうだ。どんなに強く引っ張っても破れないし、いまだに汚れや色褪いろあせひとつない。以前、母上があれで服を作ろうとした時――」


「布をとうとしたら、小刀の刃が欠けたのよね」


 咲は「前にも聞いた」と言わんばかりに、桃太郎の言葉を遮った。


「勿体ないわね。大きな布なんでしょう?」


「うん、広げるとかなりの大きさだ」


「でも、仕方ないか。切ることも縫うこともできないんだから。他に使い道といっても、あんな神々しい布を風呂敷にするのも気が引けるし……」


「いや、まてよ。ひょっとすると、咲なら何とかできるかもしれない」


「は? わたしが?」


「そう、付与の術さ。あれを使えば、小刀や針の性能を飛躍的に高めることができる」


 思いがけない話に、咲は唖然とする。


「そんなこと、考えもしなかった……。でも、もしやれるなら、一生ものの服が作れるかもしれない。効果の短い術だけど、根気よく続ければいつかは仕上げられるはずだもの」


 まるで素晴らしい発見でもしたかのように、彼女は顔を輝かせた。


「でも、残念ながら足りないものがある」


「え?」


「糸だよ。布地だけでなく、糸も強くなければ意味がない」


「あ、そうか……。それもそうね」


 喜びも束の間。水を差すような言葉に、咲も納得するしかなかった。

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