第十三話 弟子入り
目の前では信じられないほど巨大な魚が丸太で串刺しにされ、豪快に焚き火で焼かれている。傍にはたくさんの骨が積み上げられ、煙と熱にむせ返る桃太郎たちの向かい側には、魚に刺した丸太を小枝のように扱う男の姿があった。
彼の名は坂田金時。その彫りの深い顔は紛れもなく老人だが、首から下はとてもそうは見えない。その体は分厚く強靭な筋肉に覆われていた。
「遅い。待ちくたびれたわ」
そう言い放つ金時の泳ぐ速さは驚異的であった。しかも縄で縛った巨大魚を引っ張りながらという状況。櫂が壊れる寸前まで力を込めても追いつけず、勢い余った犬十郎は途中でそれを折ってしまった。そのため三人はかなり遅れて島に上陸することとなったのだ。
「お待たせしてすみません。あの舟ではこれが精一杯で……」
余市が謝ると、金時は首を横に振った。
「そうではない。わしが言ったのは、この島で十年近く待ったという意味だ」
「えっ? それは、どういう……?」
「十年ほど前から時折同じ夢を見るようになってな。それでお主らが大穿に来ることを知った。そもそもわしがここに移り住んだのは、その夢のせいだ」
その言葉に余市はハッとした。
「もしや、天女のようなお方が出てくる夢ですか?」
「おう、それよ。なんだ、お主も同じか?」
余市は桃太郎を禁域から連れ出した経緯を彼に話した。
「ふん、桃李の神も回りくどいやり方をしおって……。まあ、それも致し方なしか」
「お爺さんは私の生みの親をご存じなのですか?」
桃太郎は金時の言葉に即座に反応する。
「こら、小童。誰が爺さんだ。金時様と呼ばんか」
「けっ、顔はどう見ても爺さんだろうが。構うことはねえ、こいつのことは金爺とでも呼んでやりゃいいのさ」
そう悪態をつくのは犬十郎であった。
「犬っころめ。なんでお前がここにいる?」
「あん? 何を寝ぼけてやがる。俺がこいつらをここに案内したんだろうが」
「そんなことはわかっとる。わしが言いたいのは、もう用は済んだということだ。とっとと帰らんか」
「へっ、そんなの俺の勝手じゃねえか」
そう言って犬十郎はその場に座り込んだ。
「金爺、私の質問に答えてください」
犬十郎と同じ呼び方をする桃太郎に、金時は少し不満げな顔を向ける。
「ふん、桃李の神のことか? そんなものは知らん」
「では、なぜ夢に出てきた人をそう呼ぶのです?」
桃太郎は釈然としない様子でそう尋ねた。
「あの女が自分で名乗った。ただそれだけのことよ」
「ああ、なんだ。そうでしたか……」
「おい、小童。気持ちはわかるが、それに関しては期待するな。わしらのような半神半人が生みの親である神に会えた例はない」
「でも、金爺は幼い頃に熊神と共に過ごしたと聞いています」
「それは違う。人間が熊神と呼ぶ生き物は神族ではなく、年経た熊の変化に過ぎん。それを稽古相手にしていただけのこと。わしもお前と同じように、人の世で育ったのだ」
桃太郎は肩を落とす。すると、隣で見ていた犬十郎がこう言った。
「なあ、親は一人じゃねえだろ。半神半人だっていうなら、人の親もいるはずだ」
当然ともいえる犬十郎の指摘に、金時はふうと息を吐きながら答える。
「そんなことわかっておるわ。それを言わせる気か?」
「あ? どういう意味だ?」
「わからんのか? 神の子を宿す、あるいは授けるというのは、人にとっては並大抵のことではない。それは命を差し出すのと同義」
「なっ、じゃあ……、子を残すために死ななきゃいけねえのかよ?」
答える者はなかった。俯く桃太郎の横で、なぜか犬十郎までもが苦虫を噛み潰したような顔で沈み込む。それが彼の亡き母親に関係しているとは、桃太郎たちは知る由もなかった。
重苦しくなった場の雰囲気を変えようと、余市が遠慮がちに口を開く。
「あの……、さっき仰っていた〝回りくどい〟とか〝致し方なし〟というのは、どういう意味でしょう?」
「むう、次から次へと。お主らは本当に知りたがりだな」
「す、すみません」
「まあいい。〝回りくどい〟と言ったのは、最初から全部わしに任せればよかったという意味だ。一度は人間族に託しておきながら、成長後にわしの元に連れて来させるというのは手間のかかる話だと思わんか?」
「それは、確かにその通りですね」
腕を組んで考え込む余市に、金時はこう続ける。
「そして〝致し方なし〟とは、この小童にとってその回りくどいやり方が必要という意味だ」
「必要とは?」
「つまりな、こやつは人の世で生き、それがいかなるものかを知る必要があったのだ」
金時の言わんとすることが掴めず、余市は頭を悩ませる。
「それはこの子が背負う宿命に、人が深く関わっているということでしょうか?」
「察しがいいと言いたいところだが、人に限った話ではない。数多の儚くも尊い命が懸命に生きる世界。その理を知ると言った方が正しかろうよ」
すると桃太郎が口を挟んだ。
「金爺、私にもわかるように話してください」
金時は火にくべた魚を軽く回転させると、こう続けた。
「順に話すとだな、まずわしらのような存在は生まれつき強い力を持っている。それは重い宿命を背負うがゆえのこと。そして宿命とは、押しなべて悪鬼羅刹から人の世を救うといった類のものだ」
「それは私も薄々感じております」
真っ直ぐな目で答える桃太郎に、金時は話を続ける。
「一方で神族というのは元来、人の世に無頓着な生き物。半神半人を送り出すという義務は果たすものの、自らは直接関わろうとしない。最初からそんな中で育っては、他の生き物のことはなかなか理解できん。この世に生きる多くの命の生き様を知り、その心の機微に触れることで初めてそれらをかけがえのないものと感じることができる。それでようやく己の宿命と向き合うことができるのだ」
それを聞いた余市が呟く。
「なるほど。自身も含め何かを守りたいと願う心がなければ、例え相手が化物であってもむやみに命を奪うべきではない。心もなく闇雲に命を奪えば、それはただの殺戮に過ぎないということか……」
そんな二人の言葉を噛み締めるかのようにじっと火を見つめる桃太郎の目の前で、いつの間にか巨大魚が美味しそうな匂いを漂わせていた。
「おう、そろそろ頃合いか」
そう言って金時は、こんがりといい具合に焼き色のついた魚にかぶりつく。それを見ていた犬十郎が、堪らず生唾を飲み込んだ。
「おい金爺、俺にもよこせ」
「ふざけるな。食いたきゃ自分で獲って来い」
「そんなでかい魚、ひとりで食うつもりか?」
「当然だ」
犬十郎は大きなため息をつく。
「まったく、そんなに食うから馬鹿でかくなるんだよ」
「ふん、やかましい。お前もしっかり食わんと強くなれんぞ」
舌打ちをしてそっぽを向く犬十郎を気にもせず、金時は再び巨大な焼き魚にかぶりつく。すると余市がこんなことを言った。
「ええと、実は、もうひとつ訊きたいことがありまして……」
「やれやれ、落ち着いて食事もできんわ」
金時は肉と一緒に小骨を噛み砕きながら、余市に続けるよう促す。
「金時殿は三百歳を超えておられますが、半神半人というのはそれほどまでに長生きなのでしょうか? 桃太郎の成長具合を見ていると、そうは思えないのですが……」
「ああ、なんだ、そのことか。この小童の寿命は人間と変わりない。わしのように長くは生きぬだろうよ」
「それは、なぜでしょうか?」
「わしが長く生きている理由は、若い頃に魚人族に伝わる長寿の肉を食ったからよ」
「長寿の肉? ひょっとして、不老不死をもたらすといわれる人魚の肉ですか?」
「ああ、そんな呼び方もあったか。不老不死は言い過ぎだがな。しかしまあ若気の至りとはいえ、今思えばなんであんなもの食ったのかと思うわい」
「けっ、食い意地を張ってるからに決まってらぁ」
そう話す犬十郎に向かって、金時は口から骨の欠片をぷっと吹き出す。
「なるほど、おかげで謎が解けました。ありがとうございます」
礼を述べる余市に軽く手を上げながら、金時は再び魚を頬張る。そして豪快な咀嚼音を立てながら、桃太郎にこう話した。
「まあ、そんなわけで小童。明日からここに通え。お告げに従い、わしが鍛えてやる」
桃太郎の表情がぐっと引き締まる。
「はい、よろしくお願いします」
揃って頭を下げる桃太郎と余市の隣で、犬十郎が不満の声を上げた。
「待てよ、金爺。ひでえじゃねえか」
「何だ、犬っころ?」
「俺が何度頼んでも弟子入りさせてくれなかったくせに、なんでこいつだけ特別扱いなんだよ?」
「うるさい奴め。では、お前も来ればよかろう」
「えっ? いいのか?」
「まあ、筋は悪くなさそうだからな。ただし、音を上げるようならそこで仕舞いだ。心して来い」
跳び上がって喜ぶ犬十郎を見て、桃太郎も嬉しそうに笑う。目を輝かせる二人を見ながら、金時は一瞬だけ懐かしそうに目を細めた。
「わしにもかつて、切磋琢磨し合う仲間がいた。小童にもそういう存在が必要だろうよ」




