4年前に消えた、初恋のあの人。
軽いホラー要素のある恋愛話です。
扉がゆっくりと開いていく。
その奥の薄暗い空間から、女の声が響いてくる。
――魔道具の三日月堂へようこそ。私は店主のクロエです。
当店は絶大な力を持った魔道具を数多く取り揃えています。
あらゆる奇跡を起こすことから、私のことを『三日月の魔女』クロエ・アナと呼ぶ方もいらっしゃるそうで。
例えばどんな商品があるのかって?
それでは、こちらの魔道具をご覧ください。
……出会いがあれば、必ず別れもある。
人と人とは、そういうもの。
時には望まぬ形の悲しい別れもあるものです。
ですが、そんな風に別れた相手と、また必ず、何度でも会えるようになる魔法の道具があったとしたら、あなたならどうしますか?
参考までに、あるエピソードをご紹介しましょう……。
**********
親指で弾かれて高く上がったコインは、クルクル回転して少女の手の中に収まった。
「ぎゃー! ど、どど、どうしよう! もしこれでまた裏だったら、もうダニエルには会えないのよね!?」
両手を重ねて騒ぐ少女を前に、クロエは頬杖をついて「まあ、そうですが」と苦笑いする。
「そ、それじゃ困るのよ! 私はどうしてもダニエルに会いたいんだから!」
「ならば、それが表であることを祈るしかありませんね」
「う~……、オモテ、オモテ、オモテ……!」
ぎゅっと閉じた目をうっすらと開けて「でもこれが表だったとして、私ホントにダニエルに会えるのかしら……?」と疑念を漏らす少女に、クロエは淡々と説明する。
「ええ。先ほどもお話した通り、そのコインは3回に1回表が出れば、どんな人でも必ず会いに来てくれるという魔道具です」
「そ、そうよね……3回に1回でいいんだもの。これまで2回連続で裏だったけど、今回はきっと表よね……」
「3回連続で裏だと、一生会えなくなりますけどね」
「ぎゃー! 今はそういうこと言わないでッ!」
いつまでも手を閉じたまま中身を見ない少女に、クロエは辟易した様子でため息をつく。
「さっさと見ればいいじゃないですか。もう結果は出ているんですから」
「わかってる……わかってるわよ……!」
少女はゆっくりと手を開いて、薄目でその中を覗き込む。
「あッ!」
少女は大きな声を上げて目を見開くと、満面の笑みでクロエにコインを見せる。
手の甲に乗ったコインは、表を上にしている。
「やったわッ! 表よ! これでダニエルが会いに来てくれるのよね!?」
クロエは「ええ、そうです」と言って薄く笑う。
「ただし、そのコインで呼び出された人は、明日から必ず毎日あなたに会いに来ます。呼び出された人が別れを望まない限り必ず毎日。もしあなたが会いたくなくなった場合は、3回連続で裏を出すしかありません」
それを聞いて少女は、手を振りながらカラカラと笑う。
「もう、何言ってるのよ。私がダニエルと会いたくなくなるわけないじゃない」
**********
三日月堂を出て家に帰った少女を待っていたのは、しかめっ面で腕組みをする父だった。
「こらエイミー。こんな遅くまで一体どこに行っていたんだ」
エイミーと呼ばれた少女は、父の叱責を聞き流しながらスタスタとエントランスホールを歩いていく。
「別にいいでしょ。過保護すぎるのよ、お父さんは」
「む。お父さんではなくお父様と呼べといつも言っているだろう」
「何言ってるのよ。貴族のご令嬢じゃあるまいし。私みたいなただの商人の娘が『お父様』なんて言ってたらみんなに笑われちゃうわよ」
「ただの商人ではない。我がアダムソン商会は王国でも指折りの大商会だ。それに、お前はいつでも貴族になれる準備をしておかねばならん。今日もお見合い候補者があんなに」
父がそう言って指差した先には、大量の資料を抱える使用人。
エイミーはそれを見てから強い視線を父にぶつける。
「お見合いなんかしないって言ってるでしょ!」
「そういうわけにはいかん。お前ももう16歳。そろそろ結婚相手を探し始めねば」
「だから、私はダニエルと結婚するって子供の頃から言ってるじゃない!」
頬を膨らます娘を前に、父は額に手を当ててため息をつく。
「まったく、いつまでそんなことを言っておるのだ……。ダニエル君はご家族ごと4年前のある日突然いなくなったきり行方知れずではないか。お前の気持ちもわかるが、会えもしないダニエル君のことは忘れて、そろそろ将来に向けてだな……」
父の小言を遮るように、エイミーは「ふふふ」と笑いかける。
「それが明日、会えるのよ」
**********
エイミーの家が営むアダムソン商会は、マヨネーズの製造・卸を中核事業としている。
かつて祖父が開発した調味料は、瞬く間に市場を席巻し、今や人々の暮らしに不可欠なものになった。
――私も、おじいちゃんみたいに前世の知識で何か事業を立ち上げるんだから。貴族の奥方なんかになってる場合じゃないのよ。
エイミーは異世界からの転生者だった。
誰かに伝えようとすると猛烈に頭が痛くなるため、まだ誰にも伝えていない。
おそらく祖父もそうなのだろうとエイミーは思っている。
そうして家業を手伝うエイミーはお使いの帰り道、ぼんやりと考えた。
(ダニエルに会えるといっても、どこで会えるのかしら?)
エイミーはその日、いくつかの取引先に請求書や新商品のカタログを届けて回ったが、そのどこにもダニエルの姿は見つからなかった。
(こんなところに、いるはずはないわよね……)
そう思いながらも、エイミーの足は自然とその方向に向かっていた。
子供の頃、ダニエルとよく一緒に遊んだ廃工場。
事業拡大とともに手狭になり使われなくなった工場だが、創業地であるこの工場をいずれ記念館に改築したいという祖父の意向と記念館の維持費を抱えたくない父の意向が衝突した結果、十数年前から廃工場のまま、アダムソン商会の持ち物件として残されている。
おそらく祖父が存命のうちは手つかずのままとなるだろうが、エイミーにとってはそれが一番理想の状態だった。
(記念館になっても取り壊されても、私とダニエルの思い出の場所じゃなくなっちゃう)
エイミーは錠が閉められている廃工場の正門の前を通り過ぎてから、人目がないことを確認する。
「よっ、と……」
スカートをまくり上げたエイミーは、廃工場を取り囲む塀に寄り添うように生えている木をスルスルと登り、塀の向こう側へと飛び降りる。
「久しぶりに来たけど、全然変わってないわね……」
廃工場の搬入口の脇にある事務室の窓を開け、エイミーは窓枠を乗り越えて中に入る。
室内にある机にエイミーが乗ると、ミシミシと今にも壊れそうに軋み始める。
「うわっ……」
エイミーが机から飛び降りると、床から埃が舞い上がる。
(私、もしかして太ったのかな……。いやいや、4年ぶりだもの。12歳から16歳。つくべきところについただけよね)
自分の胸や尻の弾力を手で確認してエイミーは事務室のドアを開ける。
ギイッと蝶番が音を立てる。
その向こうに広がるのは天井の高い作業場。
等間隔に並ぶ様々な機械が、窓から差し込む夕日を浴びてオレンジ色に染まっている。
動力源である魔石を取り除かれて何年も放置されたままの機械はどれも、巨大な昆虫の抜け殻のように見える。
その隙間を歩いてエイミーはいつもの場所に向かう。
かつてダニエルと隣り合わせで座って、何時間もおしゃべりしていた大きな作業台。
(そういえば、ダニエルがいなくなる少し前、私たちってここで……)
エイミーは作業台に積もった埃を払って座る。
「キス、したのよね……」
エイミーは独り言をつぶやいてから赤くなった頬に両手を当てて「キャー!」と叫ぶ。
すると、物陰で何かが崩れる音が響く。
「え、何、ネズミ?」
驚いてエイミーが立ち上がると、物陰の向こうから「いてててて……」と腰を抑えながら背の低い少年が現れる。
「急に大きな声出すなよ、エイミー」
少年の顔を見てエイミーは目を丸くする。
「ダニエル……! どうしてここに……!」
ダニエルは照れくさそうに頭の後ろをかいて笑う。
「待ってたんだよ。なんとなく、君ならここに来る気がしてさ……」
**********
廃工場からの帰り道、エイミーはダニエルとの会話を思い出してニヤけていた。
「ダニエル、今までどうしてたの?」
「ん、ちょっとね……」
「ちょっとって何よ、心配してたんだから」
「悪い悪い、それよりエイミー、けっこう変わったよな」
「え、どこが?」
「いや、どこって言うか……」
「も、もしかして太ったってこと!?」
「ち、違うよ! そんなんじゃなくて」
「じゃあ何よ」
「えっと、その、大人っぽく、なったっていうか……」
「ホント!? ふふふ、まあね。もう16歳だもん」
「そっか、そうだよな……」
「でもダニエルは、身長あんまり伸びなかったのね」
「う、うるさいなあ」
「あはは、まあこれからよ、これから。まだ16歳だもん」
「あ、ああ。そうだよな……」
「そうよ。きっとすぐ、私より大きくなるわ」
「だといいけど……」
他愛もない会話。
交わした言葉そのものに、たいした意味はない。
ただ、そんな時間をダニエルと4年ぶりに過ごせたということに意味があった。
夕日が落ちて廃工場の中が暗くなり始めると、2人で事務室から外へ出た。
廃工場の塀を乗り越える前にダニエルは言った。
「明日もまた、ここで待ってるから」
エイミーはその言葉を心の中で反芻して、ウキウキしながら自宅の玄関ドアを開ける。
「こらエイミー。またお前はこんな遅くまで……」
父の叱責も耳に入らず、エイミーはエントランスホールをスキップで通り過ぎていった。
**********
エイミーはそれから毎日、お使いの帰りに夕暮れの廃工場でダニエルと会った。
幼い頃のように鬼ごっこやかくれんぼをするわけではなく、ただ座って会話をするだけだったが、エイミーにとってそれは何よりも楽しく幸せな時間だった。
しかし、懸念もあった。
ダニエルを父に会わせても、父はダニエルとの結婚を認めないのではないか。
父はエイミーを貴族の家に嫁がせたがっている。
商会の利益になるという狙いもあるだろうが、それ以上に父として『大切な一人娘をちゃんとした相手に預けたい』と思っているはずだとエイミーは考えている。
ダニエル・ジョーンズは、丘の上で養鶏場を営む農場主の長男だったが、身分そのものは大きな問題ではない。
ダニエルを含むジョーンズ家が、4年前のある日突然、みんなそろって姿を消してしまったということが問題だった。
アダムソン商会は、ジョーンズ家から鶏卵を仕入れていた。
ジョーンズ家が失踪したことでアダムソン商会は当時それなりの損害を被ったはずだし、何よりそれによってダニエルが理由も告げず突然いなくなるような無責任な家の息子と父に認識されてしまったであろうことが、一番の問題だった。
そして、エイミーが失踪の理由を聞いても、ダニエルは答えなかった。
「あの時どうしていなくなったの?」
「あれから4年間、どこに行っていたの?」
「今日は、どこから来たの?」
そうしたことをエイミーが聞いても、ダニエルは「いやあ」とか「そんなことより」と、はぐらかすばかりだった。
このままではダニエルを父に紹介できない。
どうにか、ダニエルから失踪の理由を聞き出さなくては。
エイミーはダニエルとの逢瀬を重ねるたびに、その想いを強くしていった。
**********
エイミーは、ひょんなことからダニエル失踪の理由を知ることになった。
お使いが終わり、廃工場に向かって夕暮れの街を足早に歩いている時、背後から「おや、エイミーちゃん」と声をかけられたのだ。
エイミーが振り向くと、そこにいたのは定期的に祖父の診察に来る医者だった。
「ずいぶん嬉しそうに、どこに行くんだい?」
その医者のことは、エイミーも子供の頃からよく知っていた。
穏やかに笑う医者に、エイミーは思い切って打ち明けることにした。
「あのね、お医者様。実は私、ダニエルに会いに行くの」
医者は目を丸くする。
「ダニエル君って、あの、ジョーンズ家のダニエル君かい……?」
エイミーは小さくうなずく。
「ほう、そうかそうか。ダニエル君も元気になったのか」
笑顔を見せる医者に、エイミーは訝しげな表情を見せる。
「どういうこと? もしかして、ダニエルが引っ越した理由を知っているの?」
医者は「いや、それは、その」と額に汗をかいてうろたえる。
エイミーは「教えて! 4年前どうしてダニエルは引っ越したの!?」と詰め寄る。
医者は「むう……」と少し考え込んでから「まあ、いいだろう」と話し始めた。
「彼らが引っ越したのは、ダニエル君の療養のためだよ」
「療養……?」
「ああ。当時、ダニエル君はランセル病に罹っていてね。そう、4年前は不治の病とされていた病気だ。2年前に特効薬が発見されて世間の見方もずいぶん変わったが、当時は呪いの病などと呼ばれて、偏見も酷かっただろう。ランセル病患者と付き合いがある者にまで石が投げられたほどだ。本当は人から人に感染する病気ではなかったのにな。それで、ジョーンズ家は君たちアダムソン家に迷惑をかけまいと、理由も告げずこの地を去ることにしたのだそうだよ」
エイミーはその話を聞いて、目に涙を浮かべる。
「じゃあ、ダニエルは私たちを守るために……」
医者は深くうなずく。
「そういうことだな」
エイミーは「お医者様、ありがとう!」と言うと同時に、廃工場に向かって走り出した。
**********
それからエイミーはダニエルを自宅へ連れ帰り、ダニエルを両親に紹介した。
「その節は君たちジョーンズ家の英断に助けられた。本当にありがとう」
夕食の席でエイミーの父はそう言ってダニエルに頭を下げた。
ダニエルは「とんでもございません」と恐縮したが、父は感謝の言葉を述べ続けた。
「もし4年前、当商会が仕入れている鶏卵がランセル病患者のいる養鶏場のものだと世間に知られていたら、大変な騒ぎになっていただろう。当商会の経営も大きく傾いていたかもしれない。そんな事態を避けられたのも、君たちが誰にも事情を告げずにこの地を離れてくれたおかげだ。この恩に報いることができるなら、私はどんな協力も惜しまないよ」
それを聞いて、エイミーは食卓に身を乗り出す。
「だったらお父さん、私とダニエルの結婚を認めてくれる?」
父は「やれやれ」と、呆れたような笑顔をエイミーに見せる。
「お前ならそう言うと思ったよ……。もちろん私は構わないが、ダニエル君の気持ちはどうなんだね?」
エイミーがダニエルを見ると、ダニエルはじっとうつむいている。
「ねえ、ダニエル」
エイミーがダニエルに話しかけたが、その続きを言う前にダニエルは顔を上げ、毅然とした口調で言う。
「大変ありがたいお話なのですが、僕はエイミーさんと結婚することはできません」
エイミーは目を丸くする。
「ちょっとダニエル、どういうこと!?」
「ごめんよ、エイミー。確かに僕は子供の頃、君に『いつか結婚しよう』と言ったことがある。でも今の僕は、君を幸せにしてあげることはできない。君にはもっといい人が現れるはずだ。僕のことは忘れて、どうか幸せになって欲しい」
ダニエルはそれだけ言うと、食卓の席を立ってホールの出口へと歩いていった。
「待って! ダニエル!」
エイミーが後を追おうと席を立つが、父が鋭く「座りなさい」と言いつけた。
温厚な父が普段見せない厳しい口調に、エイミーはその場を動くことができなくなった。
「いいかい、エイミー。あれがダニエル君の覚悟だ。彼は本当の意味でお前の幸せを願っているということだよ。大商会の一人娘であるお前には、農家の息子である自分よりもふさわしい相手がいるはずだと彼はわきまえているのだ。エイミー、お前は彼の覚悟に敬意を払わねばならん」
「でも……!」
「もう夜も遅い。ダニエル君を追うことは絶対に許さんぞ」
エイミーはシュンとして再び席に座る。
(……でも、ダニエルとは明日、話せばいいわ。三日月堂で買った魔法のコインの効力で、明日も必ず会えるんだから)
**********
翌日のお使いが終わり、エイミーは憤慨しながら廃工場へと向かった。
(ダニエルの薄情者! 何が『君にはもっといい人が現れるはず』よ!)
フスーッと鼻息荒く歩みを進めるエイミーに、背後から駆けてくる足音が聞こえてきた。
振り返ると、昨日も会った医者が息を切らして近づいてきていた。
「よかった、エイミーちゃん。無事だったのだね……」
「……どういうこと?」
「いいかい、どうか落ち着いて聞いて欲しいんだ」
エイミーは怪訝な顔をして首をかしげる。
医者は息を整え、汗を拭いてから話し始める。
「君が会っているのは、ダニエル君じゃない」
「……えっ!?」
「ダニエル君であるはずがないんだ。昨日、あれからワシも気になって調べたんだがね。ダニエル君は、3年前、引っ越した先の山村で亡くなっている。ご両親も一人息子の死を苦にしたのかすぐに後を追って亡くなっている。はっきり死亡記録が残されていたんだ。ダニエル君は特効薬が間に合わず、死んでしまっているんだよ。今から3年も前に」
エイミーは「そんな、ウソよ……」と後ずさりしてから、一気に駆け出す。
医者がその背中に声をかけるが、エイミーは振り向かない。
「エイミーちゃん! もう、ダニエル君に会ってはいけないよ!」
**********
(あれがダニエルじゃない!? そんなわけないじゃない! あれはどこからどう見たってダニエルよ!)
エイミーは廃工場の事務室の窓を荒々しく開けると、いつものように窓枠を乗り越えて中に入る。
室内にある机に飛び乗ると、バキッと音を立てて机が壊れてしまった。
「わっ!」
エイミーは尻もちをつき、大量の埃が宙を舞う。
咳き込みながらエイミーは立ち上がる。
「ぺっぺっ! 何なのよ、もう……ッ!」
エイミーは不満を口にしながら事務室のドアを開ける。
ダニエルはきっと今日もこのだだっ広い作業場にいるはずだ。
(ダニエルが3年前に死んでいた? じゃあ私が毎日会ってるダニエルはオバケだっていうわけ? そんなわけないでしょ。昨日はゴハンだって一緒に食べたんだから。オバケだったらゴハンなんか食べない……はずよね?)
夕日が差し込む作業場を歩いていくと、いつもの大きな作業台にダニエルが腰掛けていた。
近づいてくるエイミーに気付き、ダニエルは「やあ」と気の抜けた挨拶をする。
「やあじゃないわよ! どういうことなのよ、ダニエル!」
「どうって、昨日言った通りだよ」
「言った通り!? 『君にはもっといい人が現れるはず』ってこと!?」
「ああ、そうさ……」
エイミーはパシッ!と、ダニエルの頬を平手打ちする。
あっけにとられた表情でダニエルはエイミーを見る。
エイミーの頬を一筋の涙が伝う。
「私に、アンタよりいい人なんか現れるわけないでしょ!」
「…………」
「私はアンタのことが好きなんだから、アンタよりいい人なんかいないんだから!」
「……でも、僕は君を幸せにしてあげられない」
「できるわよ! 一緒にいるだけで幸せなんだから!」
ダニエルは、うつむいたまま弱々しく首をふる。
エイミーが食ってかかろうとするが、ダニエルは「違うんだ」と言って顔を上げる。
「僕は、もう、君と一緒にいてあげることもできないんだ」
「どういうこと……?」
「時間なんだよ。僕がここにいられる時間も、もうすぐ終わるんだ」
そう言うと、ダニエルの顔半分がどろりと崩れ始める。
エイミーは「ひッ」と声を出して後ずさりする。
「僕は、ずいぶん前にもう死んでいるんだ。こっちの世界の人間じゃないんだよ。君が、何か不思議な力で僕を呼び出してくれたんだろ? でも、それももう限界なんだ」
「限界って、限界って何よ……」
「ルールなんだ。この世とあの世のルール。僕は、いつまでもここにいることはできない。でも、エイミー。最後にまた君に会えて、僕は嬉しかったよ……」
ダニエルの体が、泥人形のように少しずつ溶けて崩れていく。
エイミーは「待って! ダメよ!」と、スカートのポケットの中を探る。
「これで! このコインで、あなたと何度でも会えるのよ! 3回に1回、表が出れば! また何度でも会えるのッ!」
ダニエルは微笑みながらも首をふる。
左肩が溶けて腕はズルリと床に落ち、塵になって消えてしまった。
エイミーは「見てて、ダニエル!」と叫んでコインを指で弾く。
高く上がって回転するコインが、夕日を反射してキラキラと輝く。
パシッ!
エイミーがキャッチしたコインは、裏。
「まだ! まだ1回目よ!」
「いいんだ、いいんだよ、エイミー……」
「よくないわよッ! 何も!」
エイミーはもう一度コインを指で弾く。
キャッチして手の中を見ると、コインは再び裏。
「どうしてッ! どうして表が出ないのよッ!」
エイミーは焦りながら、もう一度コインを弾く体勢に入る。
エイミーのその手をダニエルが残った右手で抑えつける。
その拍子に、エイミーの手からコインが落ちる。
金属音を響かせて、コインは床を跳ねて転がっていく。
「どうして邪魔をするのッ!?」
「エイミー、思い出は何のためにあると思う……?」
「え……?」
エイミーはきょとんとしてダニエルの目を見つめる。
ダニエルの顔は、半分溶けて崩れてしまっているが、穏やかで清々しい笑顔を見せている。
「思い出はきっと、旅立つ者のためにあるんだ。未来への果てしない旅。人生の旅路の途中、孤独や困難に襲われる時が誰にだってある。そんな時に心を癒やして、前に進む勇気を与えてくれるのが思い出なんだ」
「ダニエル……」
「僕は、君と素晴らしい思い出を作ることができた。おかげで安心して旅立つことができるよ。だからエイミー、どうか君も未来に向かって、素敵な旅を……」
そして、ダニエルはエイミーにそっとキスをした。
エイミーの唇に触れた途端、ダニエルは細かい塵になって夕日の中に消えていった。
床に落ちたコインはエイミーの足元で、裏面を上にして輝いていた。
**********
クロエ・アナが、薄暗い店内で佇んでいる。
――今回ご紹介した魔道具は、いかがでしたでしょうか。
出会いの裏には、別れがある。
別れは悲しいものですが、人を少し成長もさせてくれる。
何事もコインのように、表裏一体ということですね。
でも、コインで呼び出した人が決して帰ろうとしなかったら?
あなたに嫌われてしまってもずっとあなたの側に居座り、いつまでも離れようとしなかったら?
帰らせるため3回裏を出す前にコインを奪われてしまったら?
もしかしたら、別れは救いでもあるのかもしれませんね……。
当店では、他にも様々な魔道具をご用意しています。
ですが、あいにく本日はそろそろ閉店のお時間。この他の商品のご紹介は、もし次の機会があればということで。
それでは、またのご来店を心よりお待ちしています……。
読んで頂きありがとうございます。
ジャンルをまたいで、いくつか短編を投稿しています。
タイトルの上にある「魔道具の三日月堂シリーズ」をクリックすれば他の作品を見ることができます。
皆様がどんな作品を好きなのか教えて頂きたいので、もしお気に召しましたら下の★から評価や感想を頂ければ幸いです。