つなぎとめるもの
カズオ・イシグロが書いた小説に、『わたしを離さないで』という作品があったなぁと、私は考えていた。社会から見放された存在の物語だ。
何かの例え話を脈絡なく、また私は思い出し、考えていた。こんな話だ。『この世界の、社会の何処かに、隔離された赤ん坊がいると想像してください。赤ん坊は独りきりです』。
そして話は、こう続く。『誰からも存在すら知られていない赤ん坊がいて、その赤ん坊が死ぬとしても、社会や世界は関心を持ちません。皆に取っては、存在しないも同然だからです。つまり我々は、人権や生命を無視された時に、この赤ん坊と同様に死んでいくのです』。
こんな内容だった気がする。何処で読んだのかも思い出せないような話だし、記憶違いかもしれない。それでも妙に納得させられたものだ。
私という女性一人が死んだところで、何も問題はないだろう。社会も世界も変わらず動いていくはずだ。私の恋人である彼女を除けば。
私といても幸せになれるかは分からないのに、決して彼女は私から離れようとせず、私を離そうともしなかった。今も私は、魂の奥深い部分を彼女に掴まれている。あるいは私が、彼女へ縋っているのか。暗闇の中で、互いの手を握り合っている感触があって、そのお陰で私は闇の中へ引き込まれずに済んでいた。
『絶対に、離さないで』
彼女の想いが、掌から声のように伝わってくる。少しずつ意識が、はっきりしてきた。脈絡のない思考の中で眠るのは、そろそろ終わりだと自分の身体が教えてくれる。目を開けた時に見える世界は、白黒で味気ないものかもしれない。でも彼女が彩りを与えてくれるなら、きっと世界の風景は変わる。
目を開ける。病室の天井が最初に見える。面白味のない景色で、でも私は目覚めることができたんだなぁと実感した。そして見なくとも、ベッドで寝ている私の手を握っているのが誰なのかは分かる。
「お帰り」
涙声で恋人が言う。「ただいま」と私も涙声で返した。