その決闘(デュエル)の行方 Ⅶ
ルカスの視界から、オッタの背中が少しずつ遠のいて行く。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯クソッ!」
ルカスは悔しさを露わにすると前傾姿勢をさらに深く取り、地面を強く蹴って行った。
初めて体感する兎人のスピードは、今まで見た事も、感じた事も無い。その速さを目の当たりにしたルカサは、折れそうになる心を、何度も自身で鼓舞して行った。
(何があっても必死で逃げるか、追え)
そうグリアムに言われた時は、舐めるなと思った。だが、兎人のスピードを目の当たりにするとその言葉の意味をイヤでも理解する。
今のルカスの背中を押すのは悔しい想いだけ。その想いに心臓は激しいポンプを繰り返し、地面を蹴る足に血を送り続ける。
近づく15階への回廊。少しずつ遠のくオッタの背中。
今は必死に追う事しか出来ない。酸素の薄くなる頭では、考える事すらままならず、思考はひたすら単純になっていく。
オッタが唐突に左を指差し、右へと折れる。
どう言う事だ? 遠回りして余裕でも見せようってのか、なめんなよ。
オッタの不審な動きに、ルカスの疑心の眼差しをオッタの指差した左へと向ける。
順路は左。
だが、目に映った光景に右へと曲がったオッタの真意はすぐに分かった。
罠⋯⋯。
ルカスもオッタに倣い、右へと折れる。酸素の薄くなった頭では、オッタの行動まで理解は出来なかった。
嵌めちまえばいいものを、何でわざわざ敵に塩を送る?
ルカスは、オッタの行動に真っ直ぐ勝負をする気概を感じた。そのオッタの姿勢に、ルカスのテンションは上がっていく。
「ハハ⋯⋯いいね。ガチ勝負だ」
苦しいながらも、ルカスは口元から笑みが零れた。地面を蹴り続ける足に、再び力がみなぎる。その後ろをテールがゆったりと大きなストライドで、ルカスの後を追っていた。
■□■□
坑道を覆う炎の渦は、全てを飲み込もうと迫る。エルンスト、ボリス、イル、そしてロージーの体は硬直を見せ、立ちすくんでいた。サーラもその炎の勢いに目を見張り、炎の嵐に見入ってしまう。
「⋯⋯【氷壁】」
目の前に迫る炎の嵐にも、ヴィヴィは微動だにしなかった。静かに詠うヴィヴィの詠唱は渦を巻き、唸りを上げる業火の音に掻き消される。
「サーラ!!」
グリアムもまた炎に目もくれず、眼前のドワーフのこめかみへとナイフの柄を打ち付ける。
グリアムの声に我へと返ったサーラの目に前には、硬直を見せているロージーの姿。サーラは反射的にロージーへと跳ね、後頭部目掛け鉄靴を振り抜いた。
ジュウっと、炎の嵐は、氷の壁に呆気なく吸い込まれていく。瞬く間に業火は消失し、いままでの熱が嘘のように、坑道にはひんやりと冷たい空気が流れ始めた。
グリアムに吹き飛ばされたイルが、壁に激しくぶつかりそのまま倒れ込む。無防備な後頭部に痛打を浴びたロージーは、白目を剥き、膝から崩れ落ちた。
「⋯⋯んな、バカな⋯⋯」
パラパラと崩れ落ちる氷の壁の先で、魔力切れを起こしたエルフが、茫然と地面に膝を付いている。ただでさえ蒼い顔はさらに蒼くなり、この現状を受け入れられないでいた。そして、エルンストも地面に転がる仲間の姿が信じられないのか、何度も辺りを見渡し、倒れている仲間の姿を確認する。
「ク、クレール! てめぇのせいだぞ! てめぇが余計な事するから⋯⋯」
「ダッサいねぇ~」
「だな」
エルンストは勝ち誇るヴィヴィとグリアムを睨む事さえままならない。
「頭がバカだと、パーティーは苦労するんだよな。ま、パーティーもバカばっかりだったけど」
ナイフをしまい余裕を見せるグリアムに、エルンストは返す言葉が見つからない。何が起こったのか、頭の中で整理が付かず、ただ茫然と立っていた。
「サーラ、飲んでおけ」
グリアムが腰のポーチから回復薬を取り出し、サーラに投げ渡す。
「師匠⋯⋯すいません」
サーラはしっかりと受け取り、一気に飲み干した。ジンジンとした痛みに膜が張り、痛みは和らいだものの、薬が苦いせいなのか、サーラはひとりすっきりとしない表情を見せていた。
「ハハ⋯⋯そうだ⋯⋯そうだぜ⋯⋯て、てめぇら! タダで済むと思うなよ! この勝負に勝てばいいんだ! そうなりゃあ、てめえらはオレ達がこき使えんだよな。ハハ、この勝負、勝ちはオレ達だ! 兎が負ける訳ねえんだ」
エルンストの空笑いが虚しく鳴り響く。勝負の行方を自分に言い聞かせるかのように吐き出し、グリアム達を睨んだ。
「おまえ、本当に四流だな。よくもまぁ、紋章掲げられたもんだ。しかし、こんなクズを使わなきゃならんほど【ライアークルーク(賢い噓つき)】は困窮しているのか?」
「⋯⋯あぁん?」
グリアムの口から【ライアークルーク】の名が出ると、エルンストの表情は一気に硬くなる。唐突にその名が出た事に、エルンストの動揺は隠せない。まさかその名がここで出るとは微塵も思っていなかったのだろう。
「隠さなきゃならんのに、おまえは分かり易く態度に出過ぎだ。あ! そうか。四流だから仕方ねえのか」
「適当な事ばっかほざいてろ。勝負はこっちの勝ちだ!」
「はいはい。あ、こんな所で寝てると、あんたの大事なお仲間達が、モンスターの餌になっちまうからな、あんたがしっかり面倒見ておけよ。ヴィヴィ、サーラ、行こうぜ」
「おい、待て、てめえら! 勝つのはオレ達だ!」
エルンストの捨て台詞など相手にしない。グリアム達【クラウスファミリア(クラウスの家族)】は、悠々と15階への回廊を目指して歩き始めた。
■□■□
回廊を下りきり、ルカスは15階へと足を踏み入れた。遠目に見える人だかりがゴールなのだとすぐに理解する。
直線距離でゴールまで、約500m程度。オッタの背中はすでに小さくなりかけており、100mは離されている。絶望的とも言える差でも、ルカスは必死に地面を蹴り続けた。
オッタの背中から見ながら、ルカスはグリアムの助言を思い出す。
(兎は瞬発力に特化した人種だ。えげつないスピードを持ってはいるが、長い距離は苦手なはずだ)
(おっさん、長い距離ってどのくらいだ?)
(さぁな。ただ、上層から、よーいドンとなれば、おまえにも勝機がある。兎がバテる可能性は、十分考えられるさ)
(逆に考えると、届けるアイテムを手に入れるのが、下層より下だった場合はキツイって事か?)
(まぁ、そうなるかもな。ただ、アイテムが同時に手に入るとは考え辛い。まずは先にアイテムを、どうやって手に入れるか考えんとな)
(先にゲットして、オレが逃げ切る展開がベストか⋯⋯)
(だな。だが、そう上手く行かんのが勝負事だ。臨機応変に行こうぜ。ただ、どう転んでも、おまえのスピードとスタミナが肝になって来る。頼むぜ)
スタミナ関係ねえじゃんか!
ただの瞬発力勝負となれば、事前の情報から分が悪い事は分かってはいた。だが、ここまで差をつけられるとも思っていなかったのが正直な所だ。
(おまえが必死に逃げれば、兎は必死に追うし、おまえが必死に追えば、兎は必死に逃げる)
追ってやるよ、必死にな。
ルカスは最後の力を振り絞り、オッタの背中を追って行った。




