その遭遇は予期できない Ⅰ
「うわ、何これまっずぅ」
「うるせえな。やいのやいの言わずに飲み干せ。こいつは貴重な回復薬だ」
小さな小瓶に入った毒々しい液体をヴィヴィは顔をしかめながら飲み干す。イヴァンはそれをにこやかに見つめ、グリアムは嘆息混じりでその様子を見つめていた。
結局のところ、少女について分かったのはヴィヴィという名前だけで、他は何も覚えていない。抱えている卵も何の卵だが分からずじまいで、グリアムとイヴァンの表情は冴えなかった。
どこから来たのか、何をしていたのか。ボロ布を一枚だけ纏い深層を徘徊し、いったいどうやって生き延びたのか。結局、何ひとつ、ヴィヴィの事は分からなかった。
ダンジョンのどこかにあるという魔族の隠れ里を隠す為に、知らないフリしているのか? そんな風には見えんけどな⋯⋯。
「良かったヴィヴィ、少し元気になったね」
「うん。イヴァンありがとう。君は優しいね」
「いやぁ、そんな事無いよー」
「緊張感のねえ奴らだな」
「おじさんにも感謝しているよ。ありがとうね」
「礼はいいから、サッサと思い出してくれ」
「グリアムさん、無茶言ったら可哀想だよ」
「あーはいはい」
トン! トン! と、建付けの悪い扉が今にも壊れそうな音を鳴らした。
こんな時間にだれだ? 主人か?
「イヴァン、ヴィヴィを隠せ」
「は、はい」
イヴァンは有無を言わさず頭から布団を被せ、ヴィヴィの存在を隠す。その瞬間、ゆっくりと開く扉から、現れたのは長い赤髪をふたつ結びにする女と、そのパーティーらしき男と女。
一見して手練れだと分かる緊張感のある空気に、グリアムの視線は忙しくパーティーを値踏みする。
狼人とエルフ、あの女の軽装備は盗賊か? あのやる気の無いドワーフも同じパーティーだよな。B級? いや、A級のパーティー?
そんなヤツらが何だってこんな所に現れる? まさか主人の差し金で【ディグニティハニー】をぶん捕りに来たのか⋯⋯。
荒事になれば、こちらが不利なのは目に見えていた。それをどう回避するべきか、グリアムは頭をフル回転させていた。
「何だ、いきなり? だれだ、おまえら?」
グリアムの剣呑な瞳。女の後ろに控えるパーティーの面々は、その瞳に冷ややかな視線を返す。
【忌み子】にケチでも付けに来たのか?
「わ、私はアザリア・マルテ。あ、あなたは?」
緊張しているのか、興奮しているのか、少しばかり震える声で赤毛の女は名乗りを上げた。
いったい何がしたい?
グリアムはこの状況を説明出来る答えが見つからず、困惑が深まるだけだった。
「グリアムだ⋯⋯なぁ、オレ達はここで大人しく休んでいるだけだ、そっとしておいてくんねえか?」
「あいっ! いや、は、はい! これは失礼しました。主人の話では【ディグニティハニー】を持っていたと⋯⋯16階より下から、ここに来たという事ですよね」
少しばかり上ずる女の言葉に、グリアムはあからさまに表情を硬くして行く。
やはり【ディグニティハニー】狙いか。この人数の手練れを相手にするのは流石に無理だぞ。
「だからなんだ?」
「いや、あの、その⋯⋯実は人を探しておりまして、忌み子の地図師。伝説のパーティー【バヴァールタンブルロイド(おしゃべりの円卓)】の生き残りを探しております。お宅様がもしかして、そうなのではないかと思い、お伺いしてしまいました⋯⋯お休みのところ、すいません!」
グリアムは、盛大に頭を下げるアザリアに思わずたじろいでしまった。
アザリア・マルテ。
どこかで聞いた事あると思ったが【ノーヴァアザリア】のリーダーか。そんな有名人とこんな所でニアミスとはな。悪いやつでは無いのだろうが、如何せん魔族を抱えている今は、タイミングとして最悪だ。早々にこの部屋をあとにして貰わんと。
「ご期待に添えず、すまんな。オレはただの荷物持ちだ。それに【バヴァールタンブルロイド】は、最深層で全滅したって聞いている。残念だが、空振りだ」
「ほら、見ろ。ただの【忌み子】だ。絡むだけ無駄だ、サッサと休もうぜ」
その狼人の言い分が正しい。魔族を抱えているこっちも、あんたらには早く消えて欲しいんだよ。
アザリアは、背を向けて戻ろうとする狼人を気にする事無く、視線はイヴァンへと向けた。
その声は先程までの上ずった声色とは違い、落ち着き払い静かな声色を響かせる。
「ねえ、君。名前は?」
予想していなかった問い掛けにイヴァンの声は上ずる。
今度は何だ? 早いとこ消えてくんねえかな。
「ぼ、僕ですか? イヴァン、イヴァン・クラウスです」
「単独で、16階とか凄いね。C級? もしかしてB級? パーティーに入っていないのなら、ウチに来ない? 優秀な人間は大歓迎だよ」
「ありがとうございます! でも、すいません。僕、まだD級なのです」
その言葉に後ろに控えていたパーティーの目の色が変わった。明らかに怪訝な瞳をこちらに向け、疑いの色を濃くして行く。
余計な事を言うなよ。
グリアムはイヴァンに釘刺す視線を向けてはみたが、気が付いてはいない。むしろ、勧誘されたことに、浮ついているようにも見えた。
「凄いじゃん、D級がソロで深層なんて。もしかして、どこかの荷物持ちが調子良くそそのかして、下まで行ったのかな⋯⋯なんてね」
後ろにいた盗賊の女が、懐疑的な視線をこちらに向けた。
おいおい、冗談じゃねえぞ。
「勘弁してくれ。清廉潔白を売りにして、真っ当に商売しているだけだ。初心者喰いなんてしねえよ」
「そ、それは本当です。とても良くして貰っていますから」
「ふーん。じゃあ、なんで16階に行ったの?」
「それは⋯⋯」
「罠に嵌って、下に飛ばされちゃったんです。びっくりしたけど、グリアムさんのおかげで助かったんです」
あ⋯⋯馬鹿、そいつを言うと面倒臭くなるって。
言い淀むグリアムを余所に、明るく言い放ったイヴァン。
目の前の手練れ達の顔つきはさらに厳しくなり、グリアムは引きつった笑顔を見せる事しか出来なかった。