その思い出から始まった思い Ⅲ
イタタタ⋯⋯。
腕に感じる硬い感触に、顔をしかめながらサーラは顔を上げた。起き抜けの頭で、ぼんやりと目の前を見つめる。
テーブルの上には飲みかけの冷めたスープと、食べかけの硬いパンが転がっていて、テーブルにうつ伏せているグリアムの姿が映ると静かに頭を振り、自身を揺り起こしていく。
床を覗けば、エサ皿を前にしてうずくまるテールの姿が暗闇に浮かび上がり、ここにいるだれもが疲れ果てていたのだとつくづく実感した。
そっか、あのままみんな寝ちゃったんだ。
家に帰り着いた安堵と共に襲ってきた極度の疲労で、三人と一頭は気を失うように眠ってしまった。
窓の外から聞こえてくる喧騒はなく、静寂が深い夜を教えてくれる。
疲労の抜けきらない重い体で、ひとつ大きく伸びをすると、ヴィヴィがいない事に気が付いた。グリアムとテールを起こさぬように、静かに椅子を引きヴィヴィを探す。
居間の隣にある物置を兼ねた小部屋の扉を開くと、窓辺で佇んでいるヴィヴィをすぐに見つけた。
月の光が、ヴィヴィの美しさを妖しく浮かび上がらせる。物思いに耽る横顔は、窓の外を静かに眺めていた。
「ヴィヴィさん、おはようございます。あれ? おそようございます??」
「アハ、サーラも起きた。おはようで、いいんじゃない」
そう言ってヴィヴィはまた窓の外へと静かに視線を移すと、サーラもそれに倣った。
窓の外では、夜と朝の境界線がオレンジ色に輝き、空に美しい濃紺のグラデーションを作り始めていた。
「おお~綺麗ですね」
「朝はこうやって来るんだね」
「ですです。初めてですか?」
「うん、初めて。いつも寝てるから」
ふたりはしばらくの間、窓の外を見つめる。言葉はなく、静かにただ見つめていた。
ヴィヴィの憂いを浮かべた横顔に、サーラは何か引っ掛かるものを感じる。全てが上手くいったというのに、ヴィヴィからいつもの明るさが感じられない。だがそれは、少し前から感じていたサーラの中の違和感と繋がっていく。
「ヴィヴィさん、どうかされました? 何か心配事でもあるのですか? 最近、元気ありませんよね」
少し驚いた顔を見せるヴィヴィに、サーラはニッコリと大袈裟に口端を上げて見せた。
「そんな事ないよ、サーラの気のせい」
「そうですか。私の思い過ごしなら、いいんですが。でも、もし、ひとりで思い詰める事がこの先あったら、無理はしないで下さい。ひとりで背負わなければならない事なんて、何もありませんから」
「そうなのかな?」
「そうですよ」
サーラは、ニッコリと微笑み、言い切った。
窓の外からオレンジの光が射し込む、一日の始まりを告げるその柔らかな光がふたりを包み込んでいく。ヴィヴィの青髪はキラキラと輝き、全身を光で包み込んだ。神々しく輝くヴィヴィが、窓の方を向いたまま視線だけをサーラに向ける。
「⋯⋯ねぇ。もし、私の記憶が戻ったら、ここにはもういられない?」
「いられますよ。ヴィヴィさんが望むなら、いつまでも。だれも、出て行けなんて言いませんよ」
食い気味に答えるサーラに、ヴィヴィは驚きを隠せなかった。だがすぐに、ヴィヴィは笑みを零す。
「そっか、いてもいいんだ」
「はい! いいのです」
サーラは満面の笑みをヴィヴィに返した。
朝日が昇り始め、街が少しずつ動き始める。憂いが消えたのか、窓の外を見つめるヴィヴィの横顔は、柔らかな表情を浮かべていた。
■□
むくりとグリアムは頭を起こすと、寝ぼけ顔で居間を見渡す。
あのまま寝ちまったのか。
固まった体を伸ばそうと大きく伸びをすると、左肩に激痛が走った。
「痛っ!」
「師匠、おはようございます。もうおはやくないですけど」
いつもと同じ元気なサーラの顔を、ぼんやり見つめていると、ようやく頭が動き始めた。
そういや、左肩やっちまってたな。
昨夜はいろいろあり過ぎた。
「ヴィヴィは?」
「朝イチで、フルーラさんの所に、テールを連れて行きました」
「朝から元気なことで」
「フフ、若さですかね」
「言ってろ」
グリアムはジロリとサーラを睨む。
とは、言ったものの、まったく疲れの抜けていないグリアムの体は重く、到底体を休めたとは言える状態では無かった。
年には勝てねぇか。
何もやる気が起きず、椅子に座り、ただただ呆けている状態。
そんなグリアムの姿を見かねてなのか、サーラは温め直したスープとパンをグリアムの前に置いた。
「お、悪いな」
「昨日の残りを温めただけですよ」
「充分だ」
グリアムは空っぽの胃に、それをゆっくりと運んでいく。ようやく体に血が巡り始め、ぼんやりと膜の張っていた頭が晴れてきた。
サーラがカップを両手に包み込み、グリアムの目の前で、何か言い辛そうな素振りを見せている。上目でそれを確認しながらも、グリアムはあえて触れなかった。
「あのう、師匠⋯⋯」
グリアムはジロリと視線を向け、次の言葉に釘を刺す。厄介事はゴメンだとばかり、視線をスープ皿へ落とした。
「その⋯⋯あのですね⋯⋯お話というか、確認というか⋯⋯」
「⋯⋯はぁ~」
大きな溜め息と共に、グリアムはサーラに視線を向ける。
「ヴィヴィさんのことなのですが、多分、記憶が戻っているかと思います」
グリアムの手が止まり、サーラに真っ直ぐ向き直った。
「あ? ヴィヴィがそう言ったのか?」
「いえ、言ってません。でも、全部ではないにしろ、ある程度の記憶は戻っているのではないかと思います」
「なんでそう思った?」
「ヴィヴィさん、最近どこか元気が無かったじゃないですか?」
「うん? そうか?」
「師匠は普段優秀なのに、そういうところありますよね」
そういうところって何だよ?
呆れ顔を見せるサーラを睨み返すが、当のサーラは気にする事無く続けた。
「考え事をしているというか、思い詰めている感じが、ヴィヴィさんにあったのですよ」
「へぇー」
「もう少し興味を持って下さいよ」
「記憶が戻ったんだろ? 家に帰せばいいだろう」
「そんな簡単な話じゃないですよ。ヴィヴィさんは、きっと帰りたくないのです」
「ヴィヴィが言ったのか?」
「いいえ、言ってないですけど⋯⋯」
「じゃあ、分かんねえじゃねえか。聞けばいいだろう、そんなもん」
「もう! この件は繊細な話なのですよ。ヴィヴィさんを家に帰すっていう目標を持ってみんなが頑張っているのですから、ヴィヴィさんからしたら『帰りたくない』なんて言い辛いじゃないですか」
なんで、オレ、怒られているんだろ?
グリアムは起き抜けの頭を撹拌させられ、答えの見えない所をグルグルと堂々巡りしていた。
「なんで、帰りたくないって思うんだよ」
「これは私の推測でしかないのですが、魔族の方々の生活というのは、とても過酷なんじゃないかと考えます」
「なんでだ?」
「グリアムさんです」
「へ?」
グリアムは、サーラの言葉を理解出来ず、口に運んでいたカップの手が止まる。
「【忌み子】と呼ばれるハーフの存在が、そう推測させます。ダンジョンで、地上の人間と魔族の接触、または地上の生活を知ることが出来る何かを、手にする機会があるのではないのでしょうか」
「くたばったヤツの遺品とかって事か?」
「そうですね。そういった落とし物とかから、自分達との生活水準の比較が出来たのではないでしょうか。思い当たる節とかありませんか?」
グリアムは、出会ったばかりの頃のヴィヴィを思い出し、サーラの言葉に頷いた。
「魔族の生活水準は、地上より低いと」
「低いというより、過酷という言葉が当てはまると思います。あのダンジョンで生きていくというのは、仮に安全な場所があったとしても、容易ではないはずです」
「続けろ」
「はい。普通に考えると、地上の暮らしを知ることがもしあったとしても、対立構造に近いものがある地上に行きたいと思わないはずです。ですが、少なからずグリアムさんのようなハーフの存在や、リーダーの村にいる魔族の血を引く人の存在が、それを否定していると思うのです」
「むしろ行きたいと?」
「魔族の方々がどれほどいるのか分からないので、どこまでかは分かりませんが、地上への憧れを抱き、今の生活から抜け出したいと思う魔族の方は一定数存在するのだと思います」
「憧れねぇ⋯⋯」
「師匠は親御さんから、ダンジョンでの暮らしについて、何か聞かされた事はないのですか?」
グリアムは魔族であった母親の姿を思い出す。朧気な記憶の彼女はいつもベッドの上で微笑んでいた。記憶にある穏やかな日々の中で、彼女が苦悩を口にした事は一度もない。
グリアムは首を横に振って答えた。
「ねえな」
「そうですか」
サーラは納得の表情で頷く。まるでグリアムの答えが分かっていたかのような顔を、サーラは見せた。




