その焦燥の先に Ⅺ
赤味を帯びる壁が大きく削られていた。何か固い物で壁を抉ったのであろう跡を見て、グリアムは首を傾げる。
だれが? どうやって? 何の為に?
壁を見つめるグリアムの姿に、ラウラやヴィヴィも、その削れた壁を覗いていく。
「グリアムさん、なんだろうこれ?」
「何か固い物で削った跡だよな。ハイミスリルでも埋まっていたとか?」
「……にしても、こんな削り方する?」
グリアムとラウラはまた、削れた壁を覗き込む。
「あれ? 師匠⋯⋯これって⋯⋯」
今度は抉れた地面を指差し、サーラは顎に手を置いた。それが何を意味するのか、サーラにはおおよその予想はついている。だが、断言出来るほどの自信はなく、判断をベテランのふたりに託した。
グリアムとラウラは、その抉れた地面を覗き込み、視線を交わす。そして、三人で頷き合った。
「「大猪」」
「やっぱり!」
興奮を隠せない、グリアムとラウラの声が重なり合う。サーラも自分の出した答えが間違っていなかったことに、興奮を隠せなかった。
「どうしたの? みんな興奮しちゃって。さっきのやつがここにいたってだけでしょう?」
「ヴィヴィ、ここを見てみろ、地面が抉れている。って事は、大猪がここで、何かに狙いをつけて突撃したってことだ」
グリアムはヴィヴィに、大猪が地面を掻く仕草をまねて見せる。
その言葉にヴィヴィとサーラが視線を交わし、破顔した。
「イヴァン!」
ここに来て、初めてイヴァンの残滓と遭遇する。途切れていた希望の糸が細く繋がるのを感じた。
「まぁ、待て。これをイヴァンのいた跡だと決めるのは、いくらなんでも早計過ぎる。ただ、大猪とエンカウントしたやつは、ここではくたばっちゃいない。もし、くたばっていたら、何かしらの痕跡が残るはずだからな。今はまだ、イヴァンの可能性があるってだけの話だ」
「だね。この辺りをちょっと探してみようか、何かあるかも知れないよ」
「ああ。あまり離れるなよ。ここが18階ってことを忘れるな」
ヴィヴィとサーラは、ふたりの言葉に大きく頷く。エンカウントした人間の何か、だれかを求めて、壁や地面を見回していった。
何かないか? 希望の糸を紡ぐ何か⋯⋯。
パーティーは目を凝らし、些細な物も見逃すまいと必死に睨んでいった。
だれかがここでエンカウントしたのは間違い無い。削られた壁、抉れた地面から見るに、大猪が一頭であった可能性は低い。だとするなら、オレ達がエンカウントした大猪と考えるのが妥当だ。そう考えると、ここに体が落ちていないって事は、上手く逃げおおせた可能性が高い。
何でもいい、何かないのか。だれかに⋯⋯イヴァンに、繋がる何か。
パーティーは言葉を発するのも忘れ、イヴァンの残滓を求めた。カツカツと足早に動く足音だけが洞内に響く。
「うん? なんでしょう⋯⋯」
サーラの足が止まる。何の変哲もない壁を前にして、下を気にする素振りを見せた。
長い手を壁に沿わせ下へと下ろして行く。膝あたりまで手を下ろすと、一度体を起こした。
「師匠、ここ照らして貰っていいですか、何か変なんです」
「変?」
「はい。何か穴が開いてるみたいです」
「穴?」
怪訝な表情のまま、グリアムはサーラの足元にしゃがみ込み、壁を照らしていく。壁には先程と同じく、大きく削られた跡が無数に存在し、抉れた地面も確認が出来た。ここでも、エンカウントがあったと分かる。そしてサーラの言った通り、削れた壁のすぐ下には、膝の高さほどの穴がぽっかりと口を開けていた。
グリアムはランプで穴の中を照らす。刹那、目の前の光景に目を見開いた。
「サーラ! ラウラ! 来い。やつだ! イヴァンだ」
狭い空間に押し込まれたかのように仰向けで倒れているイヴァンの姿に、全身の毛穴が開き、これでもかと心臓は高鳴りを見せる。
イヴァンの足はあらぬ方向へと折れ曲がり、外から表情はまったく見えなかった。生死の判断がつかない、この数秒がもどかしく感じられる。
「イ、イヴァン!」
グリアムの切迫した声に、ヴィヴィの叫びは歓喜と悲痛が混じり合う。ラウラとサーラが負傷しているグリアムに代わり、穴の中へと手を伸ばした。
「グリアムさん、もっと奥を照らして! うわっ⋯⋯酷っ。サーラちゃん、そっち持って、ゆっくりね」
「はい」
足先からゆっくりとその姿が現れる。
「ヴィヴィ、警戒を怠るな!」
「う、うん」
止まらない拍動にヴィヴィの声は震えていた。
そして、意識を失っているイヴァンが引きずり出される。服はところどころ破れ、体中から血が滲んでいる。折れ曲がった右足は、無残にも明後日の方向を向き、蒼白の顔面から血の気は感じられなかった。
その無残に転がるイヴァンの姿に希望の糸は未だ細いまま、パーティーの表情は優れない。
サーラが胸に耳を当てると、すぐに頷いて見せた。
「い、生きてます」
だが、目を閉じたままのイヴァンの姿に楽観出来る者はいない。
「イ⋯⋯イヴァン⋯⋯」
ヴィヴィの声は不安を映し、パーティーに安堵は訪れない。
「サーラ、こいつをイヴァンの口に流し込め」
抱えているサドルバッグから、小瓶を投げ渡す。受け取ったサーラは、イヴァンの口元へと運んでいく。流し込む緑色の液体が、イヴァンの口端から零れ落ちてしまう。
「イヴァンさん、薬です。飲んで下さい」
もどかしい時間は、永遠にも感じてしまう。血と埃で汚れたイヴァンの顔を全員が覗き込む。
ゴク。
イヴァンの喉に動きが見えた。
来い。
だれしもが、イヴァンの一挙手一投足に集中する。
「サーラ、もっと飲ませろ」
投げ渡された小瓶を、サーラは再び口元へと運んだ。喉の動きに合わせ、サーラは小瓶を傾けていく。
ピク。
「指が動いたよ! イヴァン! イヴァン!」
ヴィヴィは必死に呼びかけ続けた。
その思いに応えるかのごとく、イヴァンの瞼がピクピクと反応を見せると、ゆっくりと開けられていく。
「イヴァン!」
目に涙を浮かべながらヴィヴィは思いのままに叫ぶ。
覗き込むみんなの顔を、イヴァンは薄ぼんやりと覚醒しきっていない頭で見渡した。何が起こっているのか、理解するまでにはいたらない。それでも、パーティーにはようやくの安堵が訪れ、ホッと胸を撫で下ろした。
「あれ? みんな? ここは⋯⋯」
意識の混濁はあるものの、イヴァンの意識が戻り始める。サーラがゆっくりと体を起こすと、現状を理解し始めたようだ。顔面蒼白のイヴァンは、驚きを隠せず、気まずさから俯いてしまう。
パン!
ヴィヴィの平手が、イヴァンの頬を思い切り叩いた。痛みより、驚きが先に来るとジンジンと熱を帯びる頬に、イヴァンは手を当てた。
ヴィヴィの頬を伝う大粒の涙が、地面に寝ているイヴァンの頬へと零れ落ちて行く。
「ダメだよ、ダメなんだよ。こんなところにひとりは⋯⋯ダメだよ。暗くて、心細くて、寂しくなるだけなんだよ⋯⋯だから、ひとりはもうダメだよ⋯⋯」
涙混じりの言葉に、イヴァンの心はズキズキと痛んだ。絞り出された言葉に、返す言葉は見つからず、イヴァンは黙って俯く事しか出来ない。
グリアムも、サーラも、そしてラウラも、その様子を黙って見守る。今のヴィヴィの言葉で、充分だと感じていた。
「ヴィヴィ、ゴメン。みなさん、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。痛っ!」
うまく曲げる事の出来ない体に、イヴァンはちょこんと頭だけ下げる。意識の覚醒と共に、痛みが全身を駆けまわり、苦痛で顔を歪めた。
「これを飲んでおけ。焼石に水だがな、飲まんよりはマシだろう」
「はい」
グリアムの渡した小瓶を、イヴァンは素直に受け取って一気に飲み干す。その姿を見て、グリアムは腰を上げた。
「気を抜くなよ。ここからが勝負だ。サーラ、このロープでイヴァンをオレの背中に括りつけろ」
「本格的に動けなくなっちゃいますね」
「左腕があがらん時点で、戦力にならねえよ。ここからは本業の荷物持ちになるだけだ」
サーラとラウラがイヴァンを抱きかかえ、しゃがみ込むグリアムの背に乗せた。
「痛っつう⋯⋯」
「痛えくらい、我慢しろ」
「は、はい」
サーラがおんぶの要領で、イヴァンをグリアムの背中に縛り付ける。左肩に掛かる重みに、痛みが電流のように駆け巡った。
「つっう⋯⋯」
「グリアムさん、大丈夫? 代わろうか?」
「大丈夫だ、問題ない。あんたが動けなくなったら、このパーティーは終わりだ」
「グリアムさんの分も頑張るか」
「すまんな。長居は無用だ、サッサと上行くぞ」
グリアムが上への一歩を踏む。
「がはっ!」
グリアムが歩みを進めるたびに生じる衝撃が、イヴァンの体に激痛を送った。
「我慢しろ」
「は⋯⋯い」
「【入眠】」
誰も聞いた事の無いヴィヴィの詠唱は、イヴァンを柔らかな桃色の光で包み込む。イヴァンの首がガクっと落ち、静かな寝息をたて始めた。
「なんだそれ? イヴァン、寝たのか?」
「うん。イヴァンも、グリアムもこっちの方が楽でしょう」
「まあな、気を回さなくて済むからな」
「でしょう。行こうよ」
『クゥーン⋯⋯』
「あ、テールは起きたか。大丈夫? よしよし、帰ろうね」
テールの頭を撫でるヴィヴィの表情は、どこまでも穏やかだった。




