その焦燥の先に Ⅵ
「あのう⋯⋯ちょっといいですか?」
「なんだ」
サーラはおずおずと手を上げた。グリアムの少し冷めた視線に怯みながらも、サーラは言葉を続ける。
「リーダーですが、18階に行ってしまった。って、事はないでしょうか?」
「はぁ? パクった地図は17階までだぞ。ねえだろ、そんなもん」
「いや、まあ、そうですけど、17階までの地図があるということはですよ、18階に通じる回廊が明記されているわけですから、18階までは行けるって事ですよね」
「はぁ?」
ふたりの会話を真剣に聞いていたラウラが、静かに割って入った。
「サーラちゃん、確かに行けることは行けるよ。でも、もしあの子が18階まで行ったとしたら、それこそ助かる可能性はゼロだよ。18階より下に行くには、それ相応の装備が⋯⋯装備⋯⋯が⋯⋯ううん? ちょっと、え? なんで??」
ラウラが驚きを隠さず、隣に座るサーラのショートケープに手を伸ばす。サーラの纏っているその黒いショートケープの感触を何度も確認すると、今度は逆隣りに座るヴィヴィの纏っている黒いローブにも手を伸ばした。
「何これ? 何で? 何でみんなベヒーモスの装備を身に着けているの??」
ラウラの本気の驚きに、ヴィヴィとサーラが視線を交わし合い、首を傾げてみせる。ふたりには、ラウラの驚きが全く理解出来ないでいたのだ。
「念のためだ」
「念のためって!?」
グリアムの答えに納得出来るわけもなく、ラウラの興奮は治まらない。
「ラウラさん、ベヒーモスの装備って何ですか? 何をそんなに興奮されているのですか?」
「サーラちゃん、【ベヒーモスの厚皮】はA級の超レア素材だよ。これだけで、小さい家が建つくらい価値があるんだ。そして、18階より下に行くなら、絶対に必要な素材なの」
ヴィヴィとサーラは再び視線を交わし合い、纏っている黒いショートケープとローブに触れ、ラウラの言葉を必死に精査する。そして、ふたり揃ってグリアムに向き直すと、目を剥いて驚いて見せた。
「A級素材!? グ、グリアムさん、大丈夫ですか?? いいのですか?」
「家が建つの!? あれ? でも、それならなんでグリアムの家は、あんなにぼろいの?」
「うるせえな。おまえ、居候のクセによく言えるな。まぁそいつは、念のため、念のためだって」
グリアムの言葉にまったく納得を見せないふたりに、ラウラは微笑みを見せる。
「ヴィヴィちゃんも、サーラちゃんも、大事にされているってことよ」
グリアムは聞こえないフリをする。ヴィヴィはなんだか照れて見せ、サーラは何度もショートケープに触れ、その感触を確かめた。その姿に張り詰めていた空気が少しだけ緩み、凝り固まっていた思考が解れていく。
「ラウラさん、どうしてこのベヒーモスの装備が必須なのですか?」
「それはねぇ、18階から屍術師っていう厄介なやつが現れるのよ。こいつが面倒なんだ。雨あられのようにダンジョンに魔法を降らすんだよ。炎、氷、雷と見境なくね。単発だと大したことなくとも、数が増えるとこいつがまた厄介なんだ。しかも、魔法は効かないうえ、核は小さいっていう遠距離攻撃泣かせでさ、叩くには接近しなくちゃならんのよ。そこで必要なのが、ベヒーモスの装備。ベヒーモスの皮はある程度の魔法なら無力化出来るんだよ。降り注ぐ魔法の雨の中でも、この装備があれば突っ込めるし、突然現れたリッチの攻撃にも、対処出来るってわけ」
「魔法を無力化⋯⋯これが⋯⋯」
「グリアムさん、あの子もこれを装備しているの?」
ラウラは視線だけをグリアムへ向ける。グリアムは観念したかのように、首を縦に振って見せた。
「ああ。外套として羽織っている。でもな、だからと言って18階に行ったって話にはならんだろ」
「ま、そうだよね。サーラちゃんはなんで、イヴァンくんが18階に行ったと思うの? いくら、18階まで行けるって言ってもさ、無謀なのは分かるでしょう」
今度は隣でショートケープを愛でているサーラに、視線を向ける。
「私ならそうするからです。18階に行けるなら覗いてみようと思うに違いないからです。リーダーからは、私と同じ匂いを感じたので、行ってもおかしくないと思いました」
「同じ匂いね⋯⋯」
思い当たる節があるグリアムの呟きを、ラウラは見逃さない。その溜め息混じりの呟きに、サーラの言葉が真実味を帯びてきているように感じ始めた。
「グリアムさんも思い当たる節ありって顔だね」
「まあな。あいつ、N級の時、単独でいきなり11階まで潜ってるんだ」
「え?! N級で11階! それは凄いというか何と言うか、結構無茶する子なんだ」
「つうか、何も分かっていなかっただけだ、ありゃぁ。今は多少なりとも経験を積んでいるんだ、無茶か無茶じゃないかの区別くらいつきそうなものだがな」
区別がつきそうと自分で言っておきながら、グリアム自身その言葉に懐疑的になっている。イヴァンの性格や行動を鑑みて、サーラの言葉に可能性を感じてしまう自分がいた。
「いいから、行こうよ」
ヴィヴィは立ち上がり、グリアムに向いた。その表情からは有無を言わさぬ力強さを感じ、重くなっているグリアムの腰を持ち上げる。
「半刻が限界だ。それ以上は捜索しない、いいな」
「うん、分かった。早く行こう」
「待て待て」
焦燥に駆られ、立ち上がるヴィヴィをグリアムは無理矢理座らせた。
「テール! 来い」
テッテッとグリアムに歩み寄るテールのサドルバッグから、携行食と薬の入った小瓶を取り出し、みんなへ投げ渡していく。
「少し休んで、体力を回復させる。ヴィヴィはそいつを飲んで魔力を復活させておけ」
「まずそ」
「いいから飲め。それと、ラウラ、ほれ」
グリアムはそう言って、自分の黒い外套を投げ渡した。
「いいよ、いいよ。グリアムさんが羽織ってなよ」
「あんたが羽織れ、オレは大丈夫だ」
グリアムから頑なな強い意志を感じ、諦めたラウラが渋々とその外套を羽織っていった。
「ヴィヴィ、サーラ。ここからさらにレベルが上がる、覚悟しておけ。いいな」
グリアムの言葉にふたりは黙って頷くと、パーティーは立ち上がる。グリアムは後ろ腰のナイフを抜き、今一度確認した。その姿にヴィヴィはハンドボウガンの矢を確認し、サーラはコツっと鉄の拳を突き合わせ心に火を灯す。
「大丈夫、イヴァンはきっといるよ」
「ですよね、ヴィヴィさん」
ふたりは自身を鼓舞し、18階へ繋がる回廊を目指す。自ら発した言葉にどれだけの信憑性があるのか、自分自身懐疑的だった。だが、途切れかけた希望の糸を、ギリギリのところで繋ぎ留める。その拙い糸の先に何があるのか、絶望なのか希望なのか、それは覗きに行かなくては分からない。だが、一度弾けたはずの淡い希望が、また心の中に生まれていた。
糸を紡ぐ歩み。
前を行くグリアムとラウラの緊張が、ヴィヴィとサーラにも伝播していく。下へと続く回廊を前にして、グリアムは一度足を止めた。
「いいな」
パーティーの頷く姿を確認し、グリアムは回廊へと踏み出す。
壁に散らばる【アイヴァンミストル】が、一気に増えて行く。その鉱石が放つ白光がパーティーの頭上を照らしていた。一気に強くなった光量は、今までは明らかに違うとヴィヴィとサーラは感じ、表情は固くなる。




