その焦燥の先に Ⅳ
「ここからは、オレとラウラが中心で進む。ヴィヴィとサーラはしっかりとフォロー頼むぞ」
「はい」
「グリアム、魔法は?」
「ここからは解禁だ。だが、無駄撃ちはするな。どうしても捌けなくなった、ここぞというところで使う。いいな」
「うん、分かった」
「よし」
下へ向かう回廊は徐々に赤味を濃くしていき、階層が変わったことを知らせた。それと同時に、パーティーの緊張は否が応でも上がっていく。明るく振る舞っていたラウラからも笑みは消え、鋭い表情で前を睨んでいた。その姿にヴィヴィとサーラの表情も固くなる。
「まずは休憩所だ。万が一動けなくなったなら、休憩所を目指すはずだ。逆にそこにいなければ、かなり難しい」
16階の入り口を前にして、グリアムはパーティーに振り返る。グリアムの口調は冷静で、それがヴィヴィとサーラのさらなる緊張を煽った。固い表情を見せるふたりだが、ヴィヴィの赤い瞳は死んではいない。そこに明確な意志が宿っていた。
「イヴァンは大丈夫。絶対いるよ」
「だと、いいがな」
グリアムを先頭に16階へと足を踏み入れる。人の気配は消え失せ、不穏な静けさがパーティーを包み込んだ。
前を行くグリアムの視線は忙しなく動き、ナイフを握る手に力を込める。迫る危機とイヴァンの残像に注視し、慎重に足を動かしていった。
ゆっくりと後ろへ流れる赤味を帯びた壁。ときおり顔をだす罠が、パーティーを飲み込もうと狡猾な姿を見せる。
「ラウラ!」
「了解だよ」
ブブブブブと羽音を鳴らし、カチカチと鳴る顎は、歓喜の歌に聞こえた。獲物の気配に振り返る感情の無い無数の複眼。パーティーの行く手を阻む人食い蜂の群れが、一斉にパーティーへ向いた。
返事と共に飛び込むラウラの曲刀は弧を描き、蜂とは思えぬこぶし大の頭が地面に転がっていく。
「シッ!」
グリアムは頭を低くし、群れの下へと潜り込んだ。その速さにヴィヴィとサーラが目を剥く。見た事のないその速さに、驚きを隠せなかった。
群れの腹へ潜り込むと次々に顎から頭へ向かい刃を突き上げる。
前方はラウラの曲刀が弧を描き続け、後方では下から無情なグリアムの刃が的確に顎を突き上げていった。
大群の勢いは直ぐに消えてしまう。ふたりの刃が、人食い蜂の大群を瞬殺した。
呆気に取られるヴィヴィとサーラに、グリアムとラウラは瞬殺などさも当然とばかり、気負う姿は一切見せない。グリアムは何かに気が付きドロップを漁った。その時だけは見慣れたグリアムに戻って見え、ヴィヴィとサーラは我に返る。
「ねえ、グリアム、前の時はあいつら相手に苦労してたよね?」
「あ? あぁ、あの時か。そりゃあそうさ、慣れないボロボロの若造と、疲れ果てたおっさんの二人組に、あの大群を捌く余裕なんてねえよ。今回は手練れのラウラが一緒だ。この間と状況が違い過ぎる」
「そんなに違う?」
「ああ、違う。C級からB級も難易度は急激に上がるが、B級からA級はもっとムズイ。A級潜行者は、さらにもっとヤバイ。ラウラを見れば分かんだろ」
グリアムの言葉にヴィヴィはラウラに視線を向けた。向けられた視線にラウラは手をヒラヒラと振って見せ、少しばかり照れた様を見せる。
「いんやぁ~何だか恥ずかしいね。ヴィヴィちゃんもサーラちゃんも凄いよ。お世辞抜きでね」
ラウラはシシシと、照れ笑いで最後は誤魔化した。
グリアムとラウラが道を切り開き、ヴィヴィとサーラがテールを挟みそれに続く。
大猪もコボルトの群れも、グリアムとラウラの刃により、一瞬で沈む。長年コンビを組んでいたかのごとく、ふたりは阿吽の呼吸を見せ、立ちはだかるモンスターを意に介さなかった。
「いねえ」
ひとつめの休憩所を覗き込み、グリアムは眉間に皺を寄せる。淡い望みは潰えるも、拙い希望の糸を次へと繋ぎ直し、顔を上げた。
パーティーの背中を押す希望の灯は、まだ消えてはいない。次の希望に向けて、また一歩足を踏み出した。
■□■□
ダンジョンを照らす【アイヴァンミストル】の淡い光も、ここには届かない。イヴァンは体を起こす事も出来ず、小さな空間で仰向けのまま暗闇を見つめ続けていた。不安と痛みの間で心は揺れ続け、紡いだはずの希望の糸は細くなっていく。
腰に携帯する小さな革のポーチから、最後の回復薬を手探りで取り出した。
震える右手を左手で押さえ込み、ゆっくりとその苦みを口に含む。口から零れ落ちた雫を拭う気力すらおきない。体を少し動かすだけで、あばら骨は軋む。動かない足から伝わるのは熱さだけで、痛みはなく、感覚自体消えていた。軋むあばらは深い呼吸を拒み、息苦しさがずっと続く。全身から伝わる熱を帯びる痛みに、もはや傷のない箇所を探した方が早く感じた。
「クッ⋯⋯」
効き始めた回復薬が痛みに膜を張ってくれる。だが、その膜が弾ければ、また一気に痛みが襲い掛かるに違いない。
暗闇は時間の感覚を麻痺させ、時間が引き伸ばされる感覚は恐怖を煽った。恐怖の隣に寄り添うのは常に死。疲弊した体が睡眠を欲しても、恐怖と不安がそれを阻害する。
いったい何に縋っているのだろう? だれかが助けてくれる? そんな都合のいい話がどこにあるというのか。
イヴァンは自問で、自らの希望を潰す。それは助からなかった時の言い訳作りに過ぎない。
本音を心の奥底へと沈め、自らが蓋をする事でギリギリの精神状態を保っていた。
「だれか⋯⋯」
口から零れる言葉は弱い。だが、そこにすべての思いが詰まっていた。
■□■□
小さな洞口を覗くグリアムの表情が曇り始める。
17階。
望みを託したこの場所に立ちすくむ。それは、グリアムだけではなく、肩で息をするラウラも、険しい顔で小さな洞口を覗くサーラも、テールに寄り添うヴィヴィも、同じ希望をここに託していた。
「いませんね」
「ああ」
グリアムとサーラを信じていない訳では無い。だが、この目で確認しようと、ヴィヴィとラウラも拙いランプの灯りを頼りにその洞口を覗いた。淡い期待は案の定、予想通りに霧散する。
「グリアムさん、17階の休憩所は、あと何ケ所あるの?」
「⋯⋯あとひとつだ。共有されている休憩所はあとひとつ。イヴァンがひったくった地図にもあと一か所しか記載はない」
ただでさえ潜行者が減る階層。さらに深い時間ともなれば、潜っている酔狂な者など皆無だった。駆逐されないモンスターからの敵意は、すべてこのパーティーに向けられ、その敵意をグリアムとラウラが払い続けている。削られる体力を、気力で補っていたが、その気力も残すところあとわずかとなってしまった。
グリアムの刃が的確に核を捉え、ラウラの曲刀は群がるモンスターを払い続ける。零れたモンスターをサーラの拳が粉砕し、行く手を阻むモンスターの群れをヴィヴィが何度も焼き払った。
わずかな希望と縋る思い。パーティーの願いは同じ、その思いが体を動かした。
「やっぱ深層ともなると、しんどいね」
「スマンな、ラウラ。付き合わせちまって」
「そんなに気を使わないでよ、もう少しでしょう」
「ああ」
体は疲れている。だが、次の休憩所に近づいているという事実が、パーティーの足を急がせた。
ここにいる。きっといる。
パーティーの思いは皆同じ、最後の希望に一縷の望みを託した。
小さな洞口を前にして、グリアムの足は止まる。17階、最後の休憩所。その洞口が意味するところは、何も言わずとも皆一瞬で理解する。
「後ろを頼む」
グリアムはランプの小さな灯りで、中を覗き込んだ。疲れ果てたイヴァンが、バツが悪そうにこちらを見つめる姿を期待し、その顔が脳裏を過る。
手前の壁から、そう広くもない空間を照らしていく。座り込むイヴァン、横たわるイヴァンの姿を想像しながら、拙い灯りの先をグリムは睨んでいった。




