その焦燥の先に Ⅱ
右へ左へと、罠にだけ気を使い、闇雲に突き進む。背中に感じる大群の圧は薄れ、闇雲に動かしていた足をゆっくりと止めた。
「ハァハァハァ⋯⋯ッツ!」
『キュウ、キュウ、キュウ』
甲高い、一聴すれば可愛らしくも聞こえるその鳴き声と、次々に暗闇に浮かび上がる赤い瞳が頭の中に激しい警鐘を鳴らす。その光景に見覚えがあった。
悪食。
額に短い角を備える一角兎の群れが、猛スピードで眼前へと跳ねる。体躯に見合わない屈強な後ろ足で地面を蹴り上げ、軽やかに跳ねた。白い体が地面を埋め尽くし、赤い瞳が一斉に襲い掛かる。
激しく上下運動を繰り返す肺を強引に押さえ込み、静かに詠っていく。
「炎を司る神イフリートの名の元、我の刃にその力を宿し我の力となれ【点火】」
静かな詠は地面を蹴り上げる音に掻き消され、何度となく纏ったその炎を、掲げた刃がまた纏う。振り下ろされる業火が唸りを上げ、断末魔が木霊する。
何度となく繰り返す同じ光景。考える事も出来ず、目の前に迫る危機に相対する事しか考えられない。無心で振り続ける剣の勢いが、永遠に続くわけも無く、勢いは体力と共に削り取られていった。
「クッ」
最後の一匹を焼き払うと、膝から崩れ落ちてしまう。体力も気力も、抉れた皮膚も、心を折るには十分だった。
どこか休める所はないのかな⋯⋯。
すがる思いでランプを掲げ、休憩所に繋がる洞口を求める。ランプを掲げる手は微妙に震え、焦る心を映し出していた。
あれは?!
ランプの映す先、ぼんやりと浮かび上がる洞口が緑瞳に映る。だが、それが休憩所へと通じている保証はない。それでも、心には希望の灯りが小さく灯った。
バギッ。
だが、次の瞬間右脚はイヤな音を鳴らし、小さな心の灯はあっさりと消されてしまう。激しい衝撃に浮かび上がる体。次の瞬間、吹き飛んだ体は壁へと叩きつけられた。
「ゴハッ!」
背中からの激しい衝撃。飛びかけの意識を必死に繋ぎ留める。焦点の合わない瞳に映る巨躯が、鮮明になって行く。鼻息荒く、前脚で地面を蹴る仕草を見せる大猪が、睨みを利かしていた。
油断した。
集中を切らした者に、ダンジョンは容赦しない。狡猾なダンジョンの理は、いとも簡単に人を喰らう。
力の入らない右足に、剣を支えにして身を起こす。支えを失っている体に、地面を力強く蹴り上げる大猪が迫る。
ガギッっと激しい打突音と共に、支えを失った体は紙切れのように宙を舞った。
■□■□
「ねえ、グリアム。ねえってば」
ヴィヴィはグリアムの体を揺らし、懸命に訴える。帰って来る気配のないイヴァンを慮るヴィヴィの焦りが、募り続けていた。
街に灯りが灯り始め、夕闇から夜へと移り始める。とっくに帰っているはずのイヴァンの姿は、ここになかった。
「ヴィヴィさんの言う通りです。師匠、行きましょう。師匠が行かないなら、私とヴィヴィさんふたりで、行きます」
無謀なサーラの申出は、グリアムの表情をさらに険しくさせ、重い腰を上げさせた。
「分かった、分かったって。だがな万が一、やつが暴走して単独で深層まで行ったとしたら、見つかる可能性は限りなく低いぞ」
ふたりはグリアムの言葉に黙って頷いた。覚悟を纏ったふたりに、グリアムは諦めにも似た溜め息を漏らす。
「回復薬をありたっけ集めて、テールのバッグに詰め込め。毒消し、携行食もだ。余分な荷物は持たんでいい」
ふたりはすぐに家の中にある薬をかき集め出し、グリアムは携行する武器の準備を始めた。後ろ腰ナイフを確認すると、表情は一段と厳しいものへ変わっていく。
「行くぞ」
日は沈み切り、街はすっかり夜の様相を映していた。グリアムの背中にいつもの背負子はなく、頭の欠けた【クラウスファミリア(クラウスの家族)】は、ギルドを目指し夜の街へ溶けて行く。
一日が終わった解放感を謳歌する人波を掻き分け、グリアム達はひっそりと佇むギルドへ飛び込んだ。受付業務はすでに終了しており、昼間の喧騒が嘘のようにギルドは静まり返っている。
「ようこそギルドへ⋯⋯って、あんたか。こんな時間にどうした?」
グリアムが唯一空いていた夜間受付の前に立つと、やる気のまったく見えないエルフの男が、グリアムをじろりと上目で見つめた。エルフに似つかわしくないくたびれた様相。整った顔立ちから覇気はまったく感じられない。
「アクス、深層まで潜る。【クラウスファミリア(クラウスの家族)】だ。あとは頼む」
「あぁ? おまえパーティーに入ったのか?」
「いや、そこのシェルパだ」
「ふ~ん、急か?」
「そうだ」
アクスは俯いたまま、シッシッと手で払う仕草を見せた。グリアムは踵を返し、ダンジョンへ向かう。パーティーの表情は固く、だれひとり言葉を発しない。歩くスピードは自然と速くなり、焦燥は形となって現れていた。
「あれれ、どうしたの? みんな怖い顔して」
見知った声にグリアムは足を止めた。振り返ると、声の主である【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】の盗賊が微笑んでいた。
グリアムは立ち止まり、逡巡する姿を見せる。そして、意を決し、その盗賊に頭を下げた。
「ラウラ、スマンが手を貸して貰えんか⋯⋯じつは⋯⋯」
「いいよ、何するの?」
軽やかな即答に、少しばかり困惑しながらも、グリアムは大きく頷いて見せた。
「ウチのバカがひとり、ダンジョンで行方不明になっている。そいつを探すのを手伝って欲しい。ギャラは後で払う」
「行方不明か⋯⋯ちょっと難しいかもね。でも、いいよ。早く行こう」
ラウラの表情から笑みは消え、先頭で手招きをして見せた。
「私はラウラ。君はヴィヴィちゃんでしょ、隣のあなたは?」
「サーラです」
警戒を見せるサーラは上目遣いでラウラを覗き、ペコっと頭を下げる。
「こっちの可愛い仔は?」
「テール」
ぶっきらぼうに答えるヴィヴィにも、ラウラはまったく動じない。ニコニコと笑みを見せ、優しくテールの頭を撫でた。
「テールも宜しくね。で、シェルパさん、今日は背負子じゃなくてナイフなんだ」
「ああ、いないよりマシ程度だ。あんたが手伝ってくれて助かるよ」
「グリアムだよ、ラウラ」
ラウラを覗き込むヴィヴィに少し驚きを見せたが、その真意をすぐに理解する。
「そっかそっか、グリアムさんね。オーケーだよ、ヴィヴィちゃん」
ダンジョンが近くなり、パーティーの足も忙しくなっていく。
パーティーの焦燥を映すその足取りに、ラウラは待ったを掛けた。
「待って、待って。まだ、焦るところじゃないよ。焦ってミスをすると、かえって歩みは遅くなる。だから焦らずに行こう、ね」
「だな」
ラウラの言葉にグリアムが頷くと、ヴィヴィとサーラ、ふたりもそれに続いた。
「下層までは、サーラとヴィヴィをメインにして進み、オレとラウラがフォローに当たる」
「うん、分かった。魔法は?」
「出来るだけ控えろ。深層まで行く事になれば、そこで必要になる。そうならんのが一番だがな」
「うん」
ヴィヴィが大きく頷き、左腕のハンドボウガンを確認すると、ダンジョンへ続く回廊に足を踏み入れる。人の気配は消え、静けさが漂うダンジョンは普段にも増して不気味さが漂っていた。ただそれが、パーティーの足を鈍らせることは無い。ひたすら下へ下へと突き進むパーティーは、少しばかり異様に映る。すれ違う潜行者は皆無で、たまにすれ違っても上へ向かう回廊へ急ぐ姿しか無かった。
「ねえねえ、グリアムさん、あの子はひとりで深層まで行っちゃったの?」
「分からんが、もしかしたら⋯⋯な」
「そっか」
そんな話をしている最中もラウラの曲刀は、迫り来るベイビートロールを両断する。湾曲している外側と内側にも刃を備える変わった代物で、グリアムも初めて見る物だった。
さすがA級。無駄が無い。
「やるねぇ」
飄々としたキャラクターとは裏腹な鮮やかな剣技に、グリアムは素直に賛辞を向けた。次の瞬間、グリアムもまたベイビートロールの左胸を一突き。核を潰されたベイビートロールは膝から崩れ落ちた。その姿にラウラは俯き、表情を隠すようにニヤリと笑みを零す。その笑みに気付く者はいなかった。
サーラ、ヴィヴィも道を作る為奮闘を見せる。焦る気持ちを抑え、襲いかかってくるモンスター達を次々に屠っていく。愚直なまでに前へと突き進む背中から、必死の思いはラウラに十分伝わっていた。
「君達もね」
ラウラは口端を上げ、ヴィヴィとサーラの作った道を進んで行く。
「ラウラさんクラスになると、深層くらい単独で行ってしまうのですか?」
モンスターの波が収まると、サーラはラウラに問い掛けた。ここまでの道のりで、ラウラが信用に足る人物だと判断したのだろう、出会ったすぐの時とは違い素直な表情を見せている。ラウラはその問い掛けに、首を横に振り答えた。
「行かないよ。【ノーヴァアザリア】だからかも知れないけど、最低でも3人だね。だれかが動けなくなった時に、運ぶ人と守る人が必要でしょう。単独で行くのは、せいぜい下層までかな。そもそもウチは単独を推奨していないんだ。リーダーが心配症なんだよ」
「そうなのですね。ラウラさんほどの人でも、深層には単独では行かないのか⋯⋯」
ひとり納得の表情を見せるサーラにグリアムが割って入った。
「中には物好きもいるけどな。ただひたすらに、ひとりでどこまで潜れるか試す、バカ野郎系がな」
「いるね、ウチの弟がそれだよ。それなりの腕あるからウチに誘ってやったのに、“興味ねえ”って、一蹴しやがってさ。あの子もそんな感じなの?」
「イヴァンか? いや、あいつは違う。あいつの場合は、クラスアップを早くしてえだけだ」
「そっちか~。で、ひとりで突っ走っちゃったのねぇ」
「ぎゃあ! あいつ、出っ⋯⋯!!」
ヴィヴィの叫びより早く、ラウラの投げたナイフがモノアイを貫いていた。萎んだ風船のごとく地面に落ちたモノアイに、ヴィヴィは叫びを飲み込んだ。
「凄い⋯⋯」
「にゃははは。そう? 何か褒められちったね」
絶句するサーラを横目に、ラウラは地面に落ちたナイフを、慣れた手つきで拾いあげる。目を剥くサーラの後ろで、グリアムも感服とばかりに軽く口端を上げた。
「ここからが勝負だ」
15階緩衝地帯へと下りる回廊へ、突貫のパーティーが足を踏み入れる。




