その焦燥の先に Ⅰ
「ヴィヴィさん、おはようございます!」
どことなく元気の見えないヴィヴィに、サーラは玄関から元気に声を掛ける。
「おはよう、サーラ」
いつもと変わらない返事だが、やはりどこか覇気を感じなかった。サーラは、心の中で首を傾げながらもニッコリと笑顔を返す。
「師匠、おはようございます!」
「ああ」
「師匠、眠そうですね」
「ああ」
「師匠、いちいち家からここまで通うの面倒なので、もうここに住んでもいいですか?」
「ああ⋯⋯ああ? 無理に決まってんだろ。どこにそんなスペースがあるんだよ、今だって、ぎゅうぎゅうだってのに」
「作戦失敗ですね、流れに任せて頷くと思ったのですが」
「油断も隙もねえな。イヴァンは?」
「リーダーは、ダンジョンです。手伝いましょうか? って、聞いたのですが、ひとりで大丈夫と言って、行ってしまいました」
「また下層のクエ(スト)か」
いつもと変わらない日常が始まる。ヴィヴィはテールを丹念にブラッシングして、サーラはテーブルの上に書き物を広げ始めた。気持ち良さそうに目を閉じるテールと、窓からの射し込む陽光が、穏やかな一日の始まりを告げる。
「あれ? ここに置いておいた地図知りませんか? おかしいな⋯⋯あとで師匠に確認して貰おうと思って、ここに置いたのですが」
「あ? 家に持って帰ったんじゃねえのか?」
持参した大きな革の鞄を漁り、テーブルの下ではいつくばっているサーラに、グリアムは面倒くさそうに答えた。どこか抜けているところのあるサーラだが、何かを失くすような事は今までなかったはずだ。
「どうしたの?」
その様子にヴィヴィも声を掛けた。必死に探すサーラの姿に、ブラッシングの手を止める。
「地図が見当たらないのです、昨日ここに置いたのですが⋯⋯」
「一緒に探そうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「どうせおまえの思い違いだろ。家にあるって」
「ですかね⋯⋯」
グリアムに煮え切らない返事を返し、サーラは体を起こした。
「でも、師匠の地図も一緒に置いてあったんですよ。それも見当たらないのです」
「え?」
「16階と17階の地図を書き写したくて、貸して頂いたじゃないですか、それも見当たりません」
そう言えば、昨日サーラに地図貸してくれって言われた記憶が⋯⋯。確か、装備の手入れをしていて、生返事した覚えがあるな。
グリアムはヤレヤレと重い腰を上げた。
「仕方ねえ、探すか。元に戻したって事もあるか⋯⋯サーラ、おまえは自分の家戻って探して来い」
「は、はい! 探してきます」
サーラは玄関を飛び出し、グリアムもいつもの引き出しから地図を取り出し、床に並べて行く。
無い。
サーラに貸したとされる16階と17階がすっぽりと抜けていた。
ま、あいつの家にあれば問題ないか。
散らかした地図をまとめ、また乱雑に引き出しに戻す。気を取り直し、リビングの椅子に腰を下ろすと、冷めてしまった苦いカフェルを口に運んだ。
「地図あった?」
「いや。きっと、サーラの家だ。やつが帰って来るのを待つ」
「ふーん」
あまり興味を示さないヴィヴィの返事がリビングに響く。
実際、16階と17階あたりの深層であれば、グリアムの頭の中に入っているので、重要度はさほどでもない。仮に落としたり、失くしたりしても、緊急を要する代物ではないとグリアムの中に焦りは生まれなかった。
■□
夕方前になり、ようやくサーラが戻って来た。息せき切って飛び込むその表情は、苦虫を噛み潰したみたいに険しく、飛び込むなり勢い良く頭を下げる。
「すいません! 家にはどこを探してもありませんでした」
「マジか⋯⋯。おまえ、どっかに落としたか?」
「い、いえいえ。やはり、ここに置いておきました。お借りした物なので、持って帰る事はしません」
「仕方ねえ。また書くか」
サーラは棚の上を指差し、必死の形相で弁明に努めた。
失くした物というより、家の中でなくなった事が少しばかり気持ち悪い。だが、いまさらどうこう言っても始まらないし、サーラが失くしたわけでもないとグリアムは割り切る事にした。
「ねえねえ、イヴァン遅くない?」
ヴィヴィが首を傾げて見せる。その瞬間、グリアムとサーラの中で点と点がイヤな繋がりを見せ、ふたりは顔を見合わせた。
「まさか、イヴァンが持っていったか?」
「でも、どうしてリーダーが?」
「16階からの深層で、B級に昇格出来る」
「単独でですか? いくらリーダーでも、厳しくないですか?」
「無謀だな。ま、ちょっと遅くなっているだけで、ひょっこり帰って来んだろ」
グリアムは自分で大丈夫と言っておきながら、心の中での燻りを感じていた。
■□■□
赤味を帯びた壁に、炎に揺らめく影が映った。剣を握る男と、蠢く小さないくつもの影が、ユラユラと壁に揺らめく。
「シッ!」
小さないくつもの影に、剣を振り下ろす影が揺らめいた。
『ヒギャッ!』
影同士が激しくぶつかり合う。
炎を纏う剣が振られる度、断末魔が響き渡った。一体いつまで鳴り響かせれば良いのか、終わりの見えない剣舞は続く。
床を埋め尽くす、コボルトの大群。断末魔は仲間を呼び、際限の無い舞が続いた。
焦げた仲間を踏み潰し、我先にとにじり寄る。それを引き裂こうと激しく振り下ろされる鋭利な爪を弾くと、コボルトの体は一瞬でふたつに割れていった。
こんなのに時間を掛けている場合じゃないのに。
倒しても倒しても、減る気配を見せない大群に息は荒くなり、切っ先は激しい呼吸に合わせて揺れて行く。
どうしよう。
爪や牙を弾きながら、打開策を模索する。
逃げ道がない⋯⋯なら、作る。
剣を握る手に力を込め、床に蠢く緑体にむけて激しく振り上げた。剣先から伸びる炎は鞭のごとくしなり、真っ直ぐに伸びて行くと一直線に焼き払われたコボルトの道を作る。炎の作りだした一本道へと、迷いを捨てて飛び込んだ。
纏わりつく爪や牙を払いのけ、自らが作った一本道を駆け抜ける。




