その初潜行で初体験 Ⅶ
「少し休むか」
グリアムの言葉に【クラウスファミリア(クラウスの家族)】一行は、5階にある小さな空間へと潜り込んだ。ここはいくつかある小さな休憩所のひとつ。各階にいくつか存在する潜行者達の休息場として、重宝されていた。
とは言うものの、ただの小さい空間と言うだけで、入り口がひとつしか無く、守りやすいというだけの話。ここにモンスターが襲って来ない確証が、あるわけではない。
「ふぅ⋯⋯」
イヴァンが小さく息を吐き出し、膝に手をついた。今回の潜行は肉体的と言うより精神的に疲れたのが、その姿から見て取れる。
今までは単騎で潜り、自分の世話だけをしていれば良かった。だが、今回は違う。だれかを守りながらの行軍は、慣れない神経をすり減らす。そこに死との直面があり、初見殺しとのエンカウントがあった。神経をすり減らすには、充分な材料が揃う。
「師匠、私休憩所の存在は知っていたのですが、使うのは初めてです。ここって、安全なのですか?」
サーラは小さな空間を、グルっと見回しながら少しばかりの不安を吐露する。
「本当に安全かって聞かれたら、どうにも答え辛いな。入り口が小さい。それは大きなモンスターや、大量のモンスターが襲って来ることはないって事だ。入り口さえ抑えておけば、まぁまぁ安全に過ごせるってところかな」
「なるほど⋯⋯」
「ただ、ダンジョンが哭いたら別だ。この空間にモンスターが湧く可能性もある、哭いたらすぐに出るのが鉄則だ」
「そんなに湧くのですか?」
「さあな。可能性の問題だ」
グリアムが肩をすくめて見せると、分かったのか分かっていないのかサーラは微妙な表情で納得して見せた。
グリアムは入り口の側に陣取り、様子を窺う。イヴァンは静かに腰を下ろし、ヴィヴィは丸くなったテールにもたれて目を閉じている。サーラは小さな空間を隅々まで観察しながら、リラックスしていた。メンバーは各自、思い思いに疲弊した体と頭を休めていく。5階までくれば、そう厄介なモンスターはいない。グリアムも外を睨みつつ、どこか気は緩んでしまう。
「ん?」
「どうした?」
イヴァンは突然グリアムを押し退け、入り口から身を乗り出した。
緊迫した感じは無いよな。一体何を覗いてんだ?
「何か気配を感じません?」
「モンスターか?」
「いや⋯⋯危険な感じは⋯⋯潜行者⋯⋯かな?」
こいつ、変に鋭いところがあるんだよな。
グリアムもイヴァンのとなりから外を覗くが、特に何も感じない。だが、しばらくもしないうちに、足音が近づいて来た。かなり大規模なパーティーなのか、いくつもの足が地面を叩く音が伝わってくる。
「あ! 来ましたね。あれは⋯⋯アザリアさんじゃないですか?」
グリアムは目を凝らし前方を覗くと、グリアムもそれに倣った。
「どれ⋯⋯あぁー、ありゃあそうだ。にしても、随分と早い帰還だな。最深層へのアタックは失敗だったのか?」
「さぁ、どうなんでしょう? 挨拶しておきましょうか」
「いや、待てって⋯⋯おい⋯⋯」
「お疲れ様です! ご帰還ですか?」
入り口から飛び出し、通り過ぎようとしていたアザリアに、イヴァンは微笑んで見せた。グリアムは、呆れながらもそれに続く。
まったく、確認してから飛び出せよな。
この早い期間で切り上げたという事は、最深層へのアタックは失敗したんだ、明るい気分での帰還ではあるまい。少しは空気を読んでやれや。
「すまんな、疲れているところ。⋯⋯おまえはもう少し空気を読め」
グリアムがイヴァンに釘を刺すと、流石に雰囲気を察したのかイヴァンは急にしおらしくなった。
先頭を行くアザリアの表情は冴えない。後ろを行くパーティーの表情も暗かった。一見して上手く行かなかったことが分かり、何と声を掛けるべきか言い淀んでしまう。
「あの⋯⋯その⋯⋯何だ、あと少しで地上だ。気を付けてな」
中央都市セラタが誇る最大パーティーに、5階で気を付けるも何もあったもんじゃない。お前らが気を付けろよって言われそうなものだ。
「ありがとう。お察しのとおり失敗だ。最深層を前にして、重傷者を何人も出してしまった。不甲斐ない結果となってしまったよ」
力の無いアザリアの言葉に、掛ける言葉は見当たらない。後方に視線を向けると、簡易担架で運ばれる重傷者の姿が、いくつも見えた。
「薬も使い切り、ヒーラーの魔力も尽きた。断念するしかなかった」
アザリアは悔しさを噛み殺し静かに続けた。
片腕を失った者、足を失った者、手足を失ってはいないものの、あらぬ方向へと曲がっている者。動けなくなってしまった者達が次々に運ばれている。その光景は、イヴァンから思考と言葉を奪った。
担架の上で呻きを噛み殺し、必死に耐えている姿は痛々しい。自分達のせいで潜行が中止になってしまったと、担架の上で自責の念に駆られている姿が映る。苦しさの中に紛れるその辛さは、イヴァンにも十二分に伝わった。
「少しだけ待ってくれ」
グリアムは空間に戻り、背負子から回復薬を数本取り出す。
「グリアムどうしたの?」
怪訝な表情を向けるヴィヴィに入り口を顎で指した。
「アザリアのところに怪我人が出ちまったんだ。薬を分けてくる」
緊張感のある言葉に、ヴィヴィもすぐにテールのサドルバッグを漁る。
「すまない」
回復薬を手渡すと、アザリアは申し訳なさそうに頭を下げた。
「気にするな、焼石に水だが、ないよりはマシだろ。それにあんたも、そんなに気に病むな。あんたのパーティーじゃなかったら、こんなものじゃ済まなかったさ。あんたのところだから、命が助かったんだ。彼らもあんたを恨みはしねえさ」
「うん⋯⋯そう⋯⋯なのか⋯⋯な」
納得したのかしていないのか、アザリアは微妙な返事を返すだけだった。今まで準備を重ねた潜行が、失敗してしまった悔しさと、仲間が傷ついてしまった悲しみが、アザリアの中でグルグルと渦巻いている。そう簡単に気持ちの整理がつかないのは、言葉に出されなくとも理解出来た。
すれ違いざま、主要メンバーもグリアム達を一瞥しながら通り過ぎて行く。彼らの表情からも、悔しさが滲み出ていた。ヴィヴィやサーラも一緒に見送る。担架で運ばれる重傷者の姿に表情は硬かった。
手練れといえども、隙を見せれば一瞬でやられてしまうその怖さを、まざまざと見せつけられた。またひとつ狡猾なダンジョンの姿に出会い、その理不尽な理に【クラウスファミリア】は気持ちを引き締める。
⋯⋯にしてもだ。
あの最大パーティーがあっさり? 時間もあまり経っていないってことはそこまでの深度はなかったはず。
アザリア達、【ノーヴァアザリア】を見送りながら、グリアムの中で煮え切れない何かが燻る。その違和感にも似た何かが分からず、晴れることは無かった。




