その暗闇での模索 Ⅱ
ギルドの掲示板を通り過ぎようとする者達が次々に足を止め、掲示板に見入っていた。そこに張り出された昇級の知らせを指しては、口々に驚嘆の声をあげていった。
そんな人々の後ろを、若い三人組が通り過ぎて行く。
「なんで、オッタさんの名前がないんだよ?」
「次じゃねえの? 昇級の、アイテムがなかったとか?」
「オレ達も頑張ないと⋯⋯」
口数の少ないジョフリーの言葉は、問い掛けの返事にはなっていない。だが、しっかりと前を向く自分達の背を押す言葉となった。
喧騒渦巻く掲示板を、【フォルスアンビシオン(力強さと大志)】の三人は、チラっと覗き見るだけで通り過ぎる。三人にとって、【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の昇級は驚くべきことではなかった。実力を目の当たりにしている三人にとっては、当たり前のことでしかないのであろう。
「⋯⋯イヴァンさんが戻れて、本当に良かった」
「ああ」
ジョフリーがポツリと零した言葉に、ニコラもギヨームも同じ思いで頷いて見せた。
「シシシ⋯⋯あがってきたね」
さらに離れたところ、掲示板のざわめきを遠目に見ながら、ラウラはニヤリと含みのある笑みを口元に作る。ここにもまた、昇級は当たり前と簡単に受け入れる者がいた。
昇級の知らせは突風のごとく街へと届き、街を行き交う人々も偉業ともいえるその昇級の早さに、驚きと感嘆の声を上げ続ける。だが、浮かれている街の喧騒を余所に、【クラウスファミリア】の本拠地は、ひとりのエルフの訪問によって重苦しい雰囲気が漂っていた。
「ミア、いまいち状況がつかめん。アクスがサボったってだけで、何でお偉いさんがおまえをここに寄越す?」
テーブル椅子に座り、背筋を伸ばしているミアの向かいで、グリアムはだらしなくソファーにもたれながら、表情を険しくさせた。たまたま、居合わせたルカスとオッタも、ミアの言葉に耳を傾けている。
「おい、おっさん。そのアクスってのはだれだ?」
「ギルドの夜間受付をしているエルフだ。おまえは日中走り回っているだけだから、知らんか。昔、オレがいた【ヴァバールタンブロイド(おしゃべりの円卓)】の担当だったギルドの職員だ。で、アクスのやつが、2、3日仕事休んだってだけだろう? 騒ぐことか?」
「それが私も良くわかっていないのです。医療省総長直々にアクスさんが信頼していた人間に、アクスさんを探して欲しいと私のところにお話がありまして⋯⋯」
「そんで、どうしていいかわからずここか」
「はい。アクスさんが信頼している人といえば、グリアムさんしか浮かばなくて⋯⋯」
煮え切らない言葉しか言えないミアが、申し訳なさそうに俯いて見せた。
「そのアクスってエルフと、医療省のお偉いさんは元々繋がりがあるのか?」
ルカスの問い掛けにミアは俯き加減のまま、首を横に振る。
「すいません。わかりません」
「んじゃ、どうしろってんだ? アクスの野郎が風邪かなんかで寝てるだけじゃねえのか?」
「それなら、いいのですが⋯⋯」
今度はグリアムがお手上げとばかりに、大きな溜め息をついて見せた。
「そのお偉いさんとは話せないのか?」
話を聞いていたオッタも業を煮やして、話に割り込んだ。全容があまりにも見えず、ぼんやりした話に、どう動けばいいのか皆目見当もつかない。
「ですよね⋯⋯急いでいるようなので、その旨を伝えてみます。」
「そうしてくれ」
「アクスさん、無断で仕事を休むような方ではないので、心配です」
ミアは最後にそれだけ言い残し、本拠地を後にした。
大したことではないと、グリアムは自分に言い聞かせてみるものの、胸のざわつきが収まることはない。大丈夫だと何度も心の中で繰り返すが、そんなことは無意味だと、もう一人の自分がそれを否定し続けた。
グリアムの不安は、ルカスとオッタにも伝播し、ふたりの表情も冴えない。
グリアムは自室に閉じこもり、アクスの身を慮る。見えない不安は、思考を停滞させ、答えの出ない堂々巡りへ誘った。
そして、軽いノックの音にグリアムが顔を上げると、窓の外はすっかり暗くなっており、夜の訪れを告げていた。
「グリアムさん、お客様です」
マノンの声に、グリアムはすぐに腰をあげる。
「わかった。すぐ行く」
こんな時間に今度はだれだ?
居間に入ると、【クラウスファミリア】のメンバーが思い思いに寛いでいる中、テーブルにミアと、ふたりのエルフが姿勢よく腰掛けていた。
「⋯⋯なるほどね」
雰囲気のある女のエルフが、グリアムを見るなり笑みを零し呟いた。
なんだこいつ? 人の顔見るなり笑いやがって。
ただ、ミアがいるってことは、アクスがらみ⋯⋯ってことは、こいつ⋯⋯。
グリアムは空いていたテーブルに腰を下ろすと、女のエルフはジッとグリアムを見つめ続ける。その視線を訝しむグリアムに、ミアは気まずそうに咳払いをして見せた。
「んっ! グリアムさん、こちらは医療省総長、バルバラさんです。それと、バルバラさんの補佐をされているルゴールさんです」
「え? 総長??」
紹介を受け、ニコニコと笑みを絶やさぬバルバラに、イヴァンとサーラは驚愕の表情で固まってしまう。そんなふたりの姿を、意味のわかっていないヴィヴィやオッタは不思議そうに見つめるだけだった。
「おっさんエルフの件か?」
ルカスが珍しく単刀直入に口火を切る。
「おっさんエルフ呼びとは、アクスも可哀そうだこと。でも、そうね。彼のことよ。多分、状況は芳しくない可能性が高いわ」
バルバラから笑みは消え、その表情は真剣そのものだった。
「あんたが、アクスに何かやらせて不味いことになっているってところか」
「御名答。ただ、やらせているってのは、ちょっと違うわね。動けない私に代わって、動いて欲しいとお願いしたのよ。彼も思うところがあって、私のお願いに乗ってくれた⋯⋯って、感じかしら」
「あんたの命令なら、動くしかあるまい」
「そんなことないわよ。もともと同期だし、何だったら彼の方が偉くなっていたはずだもの、少し歯車狂っちゃっただけで、私達の間に上も下もないわ」
歯車が狂った、ね⋯⋯。
グリアムの脳裏に【ヴァバールタンブロイド(おしゃべりの円卓)】のメンバー達の姿が過る。
「そんで、あいつに何をやらしたんだ?」
「副長ルーファス・ヨゼフレナーと、龍を隠す意味。このふたつを調べて欲しいとお願いしたのよ」
龍という言葉に、居間の空気が一瞬で緊張を帯びる。黙って耳を傾けているこの場にいる者達の表情も、一瞬で強張った。
「ちょっと待て。龍を隠しているのは、おまえらお偉いさんだろう? アクスのやつも、訝しんでたぞ。ある意味あんたはその中の人間じゃねえか? 何で隠している側の人間が調べたがる」
「龍を隠しているのは、ギルド長。龍のことは、口出し出来る雰囲気じゃないのよ。普通に考えれば、隠すものではないでしょう? むしろ、危険なものなのだから、広く喧伝して、注意を促すものじゃなくて?」
バルバラの言葉から、嘘、偽りは感じ取れない。そしてアクスの身を案じる不安が、ひしひしと伝わってきた。
ギルドの幹部でも、龍の話は御法度なのか?
「んで、その副長ってのはなんだ? そいつの何を調べさせたんだ」
「【アイヴァンミストル】の買い取りに使っているお金の源泉に伴って、副長のルーファス自体を洗って欲しかったの。数年前、急に現れて副長の座に落ち着いた。ギルドにお金がないとは言わないけど、買い取り額を倍近くにしたうえに、凄い量を買い取りしているのよ。金商省に聞いたら、副長が工面しているって。どうやって? そもそも、あなただれ? って、ところを調べて欲しかったのだけど⋯⋯」
「それを調べていたアクスの姿が消えた⋯⋯」
グリアムの言葉にバルバラは黙って頷いて見せた。
話として辻褄は合っている。
アクスやバルバラの様子を見る感じ、ギルドも一枚岩ではないのか。むしろ、ギルド長のワンマンなのか?
グリアムは何か既視感のようなものを覚えるが、アクスの身を案じる思いにかき消されてしまう。
「押し付ける形で申し訳ないけど、お願い出来ないかしら?」
「お願いって言われてもな⋯⋯なんとかしてやりたい気持ちはあるが、そもそも何から手を付ければいいのか⋯⋯」
戸惑いと躊躇を見せるグリアムの姿に、後ろに控えていたサーラが突然立ち上がる。
「師匠、アクスさんを探しましょう! そこに龍が絡んでいるかも知れないとなれば、私達にも関係ある話かも知れません⋯⋯それに、ギルドの偉い方に恩を売っておくのは悪いことではないという打算も正直あります」
「サーラってば、なんだかちょっとグリアムぽくない?」
ヴィヴィがわざとらしい嫌味を言ってみせると、サーラはにっこりと笑みを返す。
「本当ですか? ちょっと師匠ぽかったですか! フフフ」
まんざらでもないサーラの姿に、バルバラも思わず微笑んでしまう。
「フフ、頼もしいわね。もちろん、私に出来ることであれば、何でも言ってちょうだい」
そしてバルバラは、アクスがギルド上階、関係者以外立ち入り禁止区域で消えたであろうことを告げると、フードを深く被り本拠地をあとにした。