その懸念の真相 Ⅵ
「⋯⋯ディディアとファビオの話だと、若い【龍の守り人】の方のほとんどが、ダンジョンを出たいと思っているそうです」
イヴァンは言い淀みながらも、言葉には力があった。説得力すら持つイヴァンの言葉の圧に、グリアムは疑問を抱く事もなくその言葉を理解しようとした。
「ほとんど?」
「はい」
イヴァンが眉をひそめるグリアムに力強く頷いて見せると、ヴィヴィはディディアにそっと寄り添う。
「大婆の求心力が落ちてきているんだよ」
ヴィヴィは、イヴァンを補足するかのように口を開く。先ほどまでの混乱は落ち着きを見せ、真剣な表情は言葉に更なる説得力を持たせていた。
「おまえ、記憶が戻ったな」
「うん。グリアム、いろいろごめんね」
「かまわん⋯⋯おまえは生きたかったんだろう?」
「うん⋯⋯」
「なら、それでいいじゃねえか。そんで、そのババアの求心力が落ちているってのは、どういうことだ?」
おそらくヴィヴィとディディアの言葉から察するに、大婆と呼ばれている婆さんが守り人を束ねているんだろう。こいつらの口ぶりからすると、絶対的な存在⋯⋯【龍の守り人】を牛耳っている感じか。
「大婆はダンジョンの生き字引。生きるために必要な知恵をみんなに伝える。何か問題が起きるとみんな大婆を頼って教えを乞うんだ。でも、最近は⋯⋯」
そう言ってヴィヴィがディディアに顔を向けると、ディディアが言葉を続ける。
「今、どんどんと人が減っているのです。少し前に、若い人たちが一斉に地上を目指して、人が大きく減った事があったそうです。でも、それ以降地上を目指す事は地獄を目指すのと一緒だから、行ってはいけないって御触れが出て⋯⋯でも⋯⋯人は減っていくいっぽうで、大婆の言っている事が本当に正しいのかどうか⋯⋯」
「言っている事に従っているのに、人は減り、守り人自体が衰退している。そうなりゃあ、ババアの言っている事は、何か違うんじゃねえかと思うやつが出ても不思議じゃねえよな」
グリアムの相槌に、ディディアは大きく頷いて見せた。
「はい。それでも、上に行った人達はだれも戻って来ない。大婆の言う通りで、みんな地上という地獄で死んじゃったんじゃないかって思って⋯⋯でも、緩衝地帯の人達は美味しそうなものを食べて飲んで笑っていて、ヴィヴィ姉が生きていて⋯⋯元気だと聞いて、私達もここから脱け出したいと思ったのです」
ダンジョンでの生活は限界を超えているというのが、ディディアの言葉の端々から窺えた。
「おまえらの中でも、ババアの言っている事の信憑性が薄れたわけか。それに、ダンジョンに戻らないんじゃなくて、戻りたくない、が正解だ。地上に行ったやつらが、そこまで良い生活を送れているとは思えん。それでも戻りたくないほどダンジョンの生活はキツイって事だろう」
少し前に地上を目指した⋯⋯か。ウチの母親や、イヴァンの村にいるヤツらがその時期に地上を目指したのか? ここ最近【忌み子】を見かけないのは、地上に行くやつらがいなくなったから⋯⋯そんなところか。
「イヴァンの兄ちゃんが、僕達を地上に連れて行くと言ってくれて、そうすれば姉ちゃんも⋯⋯」
そう言うファビオの肩をディディアが抱き寄せる。幼いふたりが過酷な環境を、手を取り合って生き抜いていたのだろう。そんなふたりの姿にサーラは今にも泣き出しそうだった。
「はいはい、ふたりとも落ち着いて。こちらをどうぞ、コルルのジュースですよ」
マノンがみんなのお茶と、ディディアとファビオの前には紫色の甘酸っぱい匂いを放つカップを置いた。ふたりは目の前のカップを覗きこみ、グリアム達の前に置かれていく湯気の立つカップを目にして、目をまん丸くさせる。温かい飲み物すら知らなかった事が、ふたりの反応から窺えた。
「大丈夫ですよ、どうぞ」
マノンが笑みを向けると、ディディアが意を決し、カップに口をつけた。
「!! !!」
紫色の液体を恐る恐る口の中へと流し込むと、口いっぱいに広がる甘酸っぱい濃厚な果実汁に、今まで一番の驚きの顔を見せる。ディディアはカップに口をつけたまま、ファビオに飲むように急かす。ファビオも恐る恐る、カップに口をつけると、目を見開き同じように驚いて見せた。
「美味しい!! 酸っぱい? 甘い! 美味しい!」
ディディアが一気に飲み干し、興奮したまま、まくし立てた。
「アハハ、何か最初の頃のヴィヴィを思い出すね」
「そんなことないよ、私はもっと落ち着いていたよ」
ふたりの姿に笑みを零すイヴァンに、ヴィヴィはわざとらしく、少しむくれて見せる。ふたり揃ってジュースを一気に飲み干し、空になったカップをいつまでも覗き込んでいた。
「フフ、たくさんあるから大丈夫ですよ。おかわりを持ってきますね」
マノンはそう言って、ふたりのカップを手にしてキッチンへと戻る。
マノンの言葉にふたりは笑顔を零し、緊張は一気に解れていくのが分かる。だが、イヴァンはなぜかひとりだけ緊張する姿を見せ、意を決し口を開いた。
「そ、それでですね。若い【龍の守り人】達を、僕の村に連れて行けないかと思いまして⋯⋯」
「はぁ?! 連れて行く? どうやって? 何人いるかも分からんのにか」
グリアムはイヴァンの言葉に、盛大に顔をしかめ、他の者達もあまりに突飛なイヴァンの申し出に思わず固まってしまった。だがイヴァンの中では想定していた反応なのだろう、落ち着いた様子で言葉を続ける。
「ふたりの話だと【龍の守り人】は、もう4、50人ほどしかいないそうです。このままダンジョンに留まったとしても、衰退の一途をたどるだけではないですか? 上に行きたいと思っているのが若い人と考えれば、せいぜい3、40人なはずです。大型馬車を5、6台手配できれば問題ない人数で、現実的に不可能な数ではありません。しかも、僕の村なら彼らを抵抗なく受け入れが可能です」
「そもそも、その人数をどうやってダンジョンから連れ出す気だ?」
「守り人のダンジョンなら、緩衝地帯までは一気に行けます。あとは下層、上層だけ。下層、上層なら僕達だけでも何とかできるはずです」
イヴァンの即答する姿は、現実的に何度も頭の中でシミュレーションしたのだと伝わる。イヴァンがみんなの様子を窺っていると、今まで黙って聞いていたオッタが軽く手を上げた。
「なぁ、やるやらないは置いといて、その【龍の守り人】達は本当に上で生きていく覚悟があるのか? それにそんな一度に人が減って、残された者達はどうなる?」
オッタの言葉にサーラも頷く。
「たしかにそうですね。ただでさえ人が減っている状況で、若い人間が一気に減ったら、近い将来ダンジョンの中に人間はいなくなってしまうでしょう。それが良い事なのかどうか、私達には判断がつきません」
ルカスとサーラの冷静な物言いをイヴァンは何も言わず黙って聞いていた。イヴァン自身も、ふたりの思っていた事は考えたのだろう。
「ふたりが思っている以上にダンジョンの生活は過酷なんだよ。ちょっとしか体験していなくとも、それが分かるくらいね。僕は逆になぜ【龍の守り人】達が、あんな過酷な場所に押し込められているのか疑問でしかない。ダンジョンに居続けなくてはならない明確な理由が、僕には分からないよ」
若い人間がいなくなれば、ダンジョンでの生活が消えるであろう事は、イヴァンも考えていた。過酷な生活と、居続ける理由なき理由を、自分なりに天秤にかけての答えなのだろう。
「理由なんてないよ。もし理由があったとしても、イヤイヤ閉じ込められていい理由なんてない。少なくとも、上を目指した人や、私や、ディディアやファビオが、あそこに留まるための納得する理由なんて、これっぽっちもないよ」
ヴィヴィは、きっぱりと言い切った。そこには理由なき拘束に対する憤りが感じ取れた。
理由がない⋯⋯なんてことあるのか? ダンジョンの長い歴史の中で何かがあった? 人を閉じ込めておく理由か⋯⋯わっかんねえな。
「ダンジョンで暮らしていた本人達が、こう言っているんだ。救う理由はそれだけで十分だと思う」
イヴァンの強い眼差しは、揺るぎない信念を感じさせた。
ヴィヴィの言葉に反する言葉を、オッタも、サーラも持ち合わせてはいない。そもそも、そこまでイヴァンに反対していたわけではない。動くのに値する理由の裏付けが欲しかっただけだった。
「ま、どうせこいつが言い出したら、聞きゃしねえんだ。どうすりゃあいいか、知恵出し合うしかねえさ」
グリアムは諦め顔で、イヴァンを指した。