その懸念の真相 Ⅱ
「あがったねえ~」
「あがりましたねえ~」
ヴィヴィとサーラは胸の中にあるB級が刻まれたタグに手を当てた。街の中心部を歩くヴィヴィとサーラ。その少し後ろを、オッタが見守るように歩いていた。
「これでイヴァンと一緒だ⋯⋯」
「そうですね」
ヴィヴィの物憂げな物言いに、サーラは溜め息混じりに同意する。
本当であれば意気揚々と帰宅する道中も、どこか煮え切らないのは仕方のない事だった。
「おい、あれ⋯⋯」
中心部の人混みの中、オッタの目に見覚えのある人影が映った。人の流れに逆らうように真っすぐ前だけを見据え歩いている姿は、オッタの瞳に少しばかり異質に映る。
オッタがその人影を顎で指すと、ヴィヴィとサーラは互いに顔を見やった。
「アリーチェだ!」
ヴィヴィとサーラが人混みを掻き分けアリーチェの後を追う。オッタも同じようにその後に続いた。
アリーチェは人混みを離れ、人気のない街のハズレへ向かって行く。
あの方向は⋯⋯。
オッタはアリーチェの目的地がすぐに分かり、危うい雰囲気を纏うその後ろ姿に表情を曇らせる。
「アリーチェ!」
ヴィヴィの呼び声に、アリーチェはジロリと鋭い視線を向けた。
「おまえらか」
「何やってんの?」
「別にいいだろう、放っておけ」
アリーチェは吐き捨てるように言い放ち、早々に立ち去ろうと踵を返す。
「【ライアークルーク(賢い噓つき)】の本拠地に行くんだろう? 止めておけ」
オッタのひと言がアリーチェの足を止める。そして、鋭い視線をオッタに向けた。
危ういな。他人事だと放っておくか? いや、グリアムなら放っておかねえよな。
振り返るアリーチェの表情からは、大きなマスクで隠れていても困惑や憎しみに近い感情が伝わる。カロルと近しい人間だったからこそ、裏切りを信じたくないのは理解出来た。
「放っておけと言ったよな」
マズイな。
アリーチェの張り詰めた感情から、オッタは危険な雰囲気を感じ取る。その張り詰めた感情は冷静な判断を奪い、今にも感情に任せて暴走しそうだと感じてしまう。
「本人の口から、聞きたいのだろう? 止めておけ。あれはきっと、おまえの知っているカロルではない」
「大して知りもしないくせに、知った風な口を利くな!」
「知らんから分かることもある。ラウラから話は聞いたんだろう? それがすべてだ、止めておけ」
「うるさい! 放っておけ!」
吐き捨てるアリーチェが再び踵を返し、【ライアークルーク】の本拠地へ歩き始めてしまう。
「だよね、私も行く」
「私も直接お話を聞きたいです」
「おまえらまで⋯⋯止めておけって」
ヴィヴィとサーラも、アリーチェに倣い真っすぐに前を見据える。オッタが必死に止めるが、オッタの言葉などふたりの心に響きはしない。
呆れるオッタのことなどかまわず、ヴィヴィとサーラのふたりはアリーチェのあとを追って行く。だが、歩き始めて間もなく、前を行くアリーチェの足は止まった。
「カロル⋯⋯」
前から歩いてくる猫人に、アリーチェの感情はぐちゃぐちゃに撹拌され、憎しみと悲しみの混じる瞳は、カロルから視線を外せない。その視線にカロルも気づき、足を止めた。踵を返すべきか一瞬の迷いを見せるカロルに、アリーチェは距離を一気に縮める。
「アリーチェ⋯⋯」
ふたりの睨み合いに、今にも弾けてしまいそうな張り詰めた空気が漂う。
「カロル、あんた何で⋯⋯」
「すっかり元気になったじゃない。ま、あんな怪物行進くらいじゃ死なないか。すっかりいい顔になったじゃない~」
アリーチェの言葉を遮るカロルの軽妙な口調は、アリーチェの表情をさらに険しくさせる。どこか他人事のようで、そこに敬意など一切感じられない。この短いやりとりで、ラウラの言っていたことが本当であったとアリーチェは理解した。
「そうか⋯⋯おまえはずっと私達を騙していたんだな」
「騙す? どうかしら? 私【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】に、結構貢献したと思うけど。その見返りはあってもいいでしょう」
「見返り? それで裏切ったというのか!」
「あんたさっきから何言っての? 裏切るも何も、私は最初からイヤル・ライザックの妹よ。それはあんたも知っているんでしょう」
面倒だと言わんばかりに答えるカロルに、アリーチェの怒りが沸点を迎える。
「カロル!」
「止めておけ」
カロルに飛びかかろうとするアリーチェの肩をオッタが両手で押さえこんだ。放せとばかりに、睨みつけるアリーチェに向かって、オッタは何度も首を横に振って見せた。
「カロルさん、決闘の時、こちらの情報を【レプティルアンビション(爬虫類の野心)】に流したのは、あなただったのですね」
カロルはサーラを一瞥だけして、その問い掛けに答えようともしない。
「友達だと思ってたのに⋯⋯」
「バカじゃないの。なんで、あんたなんかと友達になるのよ。私、忙しいの、じゃあね」
ヴィヴィを一瞥することもなく、カロルは街へと歩き始めた。
「待て! まだ話は終わってないよ」
「しつこいわね。もう【ノーヴァアザリア】の人間じゃないの。あんたの話なんて聞く理由がないのよ。分かる?」
怒りの形相で睨むアリーチェに、カロルはおちょくるように言葉を続ける。
「アハ、こわい、こわい。⋯⋯やっぱあんたは、あの時きっちりと潰しておくべきだったわね。面倒くさいったらありゃしない」
カロルはおどけながらも、静かに凄みを見せた。怒りに飲み込まれているアリーチェは、その凄みに怯むことなく睨み返す。
だが、オッタは、カロルの言葉が何を指しているのか引っ掛かりを覚えた。
「あの時とは何だ? アリーチェがやられた時か? あの怪物行進の時、おまえはたしか無傷だったよな。ビビッて何もできなかった⋯⋯そうだ、その話を聞いて、オレは少しばかり違和感を覚えたんだ⋯⋯。仲の良いアリーチェが突っ込んだのに、ビビッて何もしないなんてことがあるのか? ってな。おまえはあの時、アリーチェがやられるのをただただ傍観していた⋯⋯」
オッタが冷静な物言いで、カロルに詰め寄る。カロルの表情からあったはずの余裕が消えていた。サーラもオッタの言葉の真意に気付き、驚きを隠せない。
「何を言っているのか分かんない~。か弱い私が、ちょっと怖がっただけじゃない。怪物行進なんて、みんなビビるでしょう」
「⋯⋯オッタさん、それって彼女はあの時怖がるフリをしていた⋯⋯って、ことですか」
「アリーチェがやられた怪物行進は、【ライアークルーク】が仕組んだもの⋯⋯【ノーヴァアザリア】を邪魔するためにな。そう考えればカロルの言動と行動の辻褄が合う」
「アハ⋯⋯アハハ! 何を言ってんの? バカバカしい。そんな事するわけないじゃない! 証拠でもあんの?」
カロルはそう言い残し、足早に去って行く。まるでオッタの詰問から逃げるように去っていくカロルの背中を、アリーチェは茫然と眺めていた。
もう足止めする気力すら湧かない。オッタの言っている事が、正解だと言わんばかりのカロルの言動に、アリーチェはショックのあまりその場に立ちすくんでいた。
友人だと信じていた人間に殺されかけた、と。
「とっても悲しいね⋯⋯」
ヴィヴィがそう言ってアリーチェの肩を抱くと、その手の温もりに、ぐちゃぐちゃの感情が涙と共に溢れ出す。肩を震わすアリーチェにヴィヴィは寄り添い、サーラとオッタもやるせない気持ちでその光景を見つめていた。
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普段は顔を見せる時間ではないはずのアクスが、医療部のあるギルドの上層階をうろついていた。
バタバタと行き交うエルフ達。アクスに気を掛ける者などいない。行き交うエルフの波に逆らうようにアクスは奥の間、バルバラの部屋を目指していた。
軽くノックして、扉を開くと大きな執務机が出迎えるが、そこにバルバラの姿はない。
呼び出しておいていないのか⋯⋯出直すか。
「あ! アクスさん、いたいた。ユーリアが見かけたって言ってたので、もしかしたらと思ったら当たりましたね」
長身のエルフの男が柔和な笑みを扉から覗かせた。
「ルゴールか。バルバラはおらんのか?」
「総長は今、治療で手が放せないので、代わりに預かっていますよ」
ルゴールはそう言って、ポケットから鍵を取り出した。
アクスがそれを手に取り、まじまじと眺める。パッと見は、銀色に輝く何の変哲もない鍵に見えた。
「大丈夫なんだろうな」
「大丈夫ですよ、そちらが本鍵ですから。総長が合鍵を使うそうです」
「はぁ? 本人が合鍵を使う? ⋯⋯相変わらず⋯⋯まぁいい、分かった。終わったら、きっちり返すと伝えておけ」
「分かりました」
ルゴールは笑顔のまま扉の向こうへ消えて行く。
そして、アクスはもう一度鍵を取り出して見つめ直した。